雑渡さんと一緒! 276


「へっ…きぃちゃん、おめでたなの?」

「そう。年子よ、年子」

「わぁ、おめでとう。よかったね」

「よくない」

「えっ。何で?」

「年子なんだって。我慢が足りないのよ、あいつ」

「いいじゃん。仲がいいのはいいことだよ」

「なまえに言われたくない。雑渡さんとラブラブなくせに」

「…うん」


別に否定はしない。私は昆のことが好きだし、昆も私のことを好きでいてくれている。だけど、最近少しだけ昆のことが嫌だったりする。嫌と言うと語弊があるかもしれないけど、昆から香る煙草のにおいが気持ち悪く感じるようになってしまった。今までそんなこと思ったことがなかったのに、急に気持ち悪くなってしまった。というか、くさい。普通に煙草くさい。煙草のにおい、嫌いじゃなかったんだけどなぁ…
だけど、いつまでも昆を拒むのは可哀想だった。あからさまに落ち込んでいたし、別に昆が嫌いになったわけではないから悲しそうにされるのは辛かった。だから先日は昆を受け入れたけど、セックスってあんなにも辛かったっけと思ってしまった。何というか、お腹が痛かった。あと、胸も凄く痛かった。気持ちいいとか、気持ちよくないとかじゃなくて、何かもう早く終わって欲しかった。それが昆に伝わらないように伝わらないように必死になっていたけど、多分昆にはバレていた。あのがっかりした顔が非常に申し訳なかった。


「…きぃちゃん、佐茂さんのこと好き?」

「なに、急に」

「いや、どうなのかなーって」

「好きじゃなかったら妊娠しないけど?」

「だよねぇ…」

「えっ。雑渡さんのことが嫌いになったの?」

「ううん。好き」

「じゃあ、何?」

「好きなんだけど、何か違うの」

「違うって何が」

「苛々する…的な?苛々というか、うーん…」

「あらま。倦怠期なの?」

「そ、そうなのかな…?」

「もしくはホルモンバランスが崩れているとかね」

「あー。それかも。生理が不順なんだよね、実は」

「ちゃんと病院に行きなさい。妊娠出来ないわよ」

「…うん」


多分、行っても出来ないけど。どうせ私は子供には恵まれない人生だったんだ。欲しかったけど、もういい。諦めた方がずっと楽だ。不妊治療をしようかとも悩んだけど、昆と話し合ってやめた。チャレンジさえしていないけど、チャレンジして傷付くのを見ていられないと言われたから。それで私が一喜一憂して余計にストレスを受けることが耐えられないと言われたから。反論出来ないくらいの正論を突きつけられてしまい、私は妊娠に期待することをやめた。だからなのかな。だから昆と触れ合うことが嫌になっちゃったのかな。だけど、別に私は本当に昆のことが嫌いになったわけではない。どちらかといえば、大好きだ。かっこいいし、優しいし、一緒にいて楽しいし、尊敬だってしている。私のことを大切にしてくれるし、私のことを求めてくれている。だから私は昆と一緒にいられて本当に幸せだ。そう思っている。その想いは出会った頃と変わらない。本当に変わらない。
なのに昆をこれ以上傷付けるわけにはいかない、と産婦人科の門を叩くことにした。ホルモンバランスが乱れているというのなら、ホルモン剤を飲めば解決出来るのではないだろうか。それで、これまでと同じように昆と一緒にいられるのなら、産婦人科に行くことなんて何も恥ずかしくない。いや、流石に言い過ぎか。内診台とか怖いし、かなり恥ずかしい。


「雑渡さん。結婚はされているんですね?」

「…はい」

「ホルモンバランスの乱れで悩んでいると」

「まぁ…」

「成る程。じゃあ、内診台にどうぞ」


どうぞ、ど言われて「はーい」と言える女の人がこの世にどれだけいるのだろうか。カーテンの向こうは見えないから、これから何をされるのか分からなくて怖いし、とんでもない格好をしなければいけないことも恥ずかしい。だから女医さんのいる産婦人科を選んだわけだけど、ちょっと厳しそうな先生だった。雰囲気が怖い。
力を抜いて、と言われて覚悟を決める。大丈夫、痛くない怖くない…あー、嘘。嫌だ、もう二度と来たくない!
満身創痍状態で診察室に戻る。産婦人科に通っている人を心から尊敬する。こんなこと二度としたくない。普通に恥ずかしいし、普通に怖い。お母さんに感謝してもしきれない。


「雑渡さんは23歳ですよね?」

「はい」

「で、ご結婚もされている」

「はい」

「妊娠は希望されていないんですか?」

「………いいえ」


妊娠しなくてもいい。子供なんて出来なくてもいい。そう言い聞かせてきた。これでいい。これでいいんだと思うことにしていた。昆と二人でなら子供なんていなくても幸せになれるから平気だと思っている。それは嘘じゃない。だけど、欲しくないのかと聞かれたら欲しい。昆の子供を産みたい。昆の子供を抱きたいし、昆と二人で子供を育ててみたい。きっと昆に似て、綺麗な顔をした子になる。昆に似て、頭がよくて要領のいい子に育つ。そんな妄想をするだけでもこんなにも幸せなんだ。実際に子供がいたらもっと幸せになれることだろう。そう思わないわけがなかった。
私が泣き出すと、先生は呆れたように溜め息を吐いた。


「妊娠を希望していたのなら、もっと気にかけて下さい」

「…はい」

「もう四ヶ月ですよ」

「はい、分かりまし………は?」

「早く母子手帳を貰いに行って、妊婦健診を受けるように」

「は…は?は??」


四ヶ月って何が?えっ、母子手帳って何だっけ?妊婦検診を受けるって何?誰が?私が受けるの?えっ、私が!?


「に、妊娠しているんですか!?」

「だから、四ヶ月です」

「でも、悪阻とかないんです!」

「悪阻は人それぞれです」

「えっ…ほら、あのドラマみたいなのとかは…」

「それはドラマですから」


先生はまた呆れたように溜め息を吐きながらパソコンでエコーの写真を見せてくれた。ここが頭です、足ですと説明されて見たお腹には確かに人らしきものがいる。えっ、何かの間違いじゃないの?私、妊娠しているの?お腹が出てきたのは太ったからじゃないの?生理が来なかったのはホルモンバランスの乱れからじゃなかったの?嘘だ。嘘だ、嘘だ…


「本当ですか…?」

「本当です」

「や…ったぁ…っ」


嬉しくて、また泣いてしまう。先生には呆れたように十二分に助産師からの指導を受けるようにと念を押された。馬鹿だと認定されたのかもしれない。
助産師さんに個室で色々と教えてもらえた。ホルモンバランスが崩れるから夫のことが嫌になったり、においに過敏になることはよくあることらしい。早急に血液検査をする必要があると言われ、ここの病院で出産を希望しますか?と言われたから二つ返事をした。先生は怖いけど、そう何人もの先生の前で股を開くのは憚られたから。だけど、既往歴を書くと助産師さんは顔色を変えた。そしてまた診察室に通される。


「妊娠の継続を希望されますか?」

「はい、もちろん」

「…今から言うことを旦那さんとよく話し合って下さい」

「えっ…」


先生はやっぱり淡々と説明してきた。難しくて半分しか分からなかったけど、それでも一つ分かったことがある。この話をしたら昆はきっと私に産むなと言う。確信があった。だから私は内緒にしておくことにした。
先生から言われたことは胸にしまい、母子手帳を貰いに行くことにした。手にした手帳には可愛い赤ちゃんのイラストが描かれていて、これを持っているだけで私は遂に念願のお母さんになったんだなぁと思い、じーんとした。
昆に言ったら何て言うんだろう。どんな顔をするんだろう。楽しみで楽しみで仕方がない。帰ってきたらエコーの写真と母子手帳を見せるんだ。そうだ、名前を考えないと。生まれてからだと遅いかもしれないから、今のうちにたくさん話し合って決めておかないと。後は何を話しておいた方がいいのかな。無駄遣いしたら駄目だよ、とか、私がいなくなってもちゃんと子供は育ててね、とか…あぁ、それはもう少し先の方がいいかな。
お腹をさすりながら大丈夫だよ、と話し掛ける。あなたは私が絶対に産んでみせるからね。だから何も心配しないで。






「え…それって、つまりどういうことですか…?」

「あなたは心臓に疾患があり、抗血栓療法をしています」

「…はい」

「それをしながら出産は不可能です。だけど、内服を中止すると、あなたの心臓に負担がかかる恐れがあります。あなたはハイリスク妊婦に該当するのでうちでは出産出来ません」

「えっと…私、死ぬってことですか?」

「可能性はゼロではありません」

「………」

「受け入れてもらえる病院も少ないでしょう。よく話し合って、出産すると決めたのなら早めに病院を探して下さい」

「…分かりました」


分かりました、夫には中絶が出来なくなる週数までその事実は伏せておきます。私はきっと昆に怒られる。悲しむかもしれないし、泣くかもしれない。あなたは私がいればそれでいいと言う人だから。私もそう思っていた。だけど、幸せの形が変わった。自分よりもこの子を優先したいと思える存在が出来た。だから私は昆には言わない。
大丈夫、負けない。だって私は強いもの。お母さんだもの。


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