雑渡さんと一緒! 277
あぁ、もう駄目かもしれない。完全にレスだ。念願のセックスを受け入れてもらえたかと思ったけど、あんなあからさまに嫌がられるとは思わなかった。萎えるほど。
こんなことで悩む日が来るなんて思わなかった。この性欲が旺盛な私がセックスしたくないと思うようになるなんて。というか、もうなまえとどう関わったらいいのかよく分からない。どう関わっても上手くいかない気がする。いや、スキンシップさえしなければ上手くはいくのだろう。キスもハグもセックスもしなければ私たちは多分上手くいく。好きだよって言葉にしながら、触れ合うことをやめさえすれば関係は破綻しない。だけど、それはそれでどうなんだろうか。そんな老夫婦のような関係にもうならなければいけないのか。というか、私は年老いたとしてもなまえを抱く気でいたというのに。いや、もう百歩譲ってセックスが出来なくてもいい。嫌だけど、それよりも私を拒絶するあの感じが本当に辛い。傷付くし、おいそれと触れられなくなってしまった。
このままだとよくない。精神的に限界が来る前に一度話さないといけないだろう。というか、もう限界だ。辛過ぎる。
「ただいま…」
「おかえりー」
「…ねぇ、なまえ。話があるんだけど」
「うん。私もあるの」
嬉しそうに私の鞄を手にしてくれたなまえはリビングに私を手招いた。どうやら今日は機嫌がいいようだ。ここ最近、機嫌が悪いとまでは言わないけど、何となく苛々していることがあった。何かあったのかと聞いても、何もないと言う。最早、ここ最近のなまえが通常運転で、今日のなまえがおかしくさえ感じる。ほんの少し前までは逆だったのに。
心なしかいつもより豪勢な食事が並ぶ食卓に座るように促され、スーツのまま着席する。普段なら許してくれないのに。
「…なに?話って」
「えっとね、あ…昆からでいいよ」
「そう…あのさ、あの…」
「私のこと、もう好きじゃない?」と聞くことは怖かった。「うん」と言われたら傷付くし「違う」と言われても信じられないからだ。この問いの正解はなく、どちらかといえばこの質問をしている時点で夫婦としての関係は不正解なものとなっている。
私が言葉を紡ぐことを躊躇っていると、なまえが優しく笑いながら「なに?」と聞いてきた。なまえは何も変わっていないように見える。なのに、違う。気持ちがないようには見えないのが余計に辛い。期待してしまうから。だけど、その希望はもう打ち砕かれた。こんな女々しいことを考えてばかりいるからなのだろうか。だから私はなまえに男として見てもらえず、ただの同居人に成り下がってしまったのだろうか。夫婦とはそういうものなのだろうか。だとしたら結婚しない方がよかったのだろうか。ずっと恋人として同棲を続けていたら、こんな風にならなかったのだろうか。だとしても私はなまえと結婚したかった。好きな子と家族になりたかった。だけど、これは私が望んでいた形とはあまりにも異なる。
「昆?ねぇ、どうしたの?」
「なまえ…」
「えっ、どうしたの!?」
「何で…?何で私のことが嫌になったの?」
「き、嫌いになってなんかないよ」
「嘘だ…」
「嘘じゃないよ。大好きだよ?」
「じゃあ、どうして…」
触れ合えない関係の夫婦がいるのだろうか。そんなプラトニックな関係の夫婦もいるかもしれない。だけど、私はそれを望んでいないし、元々なまえもそうではなかった。急に変わってしまった。いや、ゆっくりと変わっていったのかもしれない。私が認められなかったというだけで。
泣かないようにしようとしていたのに。だから私は駄目なんだ。なまえのことになるとすぐに情緒がおかしくなる。すぐに泣いてしまう。だから私は女々しいんだ。私だってこんな風になりたかったわけではない。もっと男らしく生きたかった。情けない姿を晒すことになるなんて思わなかった。だけど、なまえはありのままの私の方が好きだと言ってくれた。その言葉に甘え過ぎたのだろうか。あぁ、駄目だ。嫌な思考が止まらない。息が苦しい。胸が詰まる。涙が止まらない。
「えっと、もしかして最近昆を拒んでいること…?」
「…そう。そうだよ!」
「ごめん。ホルモンバランスが変わったからみたい」
「ホルモン…?なにそれ。どうしたらいいの?」
「大丈夫。多分一年後とかには元に戻るんだと思う」
「い、一年!?一年もこんな関係を続けろって!?」
「うん」
「嫌だよ!だって、私が近寄るだけで嫌がるじゃない」
「嫌がってないよ。ただ、気持ち悪くなるだけで」
「それ、もっと状況が悪いんだけど!?」
「ごめん。煙草のにおいが最近無理なんだよね…」
「は?今さら何!?」
どんな言い訳だ、それは。いや、本当のことなのかもしれないけど。じゃあ、禁煙したらいいのか。禁煙したらキスしてもいいのか。セックスを嫌がらないのか。違うだろう。
というか、気持ち悪いって言われた。気持ち悪いって…っ
「…もう駄目だ。生きていけない」
「そんなに?」
「もういい…もう普通に別れを告げてもらって構わない」
「またそんな自暴自棄になって」
「私はなまえよりも大切な存在なんてこの世にはいない。それを失ってまで生きていたいとは思えない。もう無理だ…」
「その考えは今日で改めてね」
「無理だ。私には無理だよ…」
「もう。父親になるんだから、ちゃんとして」
「あぁ、父親に…父親?えっ、誰が?」
「昆が」
「誰の?」
「この子の。ちゃんと生まれるまでには心の準備をして」
そう言ってなまえは腹を撫でた。子供?私の子供?本当に…?
私が疑わしいと言わんばかりの顔をすると、なまえは紙切れを渡してきた。白黒の写真にぼんやりと写る人らしきもの。丸まったその姿はドラマとかで見たことがあるような気がする。だけど、妊娠したら悪阻があるものではないのか。よくドラマで見るやつ。あと、食べられなくなったり食の嗜好が変わったり、酸っぱいものを食べたくなったりして…
「…あ。もしかして、最近食の嗜好が変わったのって…」
「うん。悪阻だったみたい」
「最近、眠かったり怠かったりするのも?」
「うん。妊娠しているからだって」
「だ、だけど、ドラマみたいな悪阻じゃないよね?」
「それ、先生に言ったら呆れられた」
でも、やっぱり悪阻と言えば「うっ…」ってなるやつだと思うよね、となまえは笑った。その表情は本当に嬉しそうで、嘘を言っているようには見えなかった。
指で白黒の写真をなぞる。つまり、この人らしき影がなまえの腹にいるということか。これが私の子供。私となまえの…
「あ。また泣くー。もう、子供に呆れられちゃうよ」
「だって…っ」
「ちょっとにおいに過敏になってるから煙草のにおいが嫌ってだけで、昆のことは嫌いになってない。本当だよ?」
「…うん」
「ねぇ、産んでもいい…よね?」
「何で駄目と言わないといけないの?いいに決まっている」
「よかった。嬉しい」
本当に嬉しそうに笑うなまえが愛しくて、抱き締めたくなった。だけど、拒まれることが怖くて立ち上がってからまた椅子に座ると、なまえは申し訳なさそうに笑いながら私の手を優しく握り、頬に当てて微笑んでくれた。その顔を見て、禁煙しようかな、と思った。いや、多分禁煙なんてそう簡単には出来ないだろう。だから口にはしない。
子供が遂に出来た。自分の子供というのは他人の子供よりも可愛く思えるものなのだろうか。特別な存在になるのだろうか。きっとなるだろう。だって、なまえが産んでくれる子なのだから。エコー写真でさえも可愛く思えたのだから。だから禁煙の辛さなんて大したことはない。それでまたなまえに触れられるようになれば儲けものだし、そうでなかったとしても子供のことを思えば頑張って辞められる気がした。
男の子だろうか、それとも女の子だろうか。ずっと女の子が欲しいと思っていたけど、いざ子供が出来たとなると、どちらでもいいと思えるようになった。健康に生まれてきてくれるのなら、どちらだって構わない。性別なんて関係ない。どちらでも間違いなく可愛いことは確実なのだろうから。
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