雑渡さんと一緒! 281


なまえに書類を見せられて、溜め息を吐く。なまえが隠していたのはことのとだったのか、と。
書類には出産する過程で急変する可能性があり、その責任は負えないと書かれていた。いつも手術の度に思うが、この責任逃れのような同意書はどうにかならないのだろうか。大切ななまえの身体にメスを入れる可能性があるのだ、命が脅かされる可能性があるのだ、ちゃんと責任を持ってやってもらわないと困る。まぁ、どこの病院でもこういう書面は交わすのだろう。要は万が一の時に裁判沙汰にならないように同意を取るということで、致し方のない作業なのかもしれない。


「…書いてくれる?」

「うん」

「本当?」

「だって、どこの病院でもこんなもの書かされるよ」

「そうなの?」

「なまえが骨を折った時には勝手になまえが、心臓の手術をする時には義父さんが勝手に書いたけどね。どうせちゃんと読みもせずに。そのへんに関してはもっとちゃんとしてよ」

「はぁい…」

「なに。私が反対すると思ったの?」

「まぁ…」

「そんなつまらないこと考えないでくれる?」


率直に言えば不愉快だ。確かに恐ろしいことが書かれているにはいるけど、それでも同意をしなければ出産は出来ないわけで。この現代で出産が原因で命を落とす妊婦は数少ないことだろう。そりゃあ心配でないかと言われたら心配だ。だけど、1%を遥かに下回っている確率のことまでは流石の私でもとやかく言わない。
書類にサインをして、なまえに乱雑に手渡す。どんな重大なことを隠されているのかとヒヤヒヤして損をした気分だ。


「だいたいねぇ、ヨルの家に掃除に行くなと言ったよね?」

「んー…」

「妊娠しているのに風呂から転落するって何なの!?」

「うん。ごめんなさい…」

「何もなかったからいいけど、何かあったらどうするつもりだったの?なまえはもう一人の身体じゃないんだからね」

「…はい。反省します」

「そうしなさい」


しゅん、と落ち込むなまえを見ていて、少し言い過ぎただろうかと反省する。自分一人の命ではないことなんてなまえが一番よく理解していることだろう。
いつもなら、こういう時には必ず煙草を吸って落ち着かせていたけど、今は煙草もやめているからどう気持ちを持っていけばいいのか分からない。謝るべきだろうか。いや、でもそれも違う気がする。だって、怒る時には怒らないとなまえは分からない子だ。多少の無理をしてでもいいと思っているような子なのだからこそ、ちゃんと言っておかなければならないだろう。まぁ、言い方はよくなかったかもしれないけど。


「…その、えっと、もう危ないことはしないで」

「うん…」

「分かっているとは思うけど、大切だから」

「うん…」

「ちゃんと二人で育てていきたいんだからね?」

「………」


そっとなまえが身体を預けてきたから肩を抱く。なまえの肩は震えていて、泣いていることが分かった。
どうして私は気の利いたことが言えないのだろう。素直に自分の気持ちを伝えてはいるけど、それが一概にいいとは言えないものだな。何でも伝えればいいというものではなく、言い方も考えないと。このへんの気の回し方は佐茂が上手そうだけど、私は全然駄目だなぁ。なまえが何を言われたら喜ぶのかなんて未だに分からない。ただでさえ頭に血が昇るとキツいことを言ってしまうのだ、フォローも覚えないとだな。


「…ねぇ、昆」

「んー…」

「私ね、昆と出会えて幸せだった」

「…なに。そんな急に」

「ありがとう。大好き…」


まるでこれから死ぬかのような言い方をするなまえを抱き締める。じわりと冷や汗が出た。息が苦しくなる。
出産の同意書に書かれていたリスクを見て不安になったのだろうか。いや、なまえはそんなことを心配するような子ではない。どちらかといえば楽観的な子だ。何でも大丈夫だと言って物事に果敢に挑んでいくところがある。なのに、なまえが不安になっているということは、まだ何かあるのではないだろうか。やはり、なまえは私に何かとんでもないことを隠しているのではないだろうか。それこそ、なまえの命に関わるような重大なことを。
なまえの顔を見ると、綺麗な涙を流していた。どこか精悍な顔つきをしていて、それが何とも美しくも儚くも見える。


「…出産が不安なの?」

「ううん…」

「じゃあ、どうして泣いているの?」

「あなたが不安なの…」

「私?」

「あなたは一人じゃない。忘れないでね」

「何でそんなことを…」


まるで私から離れていってしまうように聞こえる。なまえがいなくなったら私は真っ直ぐ立つことも、前を向いて歩くことも出来ないような人間だ。そんなことはもう嫌というほど分かっているだろう?なのに、どうしてそんなことを…
なまえは前にホルモンバランスがどうだとか言っていた。これはその一つなのだろうか。そうだ、情緒不安定になっているだけだ。だから私がちゃんとなまえを支えてあげないといけない。大丈夫だと言って安心させないといけない。不安になるな、なまえを信じろ。この子は私の子供を産んでくれようとしている。私がなまえを支えなくて誰が支えるんだ。
私はなまえに大丈夫だと何度も言おうとした。だけど、言葉が思うように出て来なかった。何なら「いなくならないで」と本音が出てしまった。それを聞いたなまえは益々泣いてしまい、しばらく二人で抱き合いながら過ごした。


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