雑渡さんと一緒! 282
「ココア、チョコ、モカ…」
「却下」
「どうしてよ。可愛いじゃん」
「イメージが沸かない」
「ココアおいでーって言ってる自分を想像して」
「無理。もっと普通の名前にしようよ」
「何よ、普通って。花子とか?」
「まぁ、そんな感じの名前がいいよ」
「ナンバーワンでオンリーワンの時代なのに?」
「その発想がそもそも理解し難いね」
名付け辞典を見ながら子供の名前を二人で書き出す。昆は花の名前ばかり書き出したし、私は食べ物の名前ばかり書き出した。「いちご」とか「桃」とか可愛いのに。まぁ、昆の提案する「桜」とか「すみれ」も可愛いけど。
いよいよ私は23週を迎えようとしている。お腹も随分と目立つようになってきた。胎動なんて激し過ぎて少しびっくりしているくらいだ。ぐにーっとお腹が動いた時なんて何が起きたのか分からずに少しパニックになったくらい。昆はというと、元気な子だと喜んでいた。女の子だと確定してから昆はそれはそれは浮き足立っていた。大喜びして、家にはまだ生まれるまで何ヶ月もあるのに子供の玩具や服が揃い始め、絵本棚は既に埋まりそうだ。ちょっと浮かれ過ぎなくらいだ。
「はぁー。早く生まれてきてほしいなぁ」
「まだ早いよ」
「もうね、早くパパって呼んで欲しくて」
「相当早いよ」
「並んで歩いたら恋人と間違えられたり」
「何年後の想像をしてるの!?」
まだ22週なのに。言葉を発するどころか、生まれてもいないのに、そんな何十年後も先のことを考えているなんて。
悪阻も無事になくなり、私は昆の側にいても平気になった。だけど、昆はちゃんと煙草はやめてくれている。もう二度と吸わないの?と聞くと「分からない」と言うけど、煙草もお酒も絶ってくれていた。別に我慢しなくてもいいのに、と私が言うと、自分が出来る数少ないことだからと言われた。昆のその気持ちが嬉しかった。
こんなにも素敵な人なんだから私がいなくなったら再婚とかするのかな。私に笑い掛けるように優しい笑顔を他の人に向けて、私に触れるように愛しそうに他の人を愛する。嫌だなぁ…だけど、仕方がない。昆には幸せになってもらいたいから、再婚してもらっても構わない。だけど、子供のことはちゃんと可愛がって欲しいし、連れ子だけど我が子のように可愛がってくれる人がいいな。私のことは別に忘れてくれて構わない。むしろ、忘れてもらわないと困る。そうでなければ昆はずっと私に縛られてしまうから。大丈夫、私は私であの世でいい人を見つけるから。うん、そうだよ。そうしよう。
「…なに?何か不快なことを考えてるね」
「いや、別に?」
「怒らないから言ってごらん」
「昆が再婚するならどんな人がいいかなって」
「は!?なに、別れたいってこと!?」
「ううん。別れたくない」
「じゃあ何!?喧嘩売ってるの!?」
「違うよ。というか、怒らないって言ったのに」
「怒るようなことを言うからでしょ!?」
「約束は守ってよ」
嘘つきは泥棒の始まりだよー、と私が言いながら昆を指さすと、腕を掴まれて強引にキスしてきた。いくら悪阻が落ち着いたからって、こんなキスはやめて欲しい。したくなっちゃったらどうするのよ。あれ、妊娠中ってそういうことはしてもいいのかな?ネットで調べないと。
久しぶりにした舌を絡めるいやらしいキスは何とも言い難いものだった。全然、煙草のにおいがしなくて、むしろどこか物足りなかったり。そんなこと昆には絶対に言えないけど。
「仮になまえと離れることになったとしても私は誰とも再婚などしない。私の心と愛はなまえにしか捧げる気はない」
「やだ、おもーい」
「重くて結構。あと、その話し方ムカつくからやめて」
「ねぇ、昆。私がいなくなっても死んだら駄目だよ?」
「何でそんな不吉なことを言うの」
「お願い。ちゃんと今世では生きて幸せになって」
あなたの幸せは私の幸せなの。そこに私がいなくても、それは決して揺らがない。私はそのくらい深く昆を愛している。
昆は何かを感じ取っている様子だった。元々、勘の鋭い人なのだから、むしろよくここまで隠し通せたと思う。来週の検診は昆も来る?と聞くと、二つ返事が返ってきた。そこで先生に説明してもらおう。いや、病院に行く前の方がいいのかな。駄目か、動揺して事故に遭ったら困るし。
そして遂にXデーを迎えた。産婦人科に付き添うためだけにわざわざ有給を申請するなんて、と思うし、それを認められる職場というのも凄いと思う。一応、まだ会社には内緒にしているから「妻の通院に付き添うため」という名目で休んだみたいだけど。タソガレドキ社って案外ホワイトな企業なのだろうか。昆は絶対にブラックだといつもいつも言っているけど、なかなか恵まれた職場だと思う。素敵な社長さんや部下に恵まれた昆。だけど、それは全て昆の努力の結果だ。優しいくせに人付き合いが決して上手とはいえない昆を分かってくれる人たちが側にいてくれてよかった。本当によかった。
「ねぇ、昆。これが終わったらお父さんに報告に行きたい」
「あぁ、そうだね」
「その前にお母さんのお墓に寄ってもいい?」
「うん。お義母さんにも報告しないと」
「お母さん、何て言うかなぁ。怒るかなぁ」
「何で?」
首を傾げる昆の手を握る。多分、お父さんもお母さんも昆も私のことを怒ると思う。昆に至っては泣くと思う。私のことを泣きながら怒って、きっと自分を責める。ごめんね、私は自分勝手で。だけど、過去に産めなかった子供をどうしても私は産みたかった。どうしても昆に子供を抱かせたかった。
「ねぇ、昆…」
「ん」
「愛してるよ」
「えっ、なに急に…」
ギョッとした昆の手を握り直す。そうね、人前でこんなことは普段の私なら絶対に言わないもの。だから、動揺もするよね。ましてや、今は何となく感じている不穏な空気があるから、余計に不安を煽ってしまったかもしれない。だけど、これは私の本音だから。深く追求しないでくれてありがとう。きっと、妊娠してナーバスになっているから、とか、出産に向けて不安な気持ちがあるから、とか、たくさん考えてくれたんだよね。普段だったら私にもっと追求するもの。私のためを思って昆が不安になっても、その不安を吐露することを我慢してくれていたんだって、ちゃんと分かってるよ。なのに、これからもっと不安になるような話をしなければいけない。ごめんね、許して欲しいなんて言わないから。だけど、分かって。私はあなたが好き。世界中の誰よりも昆が好き。
私の受付番号が呼ばれた。行こう、と昆と診察室に入る。どうか昆が生きることに絶望しませんように、と祈りながら。
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