雑渡さんと一緒! 283
いつもそうだ。悪い予感ほど当たってしまう。それは私の動物的勘が冴えているからなのか、それともなまえのことを愛しているからなのかは分からない。だけど、なまえが私に何かを隠しているような気がしてならなかった。それは日を追うごとに強まり、なまえを深く追及しようと何度も思った。だけど、なまえは妊娠しているから不安に駆られているだけだと自分に言い聞かせてきた。私には分からない不安もなまえにはあることだろう。そう思ったから、不安をさらに助長させるような真似はしたくなくて深くは言わなかった。
「お、おぉ…」
「順調ですね」
初めて生で見たエコーというのは、なかなかに感慨深いものだった。凄いなぁ、本当に子供がいるんだ。この子が私となまえの子供かぁ…と思うと、少し泣きそうになった。
そう、ここまではよかった。ここまでは幸せだったんだ。
「そうだ。私、立ち会い出産がしたい」
「それは少し難しいかもしれません」
「ここではやっていない、ということですか?」
「いいえ。雑渡さんは難しいということです」
「…なまえが?」
「先生。夫にあのことを説明してもらっていいですか?」
「構いませんが…まさか、お話されていないんですか」
「…実は」
「救急外来でちゃんと話し合うと聞きましたけど?」
「えへ…言えませんでした」
「えっ。なに…」
「雑渡さん。奥様はハイリスク妊婦に該当します」
そもそも心臓が丈夫ではないところに加えての出産自体がハイリスクであること、薬の影響で出血が止まらなくなる可能性が高いことを説明された。ペラペラと難しいことを言うのは相変わらずで、これだから医者は嫌いなんだと溜め息を吐きたい。なのに、息が出来ていないのではないかと思うほど息苦しくて出来なかった。
ハイリスク?なまえはそれを知っていたのか、となまえの顔を見て、絶望した。やはりなまえは私に隠し事をしていた。それも、こんな重大なことを。命に関わるのではないのか。
「リスク…は、絶対…ですか…?」
「それは出血や心停止の確率のことですか?」
「そ、そうです…」
「雑渡さんの場合は70%ほどです」
「…起きない可能性が?」
「いいえ。70%の確率で出血すると思って下さい」
視界が暗くなった。70%?何だ、その数値は。私は1%にも満たないリスクだから出産の同意書にサインした。70%だったらサインなんてしていない。許可なんてしない。
今にも椅子から倒れそうになるのを必死に堪える。素人ながらにどうにかなまえが助かる方法を模索したけど、辿り着く答えは一つしかなかった。子供を諦めるしかない。改めてモニターのエコーを眺める。私たちの元にきてくれてありがとう。本当に君に会える日を楽しみにしていたよ。だけど、ごめんね。私はなまえを失うわけにはいかないんだ。例え君がこの世に生まれてきたとしても、なまえがいなければ私は生きていくことが出来ない。そんな弱い人間なんだ。前世でも私は君を抱くことが出来なかったけど、今世でも私は抱けそうにない。本当は抱き締めたかった。だけど、だけど私は…
「…堕します。子供は諦めます」
「雑渡さん。それはもう間に合いません」
「は…?」
「23週を過ぎると子供は堕ろせなくなります」
「な…っ」
だから23週か。だからなまえはあんなにも23週に拘っていたのか。リスクがあることを私が知れば反対されると分かった上で私に隠していた。そういうことなのか。
なまえを睨むと、なまえは落ち着いた声で医者に言った。
「どうにか立ち合わせてあげて下さい」
「出血することを前提で、ですか?」
「そうです。もう最期かもしれないから…」
そう言ってなまえは俯いた。最期?お前、死ぬことを受け入れているとでもいうのか。そこまで考えているのか?いないだろう!死とは恐ろしいものだ。未知だからこそ言いようのない恐怖を覚える。ましてや、なまえは前世の記憶がある。死ぬ間際の辛さだって知っているだろう。なのに、死が恐ろしくないはずがない。そうだろう!?
それからどうやって診察室を出たのかよく覚えていない。気が付いたら車に乗っていた。エンジンをかけてハンドルを握り、どこに行くんだっけと考えているうちに、少しずつ現実に戻っていく。医者に言われたことを反芻すると涙が出た。
「嘘つき。もう隠し事しないって…っ」
「昆のためだと思ったらするって言ったよ?」
「何が私のためだ!私を想うなら…」
「私はね、昆がいたらそれで幸せだった」
「私だってそうだ!私だってなまえさえいればいい!」
「ごめんね、幸せの形が変わったの。泣かないで」
泣かせたのは誰だ、なまえだろう!そう言いたかったのに、もう声が出なかった。もう後戻りは出来ない。もうリスクがあろうがなかろうが産むことしか出来ない。なまえが死なない僅かな可能性だけを信じて生きなければならない。私が泣き喚いたところで状況が何か変わるわけではない。そんなこと分かっている。なまえを責めたって仕方がないことも、子供を呪ったって何の意味もないことも分かっている。ただ、どう気持ちを整理していいのか分からなかった。
結局、お義母さんの墓参りにも、義父さんに報告にも行けなかった。涙で前が見えなかったから、代行を呼んだくらいだ。家に帰って失意のまま布団に潜り、泣いた。家を出る時にはあんなにも愛しいと感じていた子供に対し、もう愛情など微塵も感じなかった。お前さえいなければなまえは助かるのに。ずっと私の側にいてくれるのに。そんな醜いことを考えてしまう自分が嫌で、泣いて。もう自分が何に対して泣いているのかさえ分からなくなるほどの悲しみのまま丸まっていると、いつの間にか私は眠ってしまった。
「ねぇ、パパ。肩車して」
「ん。おいで」
「ママー。見て、みーちゃん大きくなったの」
「もう。パパ、重いってよ?」
「大丈夫。軽いもんねぇ?」
「軽いもんねぇ?」
「また腰が痛くなっても知らないからね」
三人で海岸を歩きながら女の子を肩に乗せる夢を見た。ちゃんとなまえは私の隣にいてくれた。陽が沈んでいくのを眺めながら、何てありふれていて、そして幸せなのだろうかと思った。こんな幸せな未来が来るのだろうか。
そんなこと、どうだっていい。なまえを危険に晒してまで得たいほどの未来ではない。なのに、頭上から聞こえてくる声が可愛くて可愛くて堪らなくて、涙が出た。私はどうなっても構わない。だからなまえと娘を助けて欲しい。あぁ、なまえもこんな気持ちなのだろうか。だけど、そう簡単には受け入れられそうもない。ごめんね、"みーちゃん"。弱いパパでごめん。だから、どうか無事に生まれてきてはくれないだろうか。なまえと一緒じゃないとこの未来は完成しないんだ。なまえは幸せの形が変わったと言った。だけど、私の幸せの形は変わらない。いつも、いつだってなまえがいないと私は幸せになれない。これは変わらないし、変えたくないから。
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