雑渡さんと一緒! 284
「…いってくる」
「いってらっしゃい」
あの日以来、昆の元気がない。毎日泣いているし、頑張って禁煙していたのにまた煙草を吸い始めた。帰りが異様に遅い日は物凄くお酒くさいし。だけど、私はそれを責めることが出来ない。こうなることも分かった上で産むと決めた。
さて、とノートの続きを書く。昆が好きな料理のレシピを書き綴る。これさえあれば作れるように丁寧に分量を書き記した。私がいなくなってもちゃんとご飯を食べて欲しいから。ちゃんと野菜を食べて欲しいから。身体を壊さずに頑張って欲しいから。一文字一文字丁寧に書いていると、電話が鳴った。誰からかは何となく分かったから、一呼吸置いて出る。
「あっ、なまえ?何なのよ、さっきのLINEは」
「きぃちゃん、久し振りだね」
「そんなこと言ってんじゃないの!何って聞いてんのよ!」
「もう、怒鳴らないでよ。胎教に悪いよ?」
「あんたのLINEの方が胎教に悪いわ!馬鹿!大馬鹿!」
きぃちゃんに妊娠していること、それから出血のリスクがあることをLINEで伝えた。そんなことを言いたいから告げたわけではない。佐茂さんにどうしても伝えたいことがあったからだ。だけど、きぃちゃんは私のことを馬鹿だと罵り、そして泣いた。ごめんね、本当に胎教に悪いね。
ノートを閉じてからメモに佐茂さんの名前を書く。後は照星さんとヨルにも伝えないと。皆さん、迷惑を掛けてしまってごめんなさい。だけど、どうかよろしくお願いします。
「ねぇ、きぃちゃん。佐茂さんに昆の力になって欲しいってお願いしてもらってもいいかな?昆、落ち込んでるから…」
「当たり前でしょ!雑渡さんなら泣くわよ、そりゃあ」
「うん…」
「何で雑渡さんに相談しなかったのよ!?」
「どうしても産みたくて。どうしても昆を父親にしたくて」
「はぁ!?なまえが死ぬかもしれないのに!?」
「ねぇ、きぃちゃん。生きるって何だと思う?」
昆はきっと私が死んだら後を追う。だけど、私は今回の出産に関係なく、昆よりも先に死ぬかもしれない。人生何があるか分からないんだ、そんなこともあるだろう。だけど私は今世では昆には後を追って欲しくなかった。生きて、幸せになって欲しかった。本当は前世でもそうして欲しかった。それで、あの世でたくさん昆から話を聞きたかった。辛いこともあったけど、幸せな人生だったと言って笑って欲しかった。
「なに。子供がいたら雑渡さんが死なないって?」
「そう」
「あんたね、子供を何だと思ってんの!?」
「も、もちろん子供も可愛いと思ってるよ?そんな利用するために産むなんてことはない。だけどね、私は昆に生きる希望を持って欲しかったの。生きてさえいたら、楽しいことだってあるでしょ?私は昆には子供と二人で生きて欲しいの」
「それ、雑渡さんが聞いたら怒るわよ」
「そう…だろうけどさぁ…」
「自分勝手。自己満足。最低。馬鹿。本当、馬鹿」
「うー…」
「雑渡さんが大切なのは誰!?」
「私です…」
「なまえが大切なのは誰!?」
「昆」
「私が言いたいのは、ちゃんと話し合えってこと!それと、子供を利用しようとしないで!なまえのはただの言い訳!」
「わぁ、刺さるなぁ…」
相変わらず、手厳しいなぁ。だけど、きぃちゃんは私のためを思って言ってくれているって分かっている。それに、ちゃんとお願いしたことを佐茂さんに伝えてくれる。多分、怒りながらだろうけど。後は佐茂さんに判断してもらおう。
次にヨルに連絡した。ヨルは私のことをやっぱり馬鹿だと言ったし、昆のことが可哀想だとは思わないのかと言った。何も言い返す言葉がなくて、そうだねとだけ言うと、ヨルは溜息を吐いた。だけど、それ以上は何も言われなかった。そして、昆のことを支えてあげて欲しいと言うと、きぃちゃんみたく「自分勝手」だと言われた。こうも続けて言われると非常に申し訳なくなる。だけど、仕方がないじゃない。昆はもう私の言葉なんて聞き入れてくれない。そのくらい心を閉ざしている。昆はすぐに食欲がなくなってしまうし、お酒だって滅茶苦茶飲んでいそうだし、夜もあまり眠れていないようだから。このまま身体を壊されるくらいなら、私がどんなに駄目で自分勝手な人間だと思われても構わなかった。
照星さんにも連絡を…と思ったけど、残念ながら照星さんの連絡先が分からなくて連絡出来なかった。照星さんにも力になって欲しかったんだけどなぁ。照星さんなら私がお願いしなくても昆のピンチを悟ってくれないかな。流石に無理かな。
「…ただいま」
「おかえり。ご飯は?」
「いらない…」
「…そっか」
ピーっとラップをかけて冷蔵庫にしまい、一人で食べる。昆は既に異様にお酒のにおいがした。どこで飲んでいるんだろう。どこかお店に寄っているような感じではない。
その場所は翌日、判明した。スーパーに買い物に行こうと歩いていると、珍しく車が駐車場に停まっていたのだ。昆は車を使ったり、電車を使ったりしながら通勤しているから、今日は使わない日なのか、と掃除をしようとした。すると、車に信じられない量の空き缶が転がっていた。おまけに煙草くさい。営業にも使う車だからと決して車では煙草を吸わない人だったのに。まさか飲酒運転をしている…というわけではないだろう。ということは、昆は駐車場に帰ってきてから飲んで、家に帰ってきているということなの?私と顔を合わせる前にどうしても飲みたいから?それとも、家に長くいたくないから?何にしても状況がとても悪いことには変わらない。
「あーあ、折角の高級車なのに…」
缶を片付けて、換気しながらマットを掃除していると煙草の吸い殻が山のように落ちていることに気付いた。火事にでもなったらどうするつもりなのだろうか。
ごめんね、昆。こんなに追い込むようなことをしてごめんなさい。私のことは許さなくていい。だけど、自分のことも子供のことも責めないで。昆はよく言っていた。子供は愛されるために生まれてくるべきだ、と。だから子供のことは愛してあげてね。それに、昆も愛されるために生まれてきたんだよ。もちろん、私は昆を愛している。だけど、昆は他の人にも愛されているんだよ。それを忘れないで。
泣きながら車の掃除をして、外を眺めると綺麗な青空に白い雲が一筋見えた。この空を昆も見ているだろうか。彼は今、幸せではないかもしれない。だけど、彼が歩む未来はどうか幸せであって欲しい。例えそこに私がいなくても。
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