雑渡さんと一緒! 288


「…よく聞こえなかったから、もう一度いいか」

「だから、妊娠したの」

「で、もしかしたらなまえは死ぬかもしれない」

「は…はぁ!?お前ら、何を考えているんだ!」

「いや、私だって止められるものなら止めたかったよ」

「じゃあ何故止めなかったんだ!?」

「だって堕ろせない週数に聞かされたから。私も被害者だ」

「何よ、被害者って。そういう言い方はよくない」

「被害者でしょ。一言くらい相談して欲しかった」

「そしたら、堕ろせって言ったでしょ?」

「そうだろうね」

「ね。だから黙ってて正解だったんだよ」

「何が正解だ、馬鹿!」

「本当、馬鹿。未だに信じられない」

「み、みーちゃんに会えるんだから、いいでしょ」


昆とお父さんに同時に怒られてしまい、思わず子供の名前を出す。昆とたくさん話し合って、名前は「未來」に決まった。どうして昆がそんなに"み"から始まる名前に拘ったのかは分からない。だけど、頑なに昆は譲らなかった。
お腹がぽっこりと大きくなった姿で現れた私を見て、お父さんは度肝を抜かれたような顔をしたから、少し面白かった。


「お前たち、もう覚悟は決まっているのか」

「いや、だって決めないと」

「私が死んだら昆のこと、よろしくね」

「そういう不吉な会話は禁止」

「でも、大切なことだから…」

「駄目。言霊というものがあるんだから」

「昆、そんなスピリチュアルな人だっけ」

「なまえが助かるのなら何だって構わない」


きっぱりと言う昆を私は呆れたように見たけど、お父さんは何となく理解してそうな顔をしていた。この二人、段々似てきたんじゃないだろうか。合わないように見えて合うというか。男の人って難しい。
何にしても、お父さんに報告を済ませてから家に帰る。梨を貰ったから、しょりしょりと皮を剥き、昆の口に入れる。


「ん。ありがと」

「あ、甘い」

「果物ばかり欲するね」

「よくないかなぁ」

「まぁ、果糖は太るからね。体重は?」

「ほんのり増えた」

「まだ、ほんのりとなの?」

「もう少ししたら増えるよ、多分」

「増え過ぎもよくないからね」

「分かってる」


ペラペラと妊婦用の雑誌を眺める昆は多分、私よりも詳しいと思う。元々、昆は勉強熱心な人だから、というのもあるのだろうけど、私のためにたくさん知識を得ようとしてくれていた。その気持ちが嬉しかったし、愛しかった。
おばあちゃんから届いたハーブティーを飲みながら、昆に体重を預ける。電話で報告したら、おばあちゃんは鼻を啜りながら泣いていた。昆は申し訳なさそうに何度も何度も電話口で謝っていた。だけど、私のことも昆のことも怒ったり、責めたりしなかった。出産が近付いたら日本に応援に来てくれると言ってくれたおばあちゃん。出産のことは何も分からないから、経験者がいてくれるというのは心強かった。


「予定日がクリスマスっていいよね」

「何で?」

「世界中の人にお祝いしてもらえるから」

「あぁ、成る程」

「残念ながら昆は忙しいけどね」

「毎年、有給取れるかなぁ…」

「みーちゃんのために有給まで取るの?」

「そうでなかったら帰りが遅くなるからね。半休とか?」

「どうにか11月か1月にズラしたいよね」

「何言ってるの。正産期からズレるのはよくないよ」

「あら、そうですか」


本当、詳しくなっちゃって。ペラリと雑誌をめくる昆の手がピタリと止まった。そんな見入るような特集でもされていたのだろうかと雑誌を覗くと、妊娠中の性行為について書かれていた。注意点から、丁寧にも体位まで詳しく書いてある。
妊娠したと昆に告げてから、私たちは一度もそういった行為はしていなかった。あんなにも性に対して奔放な人だったのに、キス以上のことは一切してこない。少し寂しいくらい。


「…ねぇ、する?」

「しない」

「したくないの?」

「ない」

「私のお腹が大きいから、魅力がない…?」

「いいや。そういう意味ではない」

「じゃあ、何?」

「未來に影響があったら困るから、しない」


きっぱりと言い切った昆はまたペラペラと雑誌をめくり始めた。ベビーカーやチャイルドシートのページを食いるように見ている。そうね、チャイルドシートがないと退院する時に困るものね。あ、その赤いの可愛い。
そうか、しないのかぁ。ちょっとしたかったんだけどなぁ…


「ねぇ、しようよ…」

「しないって」

「ちょっとだけ。ね?」

「しついこよ」

「…まさか、浮気していたり」

「怒るよ」

「じゃあ、一人でしてるの?」

「…普通聞くかな、そういうことを」

「だって!昆としたいんだもん!」


私が言うのもあれだけど、私から誘うなんてレアなんだからね?これを逃したら、もう二度と誘わないかもよ?昆の肌が恋しい。あの切なげな表情も、掠れた声も懐かし過ぎて愛しい。ちょっと辛いと思ったらすぐに言うから。だから、したい。私がしつこく言うと、昆は溜め息を吐いた。


「なまえ。本音を言えば、私だってしたいよ、そりゃあ」

「じゃあ…」

「だけど、もしそのせいでなまえと未來に何かあったら私は自分を許せない。私は二人のことを大切にしたいんだ」

「で、でもさぁ…」

「大丈夫。未來が生まれたら毎日嫌になるほどするから」

「…それはそれで嫌」

「いいや、する。絶対にするから、覚悟しておきなさい」


ぐしゃぐしゃと頭を撫でられ、ポイっと雑誌を放った昆は私に宝石のようなゼリーを冷蔵庫から取ってきてくれた。中には色とりどりのフルーツが入っていて、おまけに可愛いお花の形をしたゼリーは果汁が多いのだろう、とても美味しかった。これが高級であることくらい聞かなくても分かる。
昆は仕事から帰る度に毎日のように私に何かを買ってきてくれた。それは果物だったり、ゼリーだったり、ハーブティーやデカフェの紅茶だったり。本当に色んな物を買ってきてくれた。どれもこれもスーパーやコンビニで見かけるものではなくて、そして、信じられないくらい美味しいものばかりだった。私がお肉が食べたいと言えば毎日高級なお肉を買ってきたことだろう。嗜好があっさりとした物でよかった。この人なら毎日A5ランクの松坂牛を本当に買ってきそう。


「わぁ、美味しい…」

「そう」

「でもね、もう買って来なくていいよ」

「どうして?」

「お金が勿体無いから」

「私の小遣いから買っているんだから、いいじゃない」

「昆が使う分がなくなっちゃうよ?」

「いいよ。煙草も酒も弁当も買わなくなったんだから」

「たまには昼に陣内さんとかとご飯に行ったら?」

「いいって。私はなまえの作る弁当の方が好きなんだから」


だから、明日の弁当には蓮根のきんぴらを入れてね、とおねだりされ、ずりすりと首筋に擦り寄られる。
昆と結婚してよかった。私は幸せだなぁ、こんなにも愛してもらえているのだから。ねぇ、未來。あなたのパパは見た目も中身もすごくかっこいいんだよ?未來の初恋の人になっちゃう可能性があるくらい。少し大きくなったら、パパの素敵なところを二人で話そうね。そうしたら、きっとパパは照れて真っ赤になっちゃうの。そんな照れた顔だって可愛いんだから。だからね、未來。無事に生まれてきて。パパもママもあなたを待っているよ。もちろん、おじいちゃんも、ひいおばあちゃんも待っているんだから。あなたは生まれる前から多くの人に愛されているの。だけど、生まれたら、もっと多くの人に愛されるからね。人に愛されるって幸せなことなんだよ。本当に多くの力をもらえるの。それはママが保証するから。ママはパパに愛されて、こんなにも幸せなのだから。


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