雑渡さんと一緒! 289


なまえのお腹が急に大きくなった。本当に急に。最後の三ヶ月で急激に大きくなるとの知識は得ていたものの、こうも急に大きくなられると驚きを隠せない。
順調に未來は育っていた。時になまえの腹からはっきりと手の形が分かるほど押してきたりすることもあるくらい元気に。どうもかなり暴れん坊な子のようだ。初めは生まれたら女の子らしく育てないとと考えていたが、もうそんなことも思わない。元気に生まれてきてくれて、健やかに育ってくれればいい。なまえに似て欲しいという想いは変わらないけど。間違っても私には似ないで欲しい。顔も性格も。私の遺伝子が一ミリも感じられないくらい似ていなくたって全然構わない。その方が多分、可愛がれるから。


「じゃあ、いってくるね」

「いってらっしゃい」

「未來。お利口にしてるんだよー」

「まだ寝てるよ」

「そうなの?動かない?」

「うん。昆に似てよく寝る子なのかも」

「そりゃあいい。寝る子は育つ、だよ」

「…朝は一人で起きれる子がいいんだけど」

「さぁ、それは生まれてからのお楽しみだ」


いつものように未來に声を掛け、なまえにキスをしてから家を出る。いよいよ寒くなってきた。私もそうだったけど、冬に生まれるというの大変なのではないだろうか。温かい腹の中から急に外の世界に出され、それが寒かったらうんざりしないだろうか。風邪でもひいたら一大事だ。まぁ、私も流石に生まれたばかりのことなど覚えていないのだけど。
仕事を一つずつ片付けてから、年度末に向けての作業を開始する。出産休暇だの育児休暇だのが与えられるほどホワイトでもなければ暇でもない我が社において、未來が生まれる頃に早く帰宅すること自体が非常に厳しい。それでも、部下たちは気にせずに休んでいいと言ってくれたし、いつでも早退して構わないと言ってくれた。有り難いことだし、お言葉に甘えたいところなのだが、それでも大手を振って休んでいいというものでもないだろう。出来る限りのことはしておかなければならない。残業するのなら、12月よりも今の方が絶対にいい。予定日の前後一週間は少なくともいつでも帰れるようにしたいし、いつでも休めるように整えておきたかった。


「いよいよですね」

「あぁ、そうだね」

「もう随分と大きくなったのではありませんか?」

「そう。あと、元気。非常に活発」

「それはいいことですね」

「そうだね。早く会いたいよ」


もしかしたら出産が原因でなまえは死ぬかもしれないけど、という言葉は飲み込んだ。ネガティブなことばかり考えても仕方がないし、なまえも未來も元気だから、死ぬ可能性があるなんて思えなかった。母子共に元気に生まれてきてくれればそれでいい、なんて月並みな台詞だと思っていたが、本当にそうだ。それ以上の願いなどない。
仕事の帰りにデパートに寄る。さて、今日は何にしよう。毎日なまえに何かしら購入してから帰宅する癖がついてしまった。体重が思うように伸び悩んでいるみたいだから、と始めたことだったが、なかなかに楽しい。自分は口にはしないから美味しいかどうかなど分からない。だけど、なまえはどれも美味しいと言って喜んでくれた。本当に嬉しそうに笑うものだから、こっちまで嬉しくなってしまう。果物屋を物色していると、綺麗な色の蜜柑が目に入った。小ぶりではあるものの、初物なのではないだろうか。あぁ、もう冬だなぁ。
蜜柑を購入して家に帰ると、なまえが泣きながら鞄に母子手帳を詰めていた。悲痛な顔をしていて思わずヒヤリとする。


「な、なに…何かあった?」

「昆…どうしよう、ないの…」

「えっ、何が…」

「今日、ずっと胎動がないの…」

「えぇ!?」


胎動がない?昨日まであんなにも元気に動いていたではないか。確かに今朝は胎動がないと言っていた。だけど、まさか今日一日ずっと胎動がなかったのか?
なまえを連れて慌てて病院に行く。もし未來が死んでいたらどうしよう。いや、死んでいなくとも弱っていたらどうしよう。未來が元気かどうかを知ることが出来るのは胎動だけだった。他に知る方法は病院に行かない限りない。だからなまえは毎日胎動があるのかチェックしていた。家に帰ると今日はいつもよりも元気だったとか、今日は吃逆が止まらなくて可哀想だったとか教えてくれていた。だからなまえはもっと早くに胎動がないことに気付いていたはずだ。なのに、何故もっと早く病院に行こうとしなかったのだろうか。
責めたような口調に思わずなってしまい、口をつぐむと、なまえは泣きながら「大きくなったから胎動がなくなったと思った」と言った。そんなはずないだろう。例え動きは減ろうとも、胎動はなくならない。そう助産師に言われていたではないか。あぁ、こんなことになるのならデパートになんか寄らずに真っ直ぐ帰って来ればよかった。判断を誤った。
私が後悔のあまり溜め息を吐くと、なまえはまた泣いた。


「ごめんなさい…っ」

「あぁ、ごめん。なまえを責めているわけじゃないんだ」

「でも、私しかみーちゃんの異変に気付かないのに…」

「大丈夫。きっと、未來は元気だよ。それより寒くない?」

「ん、平気…」

「ほら、マフラーを巻きなさい。ここは少し寒い」


救急外来の待合室は少し寒くて、なまえの身体が冷えないようにマフラーを巻く。肩を抱いて、未來の無事を願っていると、名前が呼ばれた。
診察室に入ると、いつもの産婦人科医がいた。見知った顔で安心しつつ、エコーの画面をじっと見つめる。つい先日見た時とあまり変わっていないように見える。未來、生きて。お願いだから生きてよ。こんな別れなんて私は認められない。


「あぁ、これは…」

「ど、どうですか?」

「寝ていますね」

「へ…っ」

「というのは、まぁ嘘で」

「せ、先生!冗談はやめて下さい!こっちは真剣に…」

「もう9ヶ月ですからね。動きは小さくなるんですよ」

「う、動いています…?」

「心配なら、心音を聞きましょうか」


診察室にいつも聞く、心音なのかどうかも疑わしい音が鳴り響く。ちゃんといつも通り聞こえるけど…となまえを見ると、小さな声で「あ」と言い、泣き出した。


「動いた。動いてる…」

「本当?」

「うん。ちゃんと動いた。よかったぁ…っ」

「順調に大きくなってますからね」

「はい。はい…っ」

「まぁ、少し小さいのが気になりますけど」

「ち、小さいんですか…!?」

「お母さん想いの子なのかな。きっと安産になりますよ」


優しく笑ってくれた医者に頭を下げてから自販機で温かいココアを購入し、車で家に帰る。未來に何ともなくてよかったし、医者に安産だと言われると気休めでもホッとする。
家に帰って夕飯を食べていると、なまえが悲鳴をあげた。


「い…たぁ…っ」

「えっ。まさか…まさか陣痛!?」

「違うの。みーちゃんに蹴られた」

「あー。未來はパパが好きだから、日中は体力を温存していたんだね。ごめんね、明日からは早く帰ってくるからね」

「本当にそんな気がする…」

「ふふ。生まれたら甘やかしてあげるからね」

「もう。教育上よくないよ」

「違う、甘やかすのはなまえのことだよ」

「私?」

「我が儘を何でも聞いてあげるからね」

「もう十分甘やかされてるよ…」


買ってきた蜜柑を食べながらなまえは頬を染めた。この程度とはなまえは欲がないな。なまえのためなら何だって買ってあげるし、どこへだって連れていってあげるのに。
もう、寄り道するのはやめよう。早く家に帰って、なまえを安心させないと。今日一日、一人でどれだけ不安だったことだろう。いつだって連絡してきてくれて構わないのに。
というか、陣痛がきたら絶対に連絡してよ、事後報告なんかしたら許さないから。私がそう言うと、なまえは流石にちゃんと連絡すると言った。まぁ、アキさんが来週から来てくれるから大丈夫だろう。いよいよなまえの出産予定日まで明日で一ヶ月を切る。未來、もうすぐ会えるね。会ったらまず何を言おうか。抱き締めて、温もりを感じるんだ。そう考えるだけでとても幸せで、とても温かい気持ちになった。


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