雑渡さんと一緒! 295
こんなにも緊張して自分の名前を買いたのは婚姻届を書いた時ぶりかもしれない。書き終えてから、漢字が間違っていないかを何度も確認した。
鞄に大切にしまってから隣で寛いでいたカイを撫でると、クロが私を引っ掻いてきた。心配しなくてもクロのことも好きだよ、と撫でるために手を伸ばすと逃げていってしまった。あれかな、これは俗に言うツンデレってやつなのかな。
「お婿さん、今日は遅いのかい」
「どうかな。普通」
「今日、ハルが来るんだよ」
「あぁ。じゃあ迎えに行く」
「悪いね。頼めるかい」
「ん。その足で未來に会いに行くよ」
「なまえに会いにいくんじゃないのかい」
「なまえの面会時間、厳しいからね」
「はぁー。一日に何度未來に会いに行ってるんだ」
「え?たったの3回だよ」
会うといっても遠くから眺めるだけだし。早く家に連れて帰りたい。だけど、それは叶わない。なまえの退院が予定よりも伸びているからだ。未來だけ先に退院するという方法がとれなくもないようだけど、私は平日は仕事に行かなければならないし、なまえから未來を切り離すことはあまりしたくない。授乳もあるし、離れていると不安なようだから。
家を出てから病院に寄る。私がガラス越しに未來を眺めていると、流石に顔を覚えられたのだろう。また来た、という顔をされた。来るさ、そりゃあ。あの子はなまえが命をかけて産んでくれた大切な私の宝物だ。私がなまえの他に愛しいと感じた、特別な存在なのだ。元気か気になるし、毎回違う表情を見せてくれるから見逃せない。本当はなまえにも会いたいんだけどなぁ…と思いながら未來を眺めていると、ガラスの向こうになまえが見えた。未來を抱き、笑っている。これから授乳なのだろうか。私も見ていたいんだけど、駄目かな。いいなぁ、未來といられて。私も病院に泊まりたい。そういう病院もあるようだけど、ここはそういったことは許されていなかった。ようやくICUを出られたのに、まだ面会が厳しいし。それでも、病院選びを失敗したとは思わない。大きな病院でなければなまえも未來も助からなかったかもしれないと思えるから、この病院でよかったとは思っている。
ぼんやりと二人を眺めていると、なまえが私に気付いたようだ。慌てて時計を見ている。あ、そろそろ行かないと。私が手を振ると、いいから早く仕事に行けとなまえに睨まれた。
『ねぇ、酷くない?私だって父親なのに』
『日本は厳しいな。おかしいよ』
『何もおかしくない。お婿さんが異常だよ』
『ハルはどう思う?』
『坊やは何一つ間違っていない。俺も孫を抱きたい』
『ねぇ?』
『やれやれ。お前たち、浮かれ過ぎだよ』
早退して空港にハルをアキさんと迎えに行くと、ハルは大きな機材を持ってきていた。これで未來の写真を撮るのだと言う。私が可愛く撮ってよ、と言うと、親指を立てられた。
病院に行くと、部屋に未來もいた。あぁ、風呂に入れてもらったのか。ふわふわの髪が何とも愛らしく、触れたくなる。
「わぁ。ハルさん、いらっしゃい。ハロー」
「コンニチハ、なまえチャン」
『お前…っ、なまえを抱き締めるのは禁止と言っただろう!』
『なまえちゃん、頑張ったね。偉いよ』
「ねぇ、ハルさん何て?」
「なまえが頑張ったねって言ってる」
「えへ…ありがとうって伝えて」
「それは自分で言えるでしょ?」
「あ、そっか。thank you」
『わぁ、なまえちゃんが英語喋ってる。可愛い』
「わぁ!」
『ハル!お前、本当に殴るよ!?』
ハルがなまえをまた抱き締めたから、思わず大声を出すと未來が泣き始めた。アキさんに至っては呆れ果てたような顔をしているし、なまえには睨まれるし。
未來をあやしながらなまえに出生届を見せる。何度も見返したから間違ってはいないつもりだけど、それでも出す前にきちんと確認しておいて欲しかった。未來がこの世に生まれたことが正式に社会に認められるための大切な書類だから。ただの紙切れかもしれないが、ここから未來の人生は始まる。私となまえの大切な大切な子。どうか未來に待つ未来が明るいものとなるよう、大安に出しに行かないといけない。
じっと出生届を無言で見つめるなまえを見て、不安になる。
「えっ、どこか間違っていた?」
「ううん。幸せだなって」
「うん?」
「私、幸せ。ありがとう、昆」
はにかむなまえは嬉しそうに笑っていた。幸せ?それは私の台詞だ。こんなにも幸せでいいのだろうかと思うほど私は幸せだ。なまえと出会ってから私はずっと幸せだよ。
未來を片手に抱き、空いた手でなまえを抱く。生きていてよかったと、生まれてきてよかったと思えるほど愛しい相手に出会えたことは奇跡なのだろうか。それとも、運命なのだろうか。私は過去になまえを亡くした。子供だって世に生み出すことが出来なかった。後悔しても仕切れないほどの罪を犯したし、やり直せるものならやり直したいと幾度となく願ってきた。だけど、現世では不思議と事が上手く運んでいる。なまえと幸せになれなかったのは運命ではなく、今をこうして幸せに生きるための布石なのではないかと思ってしまうほどに。いや、そんなことを思ってはあの二人に恨まれるだろうか。それとも、私たちを温かく祝福してくれるだろうか。
ハルとアキさんがいるのも忘れて家族三人の時間と言わんばかりに寄り添って過ごした。ハルが撮った写真を後から見返すと、私もなまえも幸せそうに笑っている。なまえは恥ずかしいと顔を赤く染めていたが、幸せだったのだから仕方がないだろう。生まれてきてくれてありがとう、なまえ。私はなまえのために生きていくつもりだった。だけど、未來が生まれてそれは変わった。私はなまえと未來のために生きるよ。奇跡に近い今の幸福を運命と呼べるようになるほど、幸せになろう。二人で、ではなく未來を含めた家族三人で。
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