雑渡さんと一緒! 59
「…本当にそんなことを言ったの?あの社長に?」
「す、すみません…」
「いや、いいけど別に…えっ、よく言えたね」
私ならとてもそんなことは言えないと雑渡さんは言った。怒っているのかと思ったけど、そういうわけではなさそうで、本当にただただ驚いていた。というより、呆れていた。
雑渡さんは随分と元気になった。熱も下がったし、食欲もある。三日もお休みを貰えたから、明日も一日ゆっくりと過ごすことができるだろうし、この分だと無事、全快しそうだ。
シャワーを浴びた雑渡さんは髪を拭きながら私に社長に何を言ったんだと聞いてきた。とても言いづらいけど、いつまでも隠しているわけにはいかない。私はもう二度と社長さんに会わないかもしれないけど、雑渡さんはこれからも付き合いが続くのだ。なのに、こんな生意気なことを言って、雑渡さんの会社での立場が悪くなってしまったらどうしよう。
頭を下げるしかない私を見て、雑渡さんは溜め息を吐いた。
「怖かったでしょ、あの人」
「社長さんですか?」
「そう。私でも怖いもの」
「そうですか?優しい方だと思いましたけど」
「社長が?」
「慈悲深い方だというか…」
「社長が!?」
雑渡さんの言い方からして、社長さんは相当怖い人だったようだ。そんな雰囲気は微塵も感じなかった。どちらかといえば優しい人だと思ったし、雑渡さんのことを大切に思ってくれている人だと思った。だけど、雑渡さんの前ではそうではないのだろうか。山本さんは私に度胸があると言った。つまり、部下には怖い人ということなのだろうか。
雑渡さんはバスタオルを床にポイっと捨てて、首を傾げた。
「何というか、なまえは肝が座っているね。度胸がある」
「山本さんにも言われました」
「だろうね。あの人が本気を出せばなまえは簡単にこの世から消せるのだから。よかったよ、そんなことにならなくて」
「えっ。そ、そんなに怖い人だったんですか!?」
「もう二度と関わらないでね。寿命が縮むから」
雑渡さんはまた溜め息を吐いて、本当によかったと言った。ヒヤッとした。そんな人に生意気なことを言ったし、そんな人の下で雑渡さんは働いているのかと思うと肝が冷えた。
だけど、本当に社長さんは雑渡さんのことを大切にしているような雰囲気を持っているように感じたんだけどなぁ。
「私は社長さんよりも他の方の方が怖かったです」
「他の方って誰のこと?」
「分かりませんけど…雑渡さんを迎えにきたって言ったら物凄く見られてしまって。多分、人生で一番注目されました」
「あぁ、不特定多数か。じゃあ特定には時間がかかるなぁ」
「…特定してどうするんですか?」
「さぁ。どうしようかな」
「そんな怖いことして頂かなくていいですから!」
例の怪文書事件がまだ記憶に新しい私は、雑渡さんの怒りに触れてしまった女性の行く末を思い出して震え上がってしまった。雑渡さんの方が社長さんよりも余程怖い。
雑渡さんは笑いながら冗談だと言っていたけど、私は絶対に特定しないでくれと念押しした。顔が本気だったから。
「で?何か嫌なこと言われたりはしなかった?」
「多分…」
「そう。まぁ、それも併せて調べておくから大丈夫だよ」
「だから、結構です!私はただ、雑渡さんは社内で人気が物凄くあるんだなぁと思ったというか…私なんかが雑渡さんの彼女であることが申し訳ないなと思っただけですから」
「申し訳ない?どうして」
「雑渡さんならもっと大人の女性の方が似合うかなぁと…」
「またそんなつまらないことを考えているの?私を理解できるのも受け入れられるのもなまえだけなんだから、仮に他の女と付き合ったとしてもなまえ以外とはうまくいかないよ」
そもそも好きなのはなまえだけだし、と雑渡さんは私を不機嫌そうに睨んできたので、思わず目を逸らす。
雑渡さんは理解できる人なんていないと言うけど、そんなことはない。少なくとも、照星さんや佐茂さん、山本さんを始めとした部下の人たちは雑渡さんを理解していると思う。それに、社長さんも。それは理解してあげて欲しい。
「社長さんは雑渡さんのことを分かっていましたよ?」
「あぁ、まあ社長とは長い付き合いだからねぇ…それでも、なまえほどは理解していないよ。受け入れてもいないし」
「そんなことなさそうでしたよ?」
「どうだか。そもそも、怖い人だと知らなかったとはいえ、なまえはどうして社長にわざわざ喧嘩を売りに行ったの?」
「け、喧嘩なんて私は別に売りに行ってませんよ?ただ締め切りを伸ばしてもらわないと雑渡さんが休まないと思って」
「私?」
「雑渡さんなら部下の人たちに任せて自分は休むなんて発想はしないでしょ?きっと、無理をしてでも頑張ろうとしますよね。だから、締め切りを伸ばして欲しいなぁと思って。雑渡さんは頑張り屋というか、努力家だから。それは雑渡さんのいいところですけど、悪いところでもあるんですからね?雑渡さんが優しいのは知っていますけど、無理はしないで欲しかったんです。ちゃんと周りに頼ることも覚えて下さい」
社長さんに喧嘩を売るつもりなんて私は毛頭ない。結果として生意気なことを言ってしまったけど。
また申し訳なくなってきて俯くと、雑渡さんは頭を抱えた。
「…なまえは本当に狡い子だね」
「はい?」
「これ以上、私を夢中にさせないでよ…」
「私に夢中なんですか?」
「そうだよ。知っているでしょ」
「ふふ。そうですね」
「なまえに好きになってもらえてよかった。本当になまえと出会えてよかった。愛しているよ」
そっと頬を撫でられて、嬉しそうに微笑んだ雑渡さんはキスしようと近付いてきた。だけど、思いとどまったように離れていってしまう。まずは治さないと、と溜め息を吐いた雑渡さんは私の頬に優しくキスしてくれた。
きっと雑渡さんは私に風邪を感染すことを恐れているのだろう。雑渡さんらしい。だけど、そんなことは気にしないで欲しい。キスしたいのは私も同じなのだから。
私は名残惜しそうにしている雑渡さんの唇をそっと喰んだ。ギョッとした顔をした雑渡さんに「私が風邪をひいたら看病してくれるんでしょ?」と笑い掛けると雑渡さんはまた「狡い子だ」と言って優しいキスをたくさんしてくれた。
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