雑渡さんと一緒! 62


小さなガラス張りの部屋でライターを探したけど、見当たらなかった。どうしよう、また無くした。安物だから別にいいんだけど、スーツのそこかしこからライターが出てきたらまたなまえに怒られる。それ以前に今、吸えない。
苛々しながらポケットを漁っていると、同期が入ってきた。


「よぉ。久しぶり」

「何が久しぶりだ。この前デートの邪魔したくせに」

「まだ根に持ってんのか。しつこい男は嫌われるぞ」

「うるさい。それより、火貸して」

「ん」

「どうも」


差し出されたzippoで火をつける。これ、風に強いし、煙草が美味しくなるからいいんだけど、手入れが面倒なんだよなぁ。あと、絶対に無くす自信がある。
二人で煙を吐きながら、ポケットから缶珈琲を取り出す。


「いる?」

「気が利くな。いつも2本持ち歩いてんのか?」

「喫煙所では大体ね。情報収集に最適な場だから」

「はぁー。営業ってのも大変だな」

「もう慣れたよ。お前こそ、忙しいんじゃないの?」

「まぁな。誰かのせいで」

「出世したんだから喜んでよ」


件の怪文書事件で何人か退社することになった。人事部からは一人重役が辞めることとなり、佐茂は繰り上げに近い形で係長に昇進させられた。自分も係長を経ているから分かる。それなりに給料は上がることを。それなりに忙しくなってしまうけど。おまけに更に上に上がることを周りからは望まれるようになる。なかなか大変なことだ。それでも私は佐茂が昇進したことが喜ばしかった。同期として誇らしくもある。


「そういえば、この前薬局で喧嘩してるの見たわ」

「え」

「お前さ、ゴム売り場で喧嘩なんかすんなよ」

「うわ…」


それは一軒目か二軒目か。どちらにしても妙なところを佐茂に見られてしまった。まだ私の耳に噂話は届いていないけど、これも既に広まっているのだろうか。いや、こいつならそんなことはしないか。まだ見られたのが佐茂でよかった。
煙草の灰を親指で弾いて落とす。やった後、またやってしまったと後悔した。こういうことをするから灰が落ちてスーツに穴を開けてしまうんだよね。この前なまえに怒られたばかりだから気をつけようと思っていたのに、習慣化しているからなかなか直らない。こんなことで喧嘩になるのは私も不本意だから、気を付けないと。


「で?結局どのゴムにしたんだよ」

「お前、本当に凄いね。私ならそんなこと聞けないよ」

「だって俺、ゴムを巡って喧嘩なんてしたことねぇし」

「私だって初めてだよ」

「で?」

「結局、生ですることで落ち着いた」

「な…生ぁ!?よく彼女が許したな」

「許したというか何というか…私さ、本気で好きになった子には生でしてもいいと思ってたんだよね。子供出来ても責任とる気あるし。だけど、それは一般論ではないと言われて」

「そりゃそうだ。お前、たまにズレてるよな」


軽口を叩く男を睨みつけてから火を消した。二本目を吸おうとしたけど、どうやらさっきので終わりだったよう。昼に買った煙草は多分車の中だろうな。取りに行くの面倒だなぁ。
ごそごそと漁っていたら佐茂が煙草を差し出してきた。


「悪い」

「おぉ。で?責任取るから生でもOKてことになった、と」

「んー…何か、なまえが使うのを嫌がった」

「あら。大人しそうに見えて案外…痛ぇ!冗談だろ!」

「冗談でもやめて。あと火、貸して」

「はいはい」


オイルライターの香りを楽しんだ後、缶珈琲を開ける。佐茂の煙草は自分のものとは銘柄が違うから不味い。それでも、佐茂がなまえに対して失礼な冗談を言った苛立ちを誤魔化すためには必要で、深く肺まで吸い込んだ。
なまえは避妊具を使うことを嫌がった。その理由は多分、私が遊びで抱いた女とは大して気持ちよくなかった、とつい口を滑らせたからだろう。
一夜限りの女との間に子供なんて出来ようものなら面倒ごとの一言では済まなくなる。だから私は絶対に避妊具を欠かすことはしなかった。大して気持ちよくもない行為だと思っていたことも事実だ。ただ、それは適当な女だったからだろう。避妊具一枚噛ませただけで快感がどの程度落ちるのかは知らないが、少なくともなまえを抱いている時の快感が他の女を抱いている時の快感まで落ちるとは思えない。そのくらいなまえと身体を重ねることは気持ちよかった。
まぁ、言わないけど。本当はなまえと生でしたかったし。


「そうだ。同期で飯行こうって話出てんだよ」

「へぇ。いつ?」

「今日」

「今日?急すぎる」

「いや、今朝下でたまたま会ったから」

「お前のそのスキル、絶対営業向きだよ」

「嫌だね。俺はお前ほど人当たりよくねぇし」

「よく言う。社長のお気に入りのくせして」

「お前ほどじゃねぇって。それより、お前も行かないか?」

「行かない」

「何だよ、ノリ悪いな。用でもあんのか?」

「秋刀魚と揚げ出し豆腐だから、今日」

「…は?」

「今日の夕飯は私の好物なの。だから、無理」


これ以上ない有事だ。数あるなまえの作ってくれるご飯の中でも揚げ出し豆腐は特に好きな物の一つだ。それに加えて秋刀魚が出てくるというのだから、早急に帰宅したい。
今日は仕事も前倒しで終わらせたし、定時過ぎには帰れるだろう。しかも今日は金曜日。ビールでも飲みながら夕飯を食べて、なまえと夜更かしでもしようかな。帰りにデザートでも買って帰ろう。近所の洋菓子屋は何時までだったか。
そんなことを考えていると、豪快に同期は笑い出した。


「お前、本当に変わったなぁ」

「そうだね。私もそう思う」

「幸せそうで羨ましい。結婚式には呼べよ」

「色を付けて祝儀を包んでくれるのならね」

「可愛くねぇなぁ、本当」

「それはお互い様でしょ」


煙草の火を消して、喫煙所から出る。私は営業部へ、同期は経理部へと戻っていった。なまえは私と佐茂が仲がいいと言うが、多分、次に会う時は喧嘩になることだろう。出張費の申請をしに行くとだいたい領収書の不備があるとか、接待で金を使いすぎだとかで怒られるから。お互い、仕事だ。だから、今日はいつも通り話せて嬉しかった。佐茂はちゃんと私のことを理解してくれる数少ない人間なのだ。そんなこと絶対に言わないし、向こうだって絶対に言ってこない。私たちはそういう仲だ。言うなれば、戦友のようなもの、お互いせいぜいこの会社で粘ってやろう。
家に帰るとなまえは豆腐を揚げている最中だった。私が帰ってくるタイミングを見て揚げ始めてくれているのだから、間違いなく美味しいことは既に約束されている。


「着替えてくるね」

「はい。…あれ、雑渡さん、煙草変えました?」

「いいや?」

「いつもと違うにおいがします」

「あぁ、貰い煙草したから…よく分かるね」

「分かりますよ、そのくらい」


何で分かるんだろう。たったの一本いつもとは違う銘柄の煙草を貰っただけなのに。不思議に思いながらスーツを脱ぐとライターが2つ落ちた。あ、よかった。あった。
出汁の染みた豆腐を口にしながら疑問をぶつけてみると、雑渡さんのにおいだから、と言われた。私自身、もう喫煙して長いからにおいなんてよく分からない。だけど、きっと非喫煙者からしたら、好ましい香りではないだろう。なのに、なまえは嬉しそうに言うものだから、やっぱり煙草は辞められないなぁとも、銘柄を変えられないなぁとも思った。


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