雑渡さんと一緒! 64
昔から、ナンパしてこいと言われることがあった。冗談じゃない、そんなつまらないことは絶対にしたくない。そして、その後の面倒をみるのもごめんだ。
世の中にはナンパから始まる恋もあるとか。私に言わせてもらえれば、信じられない。少なくとも私はナンパしてくるような女とは絶対に付き合わない。どうせ、誰にでも声を掛けているんだろうと疑うし、そもそも顔だけで人を選別しようとする輩は好きではないからだ。かくいう私もナンパはされたことなら数え切れないほどある。声を掛けられて誘いに乗ったことがないとは言わない。だけど、その場限りの付き合いにしか過ぎない。連絡先なんて交換したことはないし、何なら本名を教えることが嫌で適当な名前を名乗ったこともある。そのくらい、私にとってナンパとは嫌な行為だった。
で。今こうして私は窮地に立たされている。取り引き先に適当に女をみつくろってこいと言われている。ならばキャバクラはどうかと提案してはみたが、相手はそれを良しとしなかった。擦れた女は嫌いなんだとか言う男を見て、こうはなりたくないものだと思う。年相応の付き合いというものを知らないのか。お前、自分の顔を鏡で見たことがないのか。
会社に電話をして適当に何人か女を派遣させようかと悩んでいると、相手が適当にナンパでもしてこいという。ふざけるな、と思ったし、帰りたいとも思った。お前いくつだよ、恥を知れとも思った。だけど、どうしてもこの契約は逃したくない。そして、社長からも多少の犠牲を払ってでも掴んでこいと言われている。この場合、犠牲になるのは私なのだが。
どうしたものかと悩む時間さえも与えられずにこうして立ちすくむしかなかった。仕事では下手に出ないといけない場面も多々あるが、ここまで相手のために動く必要があるのだろうか。いや、あるのだろうけど、それでも、嫌なものは嫌だ。だけど、どうしても逃すわけにはいかない。
あーでもない、こーでもないと悩んでいると、一際可愛い子が目に入った。大学の帰りなのだろう。だけど、あの子には声を掛けたくないと思った。あぁ、だけど、つまらない女をナンパをするくらいなら、無理を承知で頼む方がいいのだろうか。いや、でも、こんな醜い世界に片足を突っ込ませることはしたくない。穢されるくらいなら契約を逃して社長に頭を下げた方がいい…いや、でもなぁ…
答えが出ないうちになまえから話しかけてきた。
「雑渡さん。休憩中ですか?」
「仕事中…いや、接待中かな」
「接待。こんな駅前で?」
「………、あのね、頼みがあるんだ」
私は意を決して、なまえに事の詳細を話した。なまえの隣にいた北石はわくわくとした表情をしていた。物好きにも程がある。少なくとも、私のなまえはそんな子ではない。困惑している。至極真っ当な反応だろう。
「絶対に二人のことは私が守る。だから、どうか私の顔を立ててはくれないだろうか」
「なまえ、行こうよ」
「えぇ…私たち、何をしたらいいんですか?」
「何もしなくていい。目も合わせなくていい」
というか、頼むから合わせないで欲しい。私のなまえが穢される。それも、あんなクズに。それは耐え難かった。
相手の指定した場所へ三人で向かう。なまえはまだ迷っているように見えたし、私も申し訳なくて何も言えなかった。こんなことを頼むこと自体、私にとっては予想外かつ嫌悪感と罪悪感を感じたし、頭を抱えることしか出来なかった。
「雑渡さん、こんなお仕事もされるんですね。自分の顔を利用するなんて、いやらしいというか嫌味ですよね」
「北石、うるさいよ」
「そろそろ誰か紹介して下さいよ」
「嫌だと言ったはずだけど?」
「雑渡さんって本当に優しくないですよね」
「お前なんかに優しくする価値など微塵もない」
お前、こんなのと本当に友達なの?となまえを睨むと、なまえは黙った。こんな俗的な女なんかとはやっぱり金輪際関わるのはやめて欲しい。私のなまえが穢される。
これから利用しようとしている私が言えることでは到底ないなと思いながら喫茶店のドアを開けると、気味の悪い男が嫌悪感を感じさせる顔で笑いかけてきた。あぁ、やっぱりなまえを連れてくるべきではなかった、と後悔した。
「あぁ、流石だな。こんな若い子を連れてくるなんて」
「社長、無茶振りが過ぎますよ」
「悪い悪い。いやな、実は息子に似合う子を探していてな」
頭を下げた同年代の男はこれから社長へとなっていくのであろう未来の取り引き先だった。無礼を働くわけにはいかない。だけど、ゾッとした。そういう目的で私を使わないで欲しい。それも、ナンパで。最悪だ。
なまえはというと、どういう顔をしたらいいのか分からないといった風だった。はっきりと困惑している。それはそうだ、私だって同じ意見なのだから。だけど、この世界で生き延びてきた私にはこの契約を完結させる責任がある。悪いことをしてでも会社を大きくしてきた社長の右腕として、やり遂げなければならない。
「取り敢えず、何か頼みましょう」
「あぁ。もう頼んである」
「…と、いいますと?」
「お前も男なんだから、分かるだろう?」
にや、と嫌な顔をして笑った男を見て察しがついた。酒だ。つまりは酔わせて潰して弱みを握ろう、と。こういう輩は初めてではなかったし、生憎私はそう簡単に酒で潰れるほど弱くはない。だけど、なまえたちは未成年だ。簡単に酒に飲まれるだろう。そして、ホテルに連れ込もうとしていることは明らかだった。
ゾッとした。どうしよう、殴りたい。殴って、この場から逃さないといけない。こんな男に視姦されること自体が不愉快だ。あぁ、やっぱり適当な女に声を掛ければよかった。そう後悔していると、酒が運ばれてきた。見た目はジュースのよう、だけど、酒であることは明らかだった。
「社長、お待ちください。彼女たちは未成年です」
「らしくもない。堅いことを言うな」
「父上、白けるようなことを言う男ですね」
「雑渡、お前も飲め」
差し出されたグラス、匂いからして相当アルコール度数が高いことは察しがつく。なまえたちに飲ませるわけにはいかない。いささか、早急ではあるが、私は契約書を差し出した。早くこの場を切り上げないとまずい、そう思った。
相手は二人とも白けた顔をした。それはそうだろう。そういう流れではなかったのだから。
「こちらにサイン頂ければ私はいくらでもお付き合いさせて頂きます。しかし、彼女たちは見逃しては下さいませんか」
「ほぉ…つまらないことを言うようになったな」
「彼女たちは私の一存で連れてきたので、迷惑を掛けるわけにはいきません。ましてや、まだ未成年。大人の都合に巻き込むことは酷かと存じます」
「そうか、面白い。なら、お前が相手になる、と」
「ええ。最後までお付き合いさせて下さい」
悪かったね、と二人に謝って店を出させる。
そこからは地獄だった。こんな物飲ませなくてよかったと心から思うほど強い酒だったから。ブランデーを一本開けたところで相手が先に潰れてくれて、なし崩しではあるけど、どうにか契約を結ぶことができた。
本当は会社に戻るつもりだったけど、戻るに戻れない状況になった私は直帰した。気持ち悪いし、頭は痛いし、もう歩けないからタクシーで帰った。こういう時に吐ける奴が心底羨ましい。私は酒を飲んで気分が悪くなっても吐かないタイプだった。つまり、飲み過ぎるとしっかり次の日に酒が残る。
視界が何重にも見えてドアを開けられずにいると、なまえが開けてくれた。心配そうにしている。
「大丈夫ですか!?」
「いや、無理…」
「はい。経口補水液」
「えぇ…それ、不味いから嫌い」
「そんなこと言っている場合ですか」
「そうだね…」
家に帰ってこれたことに安心して玄関に座り込む。眠いし怠い。今日が週末でよかった。明日は間違いなく二日酔いになるだろう。
差し出された経口補水液を口にして、どうにか着替える。
「今日は悪かったね」
「私はいいんですけど…」
「北石にも謝っておいて。何かお礼用意しないとね」
「あぁ、何か息子さん?を紹介して欲しいみたいです」
「…それは物好きだね」
「私もそう思いました」
あんなのと付き合いたいと思う奴の神経が分からない。金か。金なのか。残念ながら今日をもってうちの子会社になったから、それほど美味しい相手ではなくなったと思うけど。いや、どうでもいいか。私には関係のない女だ。
頭がぐらぐらする。座っていることもつらい。
「雑渡さん、ナンパするつもりだったんですか?」
「あぁ、何かね、そういう流れだった」
「そんな仕事もあるんですね…」
「いや、今日のはかなり特殊な例だよ」
でないと、私が耐えられない。発狂する。
もう目も開けていられなくて、ソファに横になる。目を閉じても世界が揺れているように感じるのだから、これは相当酔っているなと冷静に考える。考えたところで肝臓の働きが上がるわけではないのだから、無意味なのだけど。
なまえは味噌汁を用意してきてくれた。
「これ飲んで寝て下さい」
「んー…」
「それと。ナンパなんてしないで下さい」
「別に私だってしたくはない」
「それと。守ってくれてありがとうございました」
スプレーで固められた前髪を撫でながらなまえは言った。
守るというほど守れたわけではない。むしろ、私から危険に晒した。だから、これは私の落ち度だし、自業自得だ。不本意ではあるけれど。
適当な女に声を掛けておけばよかったと私が考えていることがバレているのであろう、なまえはやや怒っているように見えた。だけど、氷枕で頭を冷やし、私の手を握ってくれたから、きっとそこまで呆れているわけではなさそうだった。
私は女が好きではない。ましてや、ナンパしてくる奴も、その誘いに乗る奴も好きではない。だから、なまえの反応が自分の思考と似たもので安心した。そんなこと到底言える立場ではないから言わないけど、この子を好きになってよかった。穢されなくてよかった。痛む頭でそう思った。
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