雑渡さんと一緒! 66


今年もスーツを買う季節がやってきた。我が社では年に一度スーツ代が支払われる。役職が上がれば上がるほど金額も増えるわけだ。そして、私は入社前から社長に購入する店と細かい指定をされていた。色は黒、細身のもの、と。スーツなんて何だっていいじゃないかと未だに思っているのだけど、社長曰く「仕事が出来そうに見える」らしい。つまりは、ただのハッタリだ。それをハッタリで終わらせてくれるなと焚き付けてくるところがまた実に社長らしい。
そんなわけで、なまえと待ち合わせる。指定されている店は今となっては馴染みの店だが、新入社員の頃はそれはそれは行きづらかった。デパートで服なんて買ったことがなかったし、金額も恐ろしく高かったからだ。もう何年もやっていることだから慣れてしまったけど、なまえはどんな反応をするのだろうか。
待ち合わせ場所はシンプルにデパートの前。仕事が長引かないよう気を張り、どうにか定時で上がって向かったが、なまえはまだ来ていないようだった。なまえは時間にルーズな子ではない。疑問に思って携帯を開くとメールが届いていた。どうやら雪で道が混んでいるらしい。事故でないなら、それでいい。どうせ私の買い物なんてかかる時間は短い。こだわりもないし、何なら去年と同じ物で構わない。だけど、今年はなまえが選んでくれるらしい。何だって同じだと私は思うけど、生地の質感や黒の見え方など色々とあるらしい。まったく興味はないけど、なまえが選んでくれた物なら少しは愛着が湧くだろう。
とはいえ、この寒い中外でただ待つのも老体には堪える。カフェで珈琲をテイクアウトして、飲みながら待つことにした。あえて外で待つのはなまえとすれ違わないためだ。あの子は人混みの中から私を探すことが苦手なようだった。愛情が足りていないのではないだろうか。少なくとも私はなまえを人混みの中から探し当てる自信がある。ましてや私は身長が180cmもあるのだ、嫌でも目立つだろうに。しかし、そんな鈍臭いところもまた可愛いと思ってしまうのだから、惚れた弱みというのはつらいところだ。
珈琲を口にしながら昔はどうだったかと思い返す。昔も同じ家に住んでいたから待ち合わせなんてしたことは数えるほどしかなかった。おまけに、私が待たせてばかりいた。なのに、ろくに謝りもせず、いつもなまえを驚かすように現れていたな。律儀に驚くなまえの反応が可愛くて、つくづく忍びには向かないと思ったことをよく覚えている。
思い返せば返すほど、私はなまえに酷いことばかりしていた。単に素直になれなかった、とか、恥ずかしかった、とかそんな言い訳では済まされないようなことをたくさんしたし、たくさん言った。我ながら無神経だったと思う。なのに、なまえはいつも私の側にいてくれた。控え目に笑いながら、私を支えてくれた。情けない話だし、なまえを失ってたくさん後悔した。もう二度と後悔なんてしないよう生きようと思った。だけど、実際は後悔することの方がずっと多い。喧嘩をしたらすぐに酷いことを言ってしまうし、ろくに謝りもできない。大切に想っているのに、失いたくないのに、どうしても束縛してしまう。泣かせてしまう。相変わらず私は稚拙な付き合い方しか出来ていないのではないだろうか。過去の反省を活かすことは出来ていないのではないだろうか。
そんなことを考えて落ち込んでいると、足音が聞こえた。顔を上げなくても分かる、なまえだ。私はなまえが出す音だけで誰だか分かるのだから、やはりなまえは私に対して愛情が足りないのではないのだろうか。


「お、お待たせしました…」

「わざわざ走ってきたの?」

「だって…えっ!雑渡さん冷たい!」

「そ?」

「やだ、どうしよう…ごめんなさい」

「大丈夫。待たせてばかりだったから、待つのも悪くない」

「はい?」

「何でもない。さて、行こうか」


エレベーターに乗って、店へと入る。私の顔を見るなり深々と頭を下げてきた男に今年も頼むと言うと、何着か持ってきてくれた。その様子を見てなまえは驚いているようだった。


「常連さんなんですか?」

「いいや?年に一度の付き合い」

「はぁ…えっ!高…」

「ねぇ?」

「オーダーメイドはしないんですか?」

「しない。面倒くさい」

「成る程…わぁ、この生地触り心地いい」

「どれ?」


なまえが差し出してきたスーツの触り心地は確かによかった。羽織ってみると、着心地も悪くない。あぁ、じゃあ今年はこれでいいや、と思っていると、なまえが首を捻った。


「なに?」

「色が雑渡さんに合わない」

「色?同じ黒じゃない」

「いや、ちょっとこの黒、暗すぎませんか?」

「はぁ?黒に暗いも明るいもないでしょ」

「ありますよ。ほら、こっちの方が明るい黒」


ね、と渡されたスーツの色はやはり黒。違いなんてよく分からない。着てみたけど、やっぱり同じにしか思えない。何なら着心地も同じ。もう、やっぱりどれも同じに感じる。


「でも、生地感がなぁ…オーダーメイドしません?」

「しないって。採寸するのも後日取りに来るのも面倒くさいから私は吊るしでいいの。というか、何でもいいの」

「えー…じゃあ、そうだなぁ…」


うんうんと悩んでようやく購入した品を持ち、最上階で天麩羅にありつく。自分の物でこんなに時間を割いて買い物をしたのなんて初めてかもしれない。当のなまえはというと、上機嫌だった。


「いい物が見つかってよかったですね」

「私には全部同じに見えた」

「もう。雑渡さん、せっかくスーツ似合うのに」

「そりゃ、どうも」

「そういう時は素直に喜んで下さいよ」


素直にねぇ。なまえに褒められれば確かに悪い気はしないけれど、素直に喜ぶって具体的に何を言ったらいいんだろうか。よく分からない。


「素直に、といえば一つ言いたいことがある」

「何ですか?」

「私を人混みでもすぐ見つけられるようになりなさい」

「えー…自信ないです」

「どうして」

「どうしても」

「それは私への愛情が足りてない証拠だよ」

「愛情があるから、なんですけどね」

「どういうこと?」

「私への愛情があるのなら、察して下さい」


そう言ってなまえは微笑んだ。
この時は何を言いたいのかよく分からなかった。後に実は遠くから離れて私を見ていたことを知ることになる。普段、待ち合わせなんてしないから新鮮で、とか、待っている私がかっこよくて、とか言うものだから、首を捻らざるを得なかった。女心がよく分からない。分からないけど、取り敢えず待ち合わせをする時には一時たりとも気が抜けなくなった。過去とまったく立場の逆転した状況に私は因果応報とはこういうことかと溜め息を吐いた。


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