雑渡さんと一緒! 70


正月は私には生涯縁のない祝日だと思っていた。あれは家族のいる幸せな家庭のみが恩恵を受けるものであり、家族のいない私にとってはただの祝日に過ぎなかった。
だから、凄く嬉しかった。初詣もお節料理もお雑煮も。どれもこれも初めて経験したことだったから。まるで私に家族が出来たような、くすぐったい気持ちになった。そして、何て幸せなのだろうかと思った。これだけの品数を用意することも、私のためにたくさん調べてくれたことも、大変だったことだろう。それを怒っていたにも関わらずやってくれたなまえは何て優しいんだろうかと思ったし、こんなにもいい子の側にいられて何て幸せなのだろうかと心から思った。愛しさのあまりに思わず泣きそうになってしまったくらいだ。
そして、クリスマスというこれまた私には縁のなかった行事のことを思い出して、青ざめるしかなかった。12月の月末処理は忙しい。うちの決算は3月だが、年度で締める会社があるからだ。加えて正月休みがあるせいで全て前倒しで業務を進めなければならない。12月23日から26日にかけては忙しいなんてものではなく、死ぬ気で働いていた。だから、と言い訳をする気はないが、クリスマスのことを失念していた。全く思い出しもしなかった。例年ただただ忙しい日という認識しかしていなかったから。
なまえから上質なマフラーを受け取って初めて思い出したわけだが、なまえは本当に私がクリスマスを忘れていたことを怒ってはいないようだった。むしろ、渡せたことに安堵した顔をしていた。こんなブランド物のマフラーを買うためにたくさんアルバイトをしてくれたのだろう。私のために。
新年早々、なまえをまた好きになってしまった。恐ろしいことに、愛情というのは限度がないものだと知ってしまった。
ただ、私がなまえに惚れ直したことで終わらせるわけにはいかない。同じだけ私のことを好きになって欲しい、なんて欲張りなことは言わないが、せめて私が嬉しかったことくらいは伝えなければならない。だけど、なまえが喜ぶこととは何だろうか。なまえが欲しがっている物とは何だろうか。思いつくのは一つしかない。だが、私はそれをどうしても認めたくない。結局、何も決まらずに今日を迎えてしまった。


「わぁ、混んでますね…」

「まぁ、みんな行く所ないんだろうね」

「雑渡さん、大丈夫ですか?」

「前々から言おうと思っていたんだけどさ。私が人混みを嫌う理由は女から声を掛けられて面倒だからだよ。なまえと一緒にいたら流石にそんなことないから、別に嫌じゃない」

「えっ。そうなんですか?」

「うん。むしろ、なまえと出掛けるのは好きだよ」


これは事実だった。今まで何処に行っても女から声を掛けられていたから私は出歩くことが好きではなかった。だいたい嫌な気持ちになるから。だけど、なまえと一緒にいると流石に声は掛けられない。もちろん出掛ける時は必ずなまえと手を繋いだり、肩を抱くからというのも理由ではあるのだろうが、周囲から私となまえが恋人であると認められているようで嬉しかった。面倒ごとが回避できていること以上に。
さて、と一通り服を見て回る。なまえは嬉しそうに私の服を選んでくれたし、なまえの服を選べることは毎回とても楽しい。衣類に興味のない私でさえこれだけ楽しいのだから、きっと着飾ることが好きな奴らはもっと楽しいのだろう。少なくともなまえはとても楽しそうに笑っていた。
人混みに出掛けることが嫌ではないとはいえ、どこに行っても混んでいるから疲れはする。カフェも随分と待たされた上に喫煙席には座ることが出来なかった。珈琲を頼んでから喫煙所に行くため席を外す。喫煙所もかなり混んでいて、疲れた顔をした男どもが早く帰りたいだの彼女と買い物に行くのは疲れるから嫌だの言っているのが聞こえてくる。それが世間一般の意見なのかは分からないが、少なくとも楽しめている私は幸せだなと思った。そして、なまえなら私が嫌がる所には自ら行こうとはしないだろう。私はやはりなまえのようないい子と出会うことが出来て幸せだったのかもしれない。
なまえを大切にしたい。だけど、きっと大切に出来ているというほどは大切には出来ていないだろう。私は別に優しい人間でもなければ、気が利く人間でもない。それは自分がよく分かっている。年末になまえを怒らせたこともそうだ。私には配慮が足りていない。そんなこと、分かっている。
迷いに迷ってからカフェに戻ると珈琲は既に置かれていた。


「遅かったですね」

「ん。喫煙所も混んでた」

「あぁ、そうですよね…飲食店もどこも混んでいるので、夕飯は家で食べましょうか。流石に疲れたでしょ?」

「それなんだけどさ。行きたい所があるんだ」


混んでいる駐車場を出て高速を走らせ、県を二つ跨いで大きなホテルに停める。こんな大きなホテルは流石に地元にはない。なまえは上を見上げて感嘆の声をあげていた。
呆然としているなまえの手を引いてレストランに入ると、流石に空いていた。それもそうか、正月からこんな所に来る奴は多くはないだろう。それこそクリスマスならともかく。
夜景の見える席に座ると、なまえが上擦った声を出した。


「こ、ここって…」

「前にテレビで見て来たいって言ってたから」

「だ、だけど物凄く高いコースでしたよね…」

「いいよ。そんなこと気にしなくて」


そろそろ私が金を使うことに慣れて欲しいんだけど。私はなまえが物をねだってくれないから寂しいよ。せっかく私がクリスマスを失念してしまうほど必死に働いているのに。強欲でないことは遠慮がちななまえらしいことなのだろうけど、私に遠慮なんてしないで欲しい。もっと頼って欲しい。我が儘を言って欲しい。まぁ、駄目なことは駄目と言うけど。例えば自分の身体を傷付けることとか。
我ながら器が小さいと思う。あの時にあんなにも嬉しそうにしていたなまえを怒り、徹底的に無視した上に配慮に欠けた言葉をぶつけてしまった。だけど、そんな優しさの欠片もない私になまえは私が受け入れられるようチャンスを与えてくれた。なまえの器の大きさというか、優しさに私はいつも救われている。あと、肝も据わっている。あの状況でよくあんなことを言えたものだ。
器の小さな私はまだ完全には受け入れられていない。再び同じことをされたらきっと怒る。だけど、少しでも喜んでくれるのなら、嬉しい。そんな思いで購入した品を差し出した。


「えっ、これ…っ」

「欲しかったんでしょ?」

「…だけど雑渡さん、反対していたじゃないですか」

「それはそうでしょ。未だに私はなまえの身体に傷を付けるような真似を容認なんてしたくない。だけど、なまえが喜ぶ物が分からなくてさ。色々と悩んだけど、きっとこれが一番喜ぶんだろうなぁと思って。根比べに負けてしまったよ」


着けて見せてよ、と言うとなまえは恐る恐る手渡した箱からピアスを取り出した。前になまえが欲しいと言っていた物。珍しく私にねだってきた物。それがあの状況を打破するために言ったことで、別に本当に私に買って欲しいと願っていたわけではないことくらい分かっている。だけど、それでもなまえが私に買って欲しいと言った物をプレゼントしないというのは違う気がした。だから、これは私のエゴに過ぎない。
貴金属にダイヤが埋め込まれたピアスは小ぶりで、とても華奢な品だと思ったけど、なまえによく似合っていた。凄く可愛い。だけど、見ようによっては大人っぽくも見える。


「可愛い。凄く似合っている」

「あ、ありがとうございます…」

「何ていうか、私は本当に駄目な男だ。優しくないし」

「…優しいですよ」

「気が利かないし、配慮も足りていない」

「そんなことないです」

「来年どころか、きっと私は働いているうちはクリスマスにこうして食事に行くことは絶対に不可能だろうし」

「そんなの、別にいいです…っ」

「私はなまえの優しさにいつも甘えてしまう。ごめんね。いつも私なんかのことを受け入れてくれてありがとう」

「そんなこと思ってないです…」


夜景よりもなまえの流した涙の方がずっと綺麗だと思った。これでまだ未成年だというのだから、先が恐ろしい。きっとなまえはとびきり綺麗な、いい女に成長するのだろう。
来年もこうして過ごそう。だけど、お節とお雑煮はまた作ってね、と私が言うと、なまえは無言で何度も頷いてくれた。あれが今年から私にとっての正月の味だ。そして、なまえと今後築いていく家庭の味だ。
正月なんて私には生涯縁のない祝日だと思っていた。だけど、今後は私もその恩恵を受けたい。まだ結婚してはいないけど、なまえは私にとって初めての大切な女であり、初めて家族になりたいと願った子なのだから。


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