雑渡さんと一緒! 74


煙草を吸いに喫煙所に行くと佐茂がいた。佐茂は私に気付いて手を挙げた。あえて無視して喫煙所に入る。
先日、なまえと偶然会ったらしい。佐茂が彼女を亡くしているとなまえの口から聞いて初めて知った。理解してやれるようで、出来ない。昔、大切な女を亡くした時に私は死を選んだから。こんな風に明るく生きるなんて絶対に無理だ。


「何だよ、暗いな」

「…別に」

「雑渡の彼女さ、お前のこと本当に好きなんだな」

「なまえが?」

「おぉ。いいな、羨ましいよ」

「お前は女は作らないの?」

「俺はしばらくはいいわ。女なんて面倒だし」

「あ、そ…」


佐茂の心にはまだ好きだった女がいるのだろう。それはいつか風化するものなのだろうか。それとも、永遠にいなくならないものなのだろうか。心の奥底にずっと棲みついて離れてはいってはくれないのだとするなら、生きることは辛いだろう。少なくとも、私なら耐えられる気がしない。
煙を二人で吐いていると、佐茂が楽しそうに言った。


「お前、今日誕生日じゃん。おめでとう」

「こんな歳でめでたいも何もないでしょ」

「まぁまぁ。俺は心底羨ましいよ」

「は?」

「いいや、こっちのこと。ヤり過ぎるなよ?」

「待って。全然、何を言っているのか分からない」

「いいんだよ、今は分からなくて」


おかしそうに佐茂は喫煙所から出て行った。何だ、あいつは。決算期が近付いてとうとう頭がおかしくなったのか。
喫煙所を出て仕事をいつも通りこなし、家に帰る。今日も疲れた。というか、最近本当に忙しい。これで3月を迎えたら私はどうなってしまうのだろうか。死ぬかもしれない。
玄関を開けた瞬間に今日の夕飯が分かる。間違いない、唐揚げだ。慌ててドアを開けてリビングに行くとなまえは笑顔で迎えてくれた。既に山盛りの唐揚げと揚げ出し豆腐、茄子の煮浸しが並んでいる。どれも私の大好物だ。着替える時間も惜しくて、そわそわとソファに座るとなまえはご飯と味噌汁を持って来てくれた。もう先に着替えろとは言ってこなくなった。そんなことを言っても無駄だと分かったからだろう。


「うわ…美味しそう。いただきます」

「はい。いただきます」


二人で手を合わせて夕飯を摂る。言うまでもなく、どれも美味しくてご飯が進む。この間の健康診断で体重が2キロ増えていた。このままだとますます太りそうな気がする。どうしよう、ジムとか行った方がいいんだろうか…
悩みながら黙々と唐揚げを口にしていると、なまえはお誕生日おめでとうございます、と笑いながら小箱を渡してきた。開けると黒く、光沢のあるオイルライターが入っていた。


「えっ…これ、貰ってもいいの?」

「私はライターなんて使いませんけど」

「そうだけど…」

「雑渡さん、オイルライター欲しかったんでしょ?お手入れなら私がします。どうせ、革製品と一緒でしないんでしょ」

「あぁ、そうだろうね」

「煙草が美味しくなるんですってね。使って下さい」


ふわっと笑うなまえが愛しくて、今すぐにでも抱きたくなった。ヤバい、今日は何だか燃えてしまいそう。
なまえが後片付けしている後ろ姿を見ながらオイルライターで煙草に火を点ける。ふわっといい香りが広がった。これは吸う煙草の本数が増えそうだ。凄く美味しいし、凄く幸せ。


「ね、なまえ」

「はい?」

「一緒にお風呂に入りたい」

「は、はい?」

「ねぇ。一緒に入ろうよ」

「い、嫌です。絶対に変なことするでしょ」

「変なことはしないよ。せいぜい挿れるくらい」

「それを変なことと言うんですけど!?」

「いいじゃない。誕生日なんだから」


ここぞとばかり誕生日であることを押すとなまえは黙った。
これはいい。どうやら私は今日はまるで王族のように振る舞うことが許されているらしい。にまっと笑いながら風呂を沸かしてリビングに戻るとなまえはしゃがんでいた。


「何してるの?」

「ちょっと、緊張して…」


これは可愛らしいことを、と思ったが、すぐになまえの顔色が悪いことに気付いた。苦しそうに息をしている。
心配になってなまえの頬に触れると汗ばんでいた。ゾワッとする。嫌な記憶が蘇る。昔、なまえが死ぬ前のことを思い出した。いや、まさか、そんなことがあるはずがない。そんなこと、あってはいけない。ドクドクと鼓動が異様に早まる。


「ねぇ、もしかして体調が悪いの?」

「…いいえ?」

「本当だろうね?だって、凄く顔色が…」

「あ。お風呂が沸きましたよ。ね?」

「あ、あぁ…」


入浴剤を入れて乳白色の風呂に二人で入る。恥ずかしいと言うなまえは凄く色っぽかったけど、とても抱く気にはなれなかった。嫌な思考が止まらない。まさか、まさか…


「雑渡さん?」

「ねぇ、本当にどこも悪くないの?」

「はい。しつこいですよ」

「だって…」

「私は雑渡さんを置いてどこにも行ったりはしません」

「…絶対に?絶対だからね?」

「はい。約束します」


なまえは穏やかな顔で微笑んだ。だけど、どこか儚げに見える。なまえは私をまた遺して逝ってしまうのではないだろうか。そんな考えが止まらない。
温かい風呂に浸かっているというのに、身体が冷えていくのがはっきりと分かった。震えが止まらない。なまえは不思議そうに首を傾げて、私をそっと抱き締めてくれた。


「寒いんですか?」

「いいや…」

「あ、そうだ。明日はおでんにしましょうか」

「おでん?そんな物、家で作れるの?」

「作れますよ?逆にどこで食べるんですか?」

「コンビニ」

「あぁ、そういえば確かに売っていますね。じゃあ、私が作った物よりもコンビニで買った方がいいですか?」

「やだ。作って」

「はい。じゃあ、約束」


差し出されたなまえの小指に自分の小指を絡めると、なまえは愛らしい顔で笑ってくれた。だけど、何故だか妙な胸騒ぎがする。このまま私の手の届かない所に行ってしまうような、そんな気がする。ぎゅうっとなまえを抱き締めると、なまえは「大丈夫ですよ」と私を抱き返してきてくれた。
いなくならないで。お願いだから、私を一人にしないで。なまえを失ってしまったら私は佐茂のようには生きられない。心にしか存在してくれないなんて耐えられない。こうして抱き締めることが出来なくなって、なまえの笑顔を見ることが出来なくなり、なまえの手料理を味わうことも、なまえの温もりを得られなくなることも私には耐えられない。だから、いなくならないで。らしくもなく、神にそう願った。
残酷なことに、この願いは翌日に叶わなくなってしまった。


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