雑渡さんと一緒! 78


どのぐらい一人でぼんやりと過ごしたのだろうか。なまえの安否が何も分からない。近付かせてももらえない。もしかしたらまだ5分しか経過していないのかもしれないし、もしかしたら一晩経っているのかもしれない。そのぐらい時間の感覚がなかった。手に力が入らず、携帯で時間の確認さえ出来ない。自分の身体が自分のものではないかのような感覚に陥る。思うように動くことが出来ない。懐かしい、昔も確かなまえを失った時にこうなった。あの時はどのくらい呆然としていたんだったかな…なまえを抱き締めて泣いたなぁ…


「雑渡!」

「…あぁ、どうも。来てくれたんだ…」

「なまえは!?」

「分からない。何も、分からないんだ…」

「しっかりしろ!」


頬を叩かれた。ここ、病院なんだけど。ちゃんと人に手を上げる時は場所を選ばないとまずいことになるのに。
ふ、と笑うと、また叩かれた。痛くもない。感覚がない。


「雑渡、何があった!?」

「朝、起きたらなまえが倒れていた。意識はなくて、息はあったけど、今にも止まりそうだったよ。いや、多分何度か止まっていた。心臓も多分何度か止まって…いて…っ」


言葉にするとまた涙が出てきた。怖い。なまえを失うことが怖い。昨日、約束したのに。私を置いてどこにも行かないって、そう言っていたのに。
まずい、過呼吸になりそうだ。いや、もうなっているのかもしれない。気持ち悪い。吐きそうだ。息が出来ない。
頭を抱えて泣く私を置いて「なまえの家族」である男は受け付けに行ったけど、すぐに戻って来た。書類を持って。


「これから手術になるそうだ」

「なまえ、なまえは…っ!?」

「今は検査と処置中だそうだ」


「他人」の私には何も教えられなかったというのに「なまえの家族」は多くの情報をあの短時間で得て来た。
手術、麻酔、輸血…多くの同意書にサインしていく男は本当に目を通しているのだろうか。奪い取って目を通すと、そこには恐ろしいことがたくさん書かれていた。難しいことなんて私には分からない。だけど、後遺症のリスクだの死亡のリスクだの絶望的なことが書かれていた。これを見た上で、手術を容認しなければならないのか。だけど、しなければきっとなまえは死ぬ。それでも、専門医から何か説明くらいあってもいいのではないだろうか。それとも、そんな時間さえもないほど緊迫した状況だというのだろうか。なまえの命は今にも尽きようとしているのだろうか。そんな嫌なことを考えていると、ぐっ、と吐き気が強まった。慌てて近場にあったゴミ箱に吐く。何も食べていないから胃液しか出なかった。
まずい、倒れそうだ。頭が重い。視界が揺れている。


「雑渡!大丈夫か!?」

「ねぇ…なまえに会えないの?というか…医者から説明を…」


ぐらぐらと揺れる視界にストレッチャーが目に入った。横たわっているのはなまえだった。なまえの顔を見たい一心で立ち上がり、駆け寄る。どうか意識が戻っていますように。どうか、どうか何でもないって、笑い掛けてくれますように…
願うようになまえの顔を見て呆然とした。一瞬誰だか分からなかった。顔色が悪いなんてものではない。死人のように真っ白だ。口には太い管が刺されていて、そこから機械で酸素を送っている。数えきれない程の点滴が揺れ、なまえの両腕から投与されている。意識があるとかないとか、そんなレベルではない。今、生きているのかも分からないくらいなまえの見た目は私が知っているなまえとは違っていた。
目の前が暗くなる。身体の力が抜けて座り込むと、ストレッチャーは遠くに消えて行った。あれは誰だ。あれは私のなまえじゃない。私のなまえであるはずがない。あれは、あれは…


「なまえ…う、うぅ…っ」

「雑渡!泣いている暇はない!」

「なまえが、なまえ…っ」

「早く行くぞ!」


無理矢理引っ張られ、2階に連れて行かれる。手術室と書かれたドアの前に置かれた無機質な椅子に座らされる。
私は泣くことしか出来ないというのに、隣にいる男は冷静に見えた。無言で水を差し出してくるだけの余裕があるのだから。手に取ろうとしたけど、感覚がなくて落とした。転がるペットボトルを見つめながら、私は何を間違えたのだろうかと考える。思い起こせば正月ぐらいからなまえはたまに苦しそうにしていた。昨日に至っては明らかにおかしいと感じた。なのに、病院に連れて行こうとはしなかった。なまえが大丈夫と言ったから。それを信じたかったから。あんなに不安だったのに、追求しなかった。いや、出来なかった。なまえが病気だなんて思いたくなかったから。私がこんなに弱いからなまえは健康診断の結果を見せてはくれなかったのだろうか。そもそも、なまえに過去のことを話したことがいけなかったのではないだろうか。あんなことを言わなければ、前もって知れたのかもしれない。いや、もしかしたら私が初詣で神などいないと考えていたからか。あの場で考えることではないと言われれば、確かにそうだろう。それとも家に帰らず、神社近くの駐車場で事に及んだからバチが当たったのかもしれない。なまえはバチ当たりだと言っていたのに。


「いい加減にしろ!」


胸ぐらを掴まれ、また叩かれた。こいつは本当によく叩く男だ。暴力で解決しようとしたって何もいいことはないのに。身を持って知っている。過去に私が何人感情的になって人を殺めてきたと思っているんだ。潮江くんを殺そうとした以上に残虐なことを何度もした。それも、百人以上に。
だからなのかな。だから、私はどんなに望んでも何も手に入れられず、挙句の果てになまえをまた失うのだろうか。なまえが死ぬのはまた私のせいなのか。また私が間違えたからなまえは死んでしまうのか。どうしよう、どうすればいい。また私は間違えてしまった。私のせいだ。あんなに悔やんだのに、また間違えてしまった。ごめん、なまえ…こうなったのは私のせいだ。私となんて出会ってしまったから、またお前は…


「私のせいだ…私がなまえを殺してしまった…っ」

「雑渡!なまえはまだ生きている!」

「生きて…」

「懸命に生きようとしているんだ!俺たちが信じてやらなくて誰が…っ、誰がなまえを信じるんだ!なまえは今、生きるために頑張っているんだ、だから、だから…っ」


ようやく涙を見せた男は私を突き飛ばした。そのまま椅子から落ち、床に倒れ込む。無機質な天井が続いていた。
そうだ。なまえはまだ生きている。助かる。私だってそう思いたい。だけど、私は知っている。あんな顔色をしたなまえを知っているんだ。助かると最期まで願っていたけど、助からなかった。何人もの薬師を頼ったけど、誰も助けてはくれなかった。人の命なんて簡単に失われると、私は知っているんだ。なまえを失うのは二度目だから。
もう私は神になど願わない。願ったところで助けてなどくれないことを知っているから。期待した分だけつらいから。だから、もう私は願わない。もう知っている、神などいない。
過去の記憶がどんどん鮮明に思い出される。二人のなまえを想うと今日何度目かも分からない涙が出てきた。


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