雑渡さんと一緒! 89


雑渡さんに連れられてきた忍術学園は予想していたよりも遥かに大きかった。一体、ここには何人の忍びを志している者がいるのだろうか。小さな子供から、大人びた子までいる。そして、みんな楽しそうに笑っていた。とても忍びについて学んでいるとは思えない。そんな温かい雰囲気があった。
雑渡さんは真っ先に私を「医務室」へ連れて行った。そこでは子供が薬を煎じていた。雑渡さんを見ても平然としていられるのだから、関係性は悪くはないのだろう。深緑色の装束を身に着けていた子が私を見た。


「お怪我をされているのですか?」

「えっ、いえ、私は…」

「ふふふ。伊作くん、この子は私の女だ。覚えておいて」

「えっ!雑渡さんのですか!?」

「そうだよ。名をなまえという」

「はじめまして、なまえです…」


雑渡さんに紹介され、私は頭を下げた。すると、伊作くんと呼ばれていた男の子は私に笑い掛けてきてくれた。そして、自己紹介をされ、お茶を渡される。私には湯呑みを、雑渡さんには筒を。どうして差をつけたのだろうかと考えていると、雑渡さんは口布を外すことなくお茶を飲み始めた。驚いて思わず二度見をしてしまう。
雑渡さんは醜い身体を人に見せたくない、と言っていた。だけど、私の前では見せて下さっていた。だから、外ではこんな飲み方をしているのかと知り、驚いてしまったのだ。
しばらく三人で談笑していると、天井裏から気配がした。私が上を見ると、私と雑渡さんの間に男の子が降ってきた。


「出たな、曲者!勝負だ!」

「ぷっ」

「何が可笑しい!?」

「君、なまえにでさえ気配を感じ取られているよ。そんなことでは私には百年経っても勝てるはずなどない」

「何だと!」

「ふむ。なまえ」

「は、はい」

「私は少し潮江くんと遊んでから先に戻ることにするよ」

「えっ」

「いつもの丘で会おう」


そう言うと、雑渡さんは医務室から消えていった。慌てて潮江くんが追いかけていき、私と伊作くんが取り残された。
文次郎にも困ったものだと伊作くんは溜め息を吐いていたところを見ると、あの二人はいつもそんな感じなのだろう。だけど、雑渡さんは私の予想通り潮江くんのことをとても気に入っているのだなと思った。とても楽しそうに笑っていたから。そしてまた、潮江くんも雑渡さんのことを認めているのだろう。それを感じさせない口調ではあったけど、雑渡さんは決して自分には危害を加えてこないと安心しているのだろうと思った。そうでなければ、雑渡さんにあんな風には近寄れない。あの人はとても強い。だけど、とても優しい。潮江くんはそれを知っているのだな、と思った。
私は伊作くんにお礼を言ってから医務室を出る。門番に署名を求められたから素直に記入していると、背後から潮江くんに話し掛けられた。息がぜえぜえと上がっている。


「雑渡さんは?」

「また逃げられた…ちくしょう!」

「ふふ。頑張ってね?」


この子は雑渡さんには絶対に勝てない。それは忍術だけではなく、関係性も。雑渡さんは余裕があったけど、彼にはない。その時点で彼は雑渡さんに勝つことは不可能だ。
私が門をくぐろうとすると、潮江くんは私のことを曲者女と呼んだ。曲者女、なんて面白い異名をつける子だなぁ。


「なぁに?」

「お前、曲者の女なのか?それとも…」

「うん?」

「まさか、曲者に囚われているのか!?」

「えっ。違うよ?」

「嘘を言うな。俺と歳も大して違わないような娘を捕虜にするとは…許せん!安心しろ、お前は俺が解放してやる」

「だから、違うって」

「いいんだ、分かっている。曲者に何も言うなと脅されているんだろう?大丈夫だ。必ず俺が雑渡から逃してやる」


潮江くんは鼻を鳴らしながら私の手を握った。何をどう勘違いしているのか。そして、彼は私の言葉なんて微塵も耳にはしてくれない。困った子だなぁと思いながら潮江くんに笑い掛けると、潮江くんはサッと目を逸らして手を離した。
そして、また「約束する。必ず助けてやる」と言って去って行ってしまった。また取り残されてしまった私は一人で門を潜って雑渡さんに指定された丘へと足を進めた。私がタソガレドキ領で唯一行くことが出来る所。それ以外は広過ぎて迷子になってしまい、行くことが出来ない。
既に雑渡さんは丘にいた。丘からタソガレドキ城下町を眺めている。時々、雑渡さんと出掛ける所。雑渡さんが私のためにたくさん物を買って下さる所。そして、少し離れた所にはお城が見える。大きくて、立派なお城。後は森に囲まれている。あの森のどこかに雑渡さんの家があり、忍軍の里があるはずなのだけど、どこにあるのかはここからでは分からない。いや、あえて分からなくしているのだろうけど。


「おや。遅かったね」

「置いていくなんて酷くはありませんか?」

「なに。一人でここまで来れるか試してやったのだよ」

「来れますよ、流石に」

「おや。意外と賢いようだ」


くつくつと雑渡さんは笑った。時々、私は雑渡さんと丘で待ち合わせをする。雑渡さんは任務後に来るから、私が待つことの方が普段はずっと多い。それ自体は構わない。だけど、雑渡さんはいつも私を驚かせるように現れる。毎回腰を抜かしてしまう私を雑渡さんは愉快そうに笑っていた。
私はこの場所が好きだった。ここから見える景色もそうなのだけど、それよりも陽が沈んでいく様が美しかったから。


「あぁ、今日も夜が来る」

「綺麗ですね」


街が、お城が、森が夕陽で染まっていく。燃えているように赤く、そして、それを追うように闇夜が迫っていく様が何とも美しい。黄昏時にタソガレドキ領を眺めるのが私は好きだと雑渡さんに言うと、雑渡さんは家から丘への行き方を教えて下さった。そして今日、迷いながらでも丘から街への行き方を知った。街への行き方なんて知ったところで一人で行く用事もなければ、一人で行く気もないのだけど。


「そういえば、潮江くんに捕虜だと思われました」

「捕虜?」

「必ず助けてやると言われました」

「おやおや。それは面妖なことを」

「彼、面白い子ですね」

「でしょう?実に揶揄い甲斐のある子だ」


二人でくすくすと笑った。潮江くんは私を解放してやる、と言った。それはつまり、雑渡さんに勝負を挑み、潮江くんが勝つということ。そんなことが出来るはずはないと私も雑渡さんも分かっている。だから、可笑しくて笑ってしまった。雑渡さんを負かすほどの人はこの世にいるのだろうか。雑渡さんの命を脅かすほどの人。そんな人はきっと、どこにもいない。雑渡さんはとても強いから。もしいるのなら、一度会ってみたいものだと思った。
陽が沈みきり、薄暗くなってきた頃に私は雑渡さんと唇を重ねた。こうして過ごす時間は私を誰よりも幸せな女へと変化させてくれる。なのに、潮江くんに捕虜なんて思われてしまい、私は甚だ遺憾だった。曲者女と呼ばれたことも気に入らない。雑渡さんは曲者などではない。見た目こそ怪しいかもしれないが、強くて優しい、私の大切な想い人なのだから。


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