雑渡さんと一緒! 86


「お前はいつから俺となまえが親子だと気付いていた」

「あぁ、決定打になったのは創業日を知った時かな」

「創業日?」

「なまえの誕生日だったから」

「それだけでか?偶然ということもあるだろう」

「そうも思ったよ、勿論。だけど、あんたとなまえは似ているような気は前々からしていたから、確定だな、と思った」

「似ている?どこがだ」

「ふと見せる表情とか、性格とか。似ているよ、二人は」


そっとなまえの髪を撫でる。元のような柔らかな手触りに戻ってきていてホッとする。髪からはいい匂いがして、今日は風呂に入れてもらったのだと分かり、思わずなまえに「よかったね」と声を掛けた。入院が長くなってきて、なまえの髪は随分と伸びてしまっていた。元々肩まであった髪はもう胸まで伸びている。このくらい長くてもなまえは可愛い。というよりも、長い方が私は好きかな。よく似合っている。目が覚めても切らないで欲しいなぁと思いながら笑い掛けた。


「お前がなまえの男だと知って、驚いた」

「だろうね」

「何でお前なんかが、と思った」

「分かるよ」

「お前が遊びで近寄ってきたのかと思うと腹が立ったしな」

「私、ちゃんと本気だって言ったのに?」

「信じられるか?普通」

「そう。じゃあ、改めて言うけど私は本気でなまえのことを愛しているから。遊びなんて生半可な気持ちで私はなまえと一緒にいるわけではない。私は心からなまえを愛している」

「もう、十分過ぎるほど分かっている」


遊び人と言われた私が一途に想い続けることが出来るのはなまえだけだ。そして、もう私は他の女など目にも入らない。
なまえの手に北石から勧められたハンドクリームを丁寧に塗り込む。あぁ、成る程。確かに塗れば元々白かった肌が益々白く見える。あ、爪が伸びてきたな。私は爪を切るのが苦手だから、これは看護師にやってもらわないと駄目だな。爪と一緒になまえの肌まで切ってしまいそうだ。
ねぇ、なまえ。なまえは私のためにいつも家事をやってくれていたね。こんなにも綺麗な手で。ごめんね、気付かなくて。家事なんてしたら手が荒れてしまうのにね。ちゃんと、これからは私もやるよ。だけど、今は許して。うちは今、ちょっと汚れている。なまえが見たら怒るかもしれないけど、今はやる気が起きないから。なまえが退院してうちに戻ってくる時にでもちゃんとやる…かもしれないし、まぁ、誰かにやってもらうかもしれないけど。あぁ、でも安心して。なまえと出会う前みたく適当な女を使ったりはしないから。ちゃんと家事代行を使うから。だって、私は掃除のことがよく分からないもの。いずれ汚れるのに、わざわざ掃除をする意味なんてないとすらなまえが入院するまでは思っていたくらい。だけど、意味はあるんだね。うちのテーブル、煙草で焦がしちゃった。灰皿から溢れ出た吸い殻で。なまえが見たら怒るんだろうなぁと思ったけど、今はまだそのままにしているよ。なまえが退院したら一緒に買いに行こうと思って。まぁ、火事にはならない程度に気を付けているから安心して。
だけど、怒られたくないなぁと思いながらなまえの手を握り締めると、隣に座っていた男は神妙な声で話し掛けてきた。


「雑渡。お前、いくつになる?」

「31。2月で32」

「お前はまだ若い」

「そう?今年度で32になるのに?」

「若いさ。だから、まだやり直せると俺は思う」

「やり直す?何を?」

「何もかもだ。なまえのことはもう忘れた方がいい。どうせもう目は覚さないだろうし、例え目が覚めても許してくれるだろう。新しい恋でもして、お前は幸せになった方がいい」

「…なんだ、全然分かってないじゃない」


私のことを理解してくれていると思っていたから、がっかりとして溜め息を吐く。なまえをそう簡単に忘れられる程度の想いだったら、逆にどれだけよかっただろう。なまえを忘れて新しい女と付き合い、なまえと一緒にいた時のように毎日幸せな気持ちで生きることが出来るのなら、私だってそうしたい。そのくらいに今、つらかった。だけど、そんなことは出来ない。だって、なまえ以上の女はこの世にいないと知っているから。こんなにも愛しいと思える存在にそう簡単に出会えるとは思えない。そして、私などを愛してくれる女もなまえの他にはいないだろう。例えいたとして、その女をなまえと同じように愛せるかと問われれば、答えは否だ。だから私はどんなに今の状況がつらくても、なまえの側をこうして離れることが出来ない。いや、最近はそれさえも受け入れている。なまえはきっともう目を覚さないだろう。もう二度と私に笑い掛けてはくれない。私の名を可愛い声で呼んではくれない。だけど、もう私はそれで構わなかった。こうして側にいられるだけで幸せだと思うことにした。
ずっと一緒だと約束したから。その約束を違える気はない。


「お前はなまえをこんなにも愛してくれていた。それだけで十分だ。もう、俺は雑渡を見ていられない。酷過ぎる」

「そう。じゃあ、見なければいい」

「雑渡、一人で生きるのはつらいことだ」

「そうだろうね」

「お前は顔もいいし、社会的な地位だって低くない。だからお前はこうしてなまえだけに固執する必要はないだろう」

「…ねぇ、頼むからこれ以上私を失望させないでよ」


私はお前とは長い付き合いをしていくつもりなんだから。そんな、つまらないことを言わないで。なまえに似た顔で。
お前が思っているほど私は不幸ではない。私は幸せだと思っている。こんなにも愛しい子が懸命に生きてくれているのだから。昔みたく、呆気なく死ぬこともなく、こうして私になまえを愛でる喜びを与えてくれている。だから、私は幸せだ。今の状況がつらいなんて、そんな失礼なことはもう思うのをやめようと決めたんだ。二度となまえの目なんて覚めなくても私は構わない。もう泣いてなんていない。なのに今、泣いてしまったのはお前のせいだ。なまえの声を聞きたいなんて贅沢なことはもう望んでいない。だから、こんなにも苦しい気持ちになっているのも、食事が喉を通らないのも、仕事がうまくいかないのも、何もかもお前のせいだ。そう思って逃げたくなる。なまえが目を覚さない絶望をお前のせいにしたくなってしまう。せっかく受け入れていこうと思えるようになってきているんだ。私の決意を揺らがせるな。なまえに呆れられてしまう。頼むから、二度とそんなことを言わないでくれ。これ以上弱くなりたくない。なまえの前ではもう泣かないと決めたんだ。だから、頼むからもう黙ってよ。
私がそう言うと、望み通り黙った。そして、二人で泣いた。


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