雑渡さんと一緒! 92


桐の箱に眠るなまえに花を置く。初めは見えていた底はもう花で覆い尽くされていて見えない。そっと最後の一輪を供えると、お時間ですと言われた。これからなまえは火葬される。火で焼かれ、皮膚が爛れ落ち、骨となって戻ってくる。あまりにも非現実的で、まだ信じられない。なまえを想って多くの者が泣いている。だけど、私は涙は出なかった。なまえが死んだなんて信じられなくて、まだ病院に行けば眠っているような気がして、早くこの場から抜け出したかった。


「雑渡、今までありがとうな」

「んー…?」

「なまえはお前に想われていて幸せな生涯を終えることが出来た。こうして綺麗なまま最期を迎えられて、幸せだった」

「最期…」

「これで終わりだ。笑顔で見送ってやろう」

「ま、待って!嫌だ!火葬なんてさせない!私からなまえを奪わないでくれ!まだあんなにも綺麗な顔をしている!まだ眠っているだけだ…まだ、まだなまえは死んでなどいない!」


棺を止めようとしたけど、無情にも厚い扉は閉ざされた。あの中でなまえは火に焼かれている。火に焼かれる恐ろしさを私は知っている。なまえにそんな思いはさせられない。
扉をこじ開けようと必死になっているところで目が覚めた。
何て夢だ。あまりにも酷い。目を擦ってから携帯に何の連絡も入っていないことを確認し、ようやく安堵する。ただ、時間が16時であることに気が付いて驚愕した。寝過ぎた。信じられないほど寝てしまった。カーテンを開けて外を見ると確かに陽が落ちかけている。最悪だ。やってしまった。
リビングに行き、照星の勧めで飲んだ睡眠薬を捨てる。こんな物、もう二度と飲まない。効き過ぎだし、悪夢まで見た。
慌てて着替えて、病院へ行く。なまえは苦しそうに息をしてはいたものの、ちゃんとまだ生きていた。思わず座り込む。


「来るのが遅くなってごめんね。酷い夢を見てさ…」


そっと額に触れると、汗ばんでいた。凄く熱い。
なまえがまた熱を出した。病院にいるのにどうして風邪なんかひくんだと思ったが、入院が長くなると抵抗力が落ちて何かしらの感染症にかかるらしい。なまえが入院してからもう九ヶ月も経っているのだ。きっと抵抗力は赤子並みに落ちているのだろう。そういえば去年の今頃は私も風邪をひいて酷い目にあったなぁと思い返し、なまえが社長に啖呵を切ったことを思い出して思わず声を出して笑ってしまった。
なまえは度胸のある子だった。それは営業部の中でも満場一致の意見だった。あの社長に意見し、怒る私を叱ることが出来るのなど、この世のどこを探してもなまえだけだろう。
なまえの命は尽きようとしていた。熱を出す頻度が上がり、酸素マスクなしには生きられなくなってしまった。それどころか、先日は心臓が止まった。かろうじて息を吹き返したが、血圧は昇圧剤を限界まで使用しても上がらなくなってきている。ギリギリのところで持ち堪えてくれてはいるけど、医者にはもう長くないと言われていた。誤診だろうと思えないほどなまえは衰弱している。今にも呼吸が止まりそうだ。
私は最後に家に連れて帰りたいと懇願した。だけど、それは叶わなかった。いつ何があるか分からない状況でなまえを動かすことは出来ないと言われてしまった。だから私は病院で寝泊まりしたいと言った。残念ながらそれも叶わなかった。結局のところ、私の要望は何一つ通ることはなく、こうしていつものように病院に通うしか出来なかった。私が出来ることは何もない。医者に出来ることも何もないそうだ。
あの時と状況が似ている。私には何も出来ず、弱っていくなまえを側でただ見るしかない。伊作くんにも薬師にも匙を投げられてしまい、泣いて狼狽えることしか出来なかったあの時と全く同じだ。原因は違えど、なまえはまた私を遺して逝こうとしている。誰にも救われることなく、一人で。


「大丈夫、なまえは一人じゃないよ。私が一緒に逝ってあげるからね。一人になんてさせないから、安心して。また会えるといいね。その時はそうだな、どこで会おうか。なまえはあの家を…私たちが昔住んでいた家を探し出してくれたね。私は無意識だったんだけど、なまえは知っていたの?もしも知らずに引っ越してきたんだとするなら、やっぱり運命だったんだろうね。あの丘はさ、今は小さな公園になっているんだ。私たちはあの丘に埋められているんだよ。今回はそれは叶わないんだろうね…あんな冷たい墓石の下に入れられてしまう。おまけに、別々なんだろうなぁ。私には家族がいないからきっと合同墓地に入れられてしまうよ。ねぇ、今からでも遅くないから、婚姻届を出してもいい?本当は二人で書きたかったんだけど…そうだ、そうしよう。あの男に頼んでみるよ。ほら、なまえだって私と結婚してもいいって言ってくれたじゃない?代筆にはなってしまうけどさ。いいでしょ?」


名案を思いついて私が立ち上がると、アラームが鳴った。慌てて心電図を見ると乱れている。私を拒むように。
拒まれたって構わない。なまえと一緒にいられるのなら、何だって構わない。昔からこの思考は変わらなかったようだ。誰にも渡したくなくて、離れたくなくて、なまえを自分の手元に置いておきたい。なまえがどう思っているのかなんて二の次で、とにかく自分が安心したい。身勝手だと思われようとも構わない。それしか方法はないと思ってしまう。それが間違いだと気付いているのに、どうしてもやめられない。
だから、私はあの時もやめられなかった。泣いて懇願するなまえを犯し、側に置いておけると安堵していた。それが愚かな行為であると分かった上で、そうしていた。
何人もの看護師が入ってきた。なまえに近寄り、私を遠ざける。身体の力が抜けて、ずるっとその場に座り込んだ。あまりの絶望に意識が遠のいていく。今日はこんなにも遅くまで寝たはずなのに、まだ寝ようとしているのか、私は。


「雑渡さん」


そっと誰かに抱き締められた気がして目を開けたけど、私の側には誰もいない。もう終わりだ。全て終わってしまう。
壁にもたれ掛かりながら私は絶望のまま意識を手放した。


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