雑渡さんと一緒! 93


「悪いね。しばらく戻れない。御利口にしているんだよ」


雑渡さんは私に口付けてから家を出て行った。一人家に残された私は必死に縄抜けを試みた。だけど、うまくはいかない。忍びの心得なら雑渡さんの方が遥かに上だ。だけど、雑渡さんは私のことを使えない忍びだと思っているのだろう。壁に縛り付けられたりしていないから、動くことは出来る。
私は遠くに置いてある苦無に向かって身体を進めた。手に握ることなんて出来ない。だから、必死に手を苦無に擦った。縄よりも手が先に切れる。だけど、諦めない。私がこうしている間にも潮江くんは死んでしまうかもしれない。
やがて、縄が緩んだ。そのまま私は苦無を手に取り、足の縄を切る。ようやく四肢が解放された。手からは血が滴り落ち、床を血で染めていた。だけど、私は構うことなく着物を羽織り、丘へと走った。丘に行くと潮江くんは既にいなかった。それは雑渡さんの手によってなのか、それとも潮江くんが意識を取り戻したからなのかは分からない。だけど、彼の安否を確認するには一つしかない。忍術学園だ。
私は忍術学園へ走った。幸いにも雑渡さんは今、任務で遠くに出向いている。バレることなく来ることが出来た。
医務室へ一目散に走ると、布団の上に潮江くんが寝ていた。顔色がかなり悪いし、凄く苦しそう。今にも死にそうだ。


「伊作くん、潮江くんは!?」

「門の前に倒れていて…今、こうして手当てはしていますが、正直かなり厳しいと思います。サルノコシカケでもない限りは、文次郎が助かるのは難しいかもしれません…」

「それがあれば潮江くんは助かるの?」

「可能性はあると思います。ですが、あれはとても貴重な物です。そう簡単には見つけられません。今、後輩たちが懸命に探していますが、やはりこの辺りにはないようでして…」

「分かった。私、持ってくる!」

「えっ、なまえさん!?」


私は走った。あれがそんな貴重な物とは知らなかった。サルノコシカケなら里の裏山に山のように生えている。
あまり足が速いとも体力があるともいえない私は息があっという間に上がり、何度も転んだ。すれ違う人は奇妙な目で見ている。それはそうだろう。こんな上等の着物を着て走っている女など誰かに追われているとしか思えない。だけど、誰も追っては来ていないのだから、奇妙としか言いようがないだろう。それでも私は必死に走った。
荒地となっていた里の裏山にはやはり大量のサルノコシカケが生えていた。私は幾つか手に取り、忍術学園へ引き返した。そしてまた、必死に走る。流石に苦しくなってきて、途中の村で水を飲ませてもらうことにした。
井戸から水を汲んで喉を潤した後、住民にお礼を言うために桜並木に囲まれた村へと向かって声を掛ける。だけど、誰も出てこなかった。疑問に思い、家へ入ると中で人が亡くなっていた。死後、随分と時間が経過している様子だった。他の家は覗いていないけど、人気がないことを考えると、きっと誰も生きてはいないのだろう。可哀想に、この村は誰かに襲われたのかもしれない。だけど、弔っている時間はない。
私は手を合わせてから忍術学園へと向かった。医務室にサルノコシカケを持って行くと、伊作くんは驚いた顔をしたけど、すぐに薬を煎じ始めた。完成した薬はとてもではないけど口にしたいと思えない匂いがしていて、見た目もなかなか恐ろしい色をしていた。それを躊躇いもなく潮江くんの口に流し込む伊作くんを見て、ちょっと怖いと思ったりもした。


「……ま…」

「潮江くん!?」

「ま…っじぃな!何だよ、これ!」


先程まで死にかけていたとは思えないほどの大声を出した潮江くんを見て私は安堵のあまり泣いてしまった。潮江くんは伊作くんに文句を言って掴み掛かっており、彼の底知れない体力と生命力を感じた。よかった。本当によかった。
潮江くんは私に気付いたようで、私が泣いているのを見てギョッとした顔をした。そして、気まずそうに謝った。


「その、悪かったな…」

「ううん。私こそ…」

「…なぁ、伊作。悪いけど少し外してくれねぇか」


伊作くんは駄目だよ、と言ったけど、潮江くんが一喝したら渋々出て行った。潮江くんは普段、どんな学生さんなんだろう。私は潮江くんのことは何も知らない。だけど、きっと伊作くんとは良いお友達なんだろうと思った。伊作くんは呆れた顔をして出て行ったけど、嬉しそうにも見えたから。
私は潮江くんに向かい合い、手を着いて頭を深く下げた。


「今回は雑渡さんのこと、ごめんなさい」

「それは曲者が謝罪することだ」

「だけど、私では庇ってあげられなかった」

「女にそんなこと望んでねぇよ」

「それにね。私のこと、好きと言ってくれてありがとう。好きなんて生まれて初めて言われたから私、凄く嬉しかった」

「…初めて?お前、曲者と恋仲じゃないのか?」


そう、私は雑渡さんと恋仲。雑渡さんがどう考えているかは分からない。だけど、少なくとも私はそう思っている。雑渡さんは想いを言葉にはしてくれない。自分のことも多くを語ってくれない。だけど、彼は気持ちを態度や表情で教えてくれる。口では決して優しくないことを言っていても、本当は優しいの。私のことを大切に想ってくれているの。だから、私は雑渡さんが好き。雑渡さんの側にずっといたい。
私が潮江くんにそう言うと、潮江くんは溜め息を吐いた。


「…消えろ、曲者女。お前には曲者がお似合いだよ」

「…うん。ありがとう」

「もう二度と顔を見せるなよ」

「あ、今度雑渡さんと一緒に謝りに来るね?」

「来るなと言っただろうが!」

「でも、ちゃんと謝ってもらいたいじゃない?」

「いらん!」

「ふふ。雑渡さんは潮江くんの好敵手でしょ?その関係を崩したくないの、私。雑渡さんから学ぶことは多くあるよ」

「やかましいわ!」


怒る潮江くんに頭を下げてから、私は忍術学園を出た。
家を抜け出すのに何日もかかったし、丘から忍術学園に行く途中で何度も迷ったからきっと雑渡さんはもう家に戻っていることだろう。私がいなくなって彼はどう思ったんだろう。そして、私が家に戻ったら彼は何と言うんだろう。また縛られるのだろうか。それとも、もう要らないと突き放されるのだろうか。いずれにしても、私の取る行動は一つだ。
私は雑渡さんの側を生涯離れないと里がなくなった時に決めた。自分の心を傷付けてまで私を守ってくれる優しい人だから。不器用だけど、私のことを愛してくれている人だから。


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