雑渡さんと一緒! 95
「悪かったね、潮江くん。弱い君に手を出して」
「お前、謝る気あんのか!?」
「いや、だってさ。弱いのは事実でしょ?」
「ぐっ…し、勝負だ、曲者!」
「やめておきなよ。せめてもう少し回復してからになさい。どうせ勝ち目はないんだし、私は逃げも隠れもしないから」
「な、ん、だ、とぉ!」
忍術学園に謝罪に来たというのに、雑渡さんはまた潮江くんを揶揄って遊んでいた。ちゃんと反省はしているように見えるし、潮江くんが助かって安心しているようにも見える。それに、忍術学園まで潮江くんを運んだのも雑渡さんなような気がした。本当は潮江くんを手に掛けて後悔していた様子だったから。なのに、こういう風にしか人と関わることが出来ないというのは雑渡さんの悪い癖なのだろう。
はいはい、と伊作くんに嗜められ、潮江くんは怒って医務室から出て行ってしまった。私には目もくれずに。それは潮江くんなりの優しさであることが分かっていた私は胸が痛んだけど、隣に座っていた雑渡さんを取り巻く空気が重く、冷たいものになったことに気付いて私は慌てて話題を変えた。
「そ、そういえばさ。サルノコシカケって貴重な物なの?」
「そうですよ。よく見つけられましたね」
「実は私が昔いた忍びの里の裏山にたくさん生えているの」
「本当ですか?どの辺りですか?」
「タソガレドキ領の麓だよ。今度来てみて」
「それはいいことを聞きました…と言いたいところですが」
「何か問題があるの?」
「あの里の近くの村が先日流行病で全滅したんです。ですので、先生方にもあまり近付くなと言われていまして…」
「えっ。そ、それって桜に囲まれた村のこと?」
「そうです。やはりご存じでしたか」
桜に囲まれた、人気のない村。私が井戸の水を頂いた村だと気付いた。確かに、亡くなっている人がいた。誰かに襲われたから人気がないのだと思っていた。だけど、まさか…
「…なまえ?まさか、その村に寄ったんじゃないだろうね」
「ま、まさか!」
「そう。なら、いい」
私は咄嗟に雑渡さんに嘘をついた。あの村が流行病に侵されて全滅したなんて思いもよらなかった。だけど、私は今のところ何ともない。いや、何ともなくてはならない。私のお腹には雑渡さんの子供がいるから。
これは先日、雑渡さんが不在の時に城下町で確認したこと。ここ最近、息が苦しくなるのも、吐き気がするのも、食欲がないのも全て妊娠しているからだと医師と薬師に言われた。まだ雑渡さんには伝えていない。雑渡さんは今朝まで任務で遠くの町まで出掛けていたから。今日、家に帰ったら伝えるつもりだ。雑渡さんは何と言うんだろうか。喜んでくれるだろうか。それとも、私の身体を心配してくれるだろうか。いずれにしても、堕ろせとは言わないだろう。そして、この子が私と雑渡さんを繋いでくれる。雑渡さんと家族として生きていくことが出来ることを示していた。それは私にとって何よりも価値のあることだった。まだ母性はない。だけど、きっとこれから芽生えていくことだろう。
私たちは忍術学園を出て、町で茶屋に寄った。雑渡さんはいつものようにお団子を頬張り、私はいつものようにお茶を飲んだ。本当は雑渡さんと一緒に甘味の味を共有出来たらいいのに、と自分の嗜好が恨めしくなる。だけど、致し方ない。
「なまえは相変わらず茶を啜るのみか。せめて、何か腹に入れればいいものを。ここは甘味以外もあるというのに」
「生憎、今は食欲がありませんので」
「ほぉ?まさか流行病を患っているわけではあるまいね」
「まさか!」
「ふ、冗談だよ。そんなこと、あるはずもない」
ずずっ、と音を立てて雑渡さんはお茶を啜った。町では普段着でいるくせに、どうして忍術学園に行く時は忍び装束をわざわざ着るのだろうか。あそこには雑渡さんの姿を見て臆するような子は一人もいないだろうに。
相変わらず難儀な人だと思いながら私もお茶を口にすると、咳き込んだ。ムセてしまったのだろう。だけど、なかなか止まらない。いや、止まらないどころか酷くなる一方だ。
「…なまえ?」
「大丈…ぐ、ごほっ…」
「なまえ!」
私は血を吐いた。地面が赤く染まる。慌てて口元を着物で隠したけど、雑渡さんに腕を掴まれ、見られてしまった。
雑渡さんは私を見て、気付いてしまった。最悪の事態に。
「お前、まさか、例の村に…」
「…ご、ごめんなさい。だけど、私…」
「流行病の村に立ち寄ったのか!?」
「どうしよう、ごめんなさい。私、私…死ぬの…?」
そう言うと私はまた血を吐いた。息が苦しい。あぁ、雑渡さんに買ってもらった上等の着物を汚してしまった。これは私の宝物だったのに。雑渡さんが私に選んでくれた物なのに。
ぽろっと涙が出た。私、死んでしまうの?折角、お腹に新しい命を宿すことが出来たのに、この子を産み落とすことも出来ず、死んでしまうの?これから雑渡さんと幸せに生きていくことが出来ると思っていたのに、それは叶わないの?
絶望にも近い問いの答えを雑渡さんは私を抱き締めながら紡いでくれた。身体を震わせて、そして、震えた声で。
「だ、大丈夫だ…薬師を探そう。いや、そうだ。伊作くんだ。忍術学園に薬を煎じてもらおう。そうだ、そうすれば…」
「雑渡さん、私、死にたくない…死にたくない!」
「大丈夫だと言っているだろう!なまえは死なない!」
震えた手で優しく髪を撫でられる。だけど、雑渡さんの指には私の抜け落ちた髪が絡み付いていた。それを目の当たりにした私は絶望しかなかった。私は死ぬ。もうすぐ死ぬ。
雑渡さんは私を力強く抱き締めた。声を殺して泣いている。だけど、口では大丈夫だと言い続けた。願うように。
私は雑渡さんを抱き返すことが出来なかった。雑渡さんにまで感染ってしまうかもしれないから。だけど、雑渡さんは私が離れることを許してくれなかった。それどころか、私に口付けてきた。私の口内は血で侵されていて、きっと雑渡さんは血生臭かったことだろう。だけど、そんなことは構うものかと言わんばかりに私の吐いた血を舐めとってくれた。私が流行病に罹り、発病したという現実から目を逸らすように。
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