雑渡さんと一緒! 96


なまえが流行病に感染した。私が思っていたよりも病の進行は早く、そして、あっという間になまえは床から出ることさえ出来なくなってしまった。もう、目も見えてはいない。


「ねぇ、雑渡さん、どこ…?」

「大丈夫。大丈夫だから…」

「…雑渡さん、私たち別れましょう?」

「な、何を言っている!?」

「私はもうすぐ死ぬ。だから、もういいの…」

「ふざけるな!お前の命は私が握っている!私の許可なく勝手に死ぬことなど私は絶対に許さない!」


何が別れましょう、だ。そんな無理に作った顔をして笑い掛けられても何も嬉しくない。なまえは私の女だ。私を置いて死ぬなど、絶対に許さない。絶対に治してみせる。
私はまず伊作くんを頼った。だけど、返ってきた答えは否定的なものだった。あの病は奇病で、進行も恐ろしく早く、そして、発病したらまず助からないと言われた。私は信じられなくて薬師を探し回った。どこかになまえを救ってくれる者がいる。そう信じて何里も離れた町まで足を伸ばした。だけど、どの薬師に尋ねてみても返ってくる返答は同じだった。私は絶望のあまり、泣くしかなかった。
なまえが病を患ったのは私のせいだ。私が潮江くんを手に掛けようとしたからなまえは流行病なんて罹ってしまった。どう詫びても取り返しはつかない。もう、二度とあの幸せな日々は戻ってはきてくれない。そう思うと居ても立っても居られなくて、薬師を探すのに躍起にならざるを得なかった。
私は望みを捨てきれなくて、何日も家には帰らず、ひたすら薬師を探し回った。そして、遂にその数が二桁を超えたあたりで、諦めるしかないと気付いた。
家の前で涙を拭ってから、なまえの元へと行く。息が苦しそうで、布団は血に染まっていた。私の気配に気付いたのだろう、探すように手を伸ばしてきたから、握り締めた。


「ようやく、戻ってきて下さったのですね…」

「なまえ、大丈夫だ。きっと助かる」

「私はもうすぐ死にます。だから、お側にいて下さい…」

「…そんなこと、私が許さない」

「雑渡さん…」

「お前の命は私が握っている。勝手に逝くなど、許さない」

「…ねぇ、雑渡さん?聞いて欲しいことがあるの」

「嫌だね。人と話をする時は目を見るものだ」


どこまでも優しくなれない私はなまえを突き放すようなことしか言うことが出来なかった。だけど、こんな結末はあまりにも酷い。二人で生きようと、そう思ってから何日も経っていないというのに、私の元からまた消えようとしている。
せっかく拭ったというのに涙がまた出てきた。泣くな、泣いたりしてはいけない。私は忍び組頭だ。女の死くらいで動揺したりしてはいけない。私は強くなくてはいけない立場だ。なのに、涙が止まらない。悔しい。これではまるでなまえの色に掛かり、そして、翻弄された挙句に失って失意に落ちてしまうようではないか。そんなこと、私の矜持が許さない。なまえは私が翻弄してやるんだ。私の手の平で踊らされて、愚かにも笑っていればそれでいい。そうしてくれるのなら、少しくらいは素直になってやっても構わない。だから、私を置いてなんて逝かないでくれ。私を一人にしないでくれ。


「私たち、また会えると思うの。不思議な夢を見たんです。あなたは首に紐を掛けて今みたく必死に働いていた。今と見た目は違っていましたけど、確かにあなただった。私は…ふふ、私はね、料理が上手になっていたんです。雑渡さんのために毎日料理を作って、あなたの帰りを待っていた。そんな幸せな夢を見たんです。だから、だからね…私たちはお別れではない。きっと、また会えます。だから、その時はまた私をお側に置いて下さいね?今度こそ、二人で生きましょう…」

「何を愚かなことを…っ、お前は、死な…な、い…」

「泣かないで。大丈夫ですから…だから、私があなたに会いに行くのを待っていて下さい。必ず私はお側に行きますから」

「くだらないことを言う女の戯言など、聞きたくもない。お前はこれからも私と共に生きるんだ。ずっと、生きるんだ」

「ねぇ、雑渡さん…」

「…うるさい」

「私、あなたと会えて幸せだった…」

「うるさい!」

「愛しています、雑渡さん…」

「うるさい!もう黙れ!」


私の怒鳴り声が家に響いた。息が出来ないくらい泣き、私を置いていくことが決まっているかのようなことばかり言うなまえの首に手を掛けた。こんなことをしたところで、何の脅しにもなりはしないと分かっていたけど、それでも、これ以上は聞きたくもなかった。
だけど、首から感じるはずの脈がなかった。私の望み通りになまえは黙っていた。目からは涙が溢れ落ちており、固く閉ざされている。あんなにも苦しそうにしていたというのに、呼吸を感じない。気配など消せるだけの技量もないはずなのに、この家からは何も感じない。私の呼吸のみが聞こえる。


「なまえ…なまえ!」


なまえを揺さぶっても返答もなければ、身動き一つとらなかった。抱き締めると、確かにまだ温かいというのに、動いていない。腕がダラリと床に落ち、首はぐらぐらと揺れている。何度も見知った屍の動きと同じだった。
私はなまえに最期に何と言った。なまえに最期に何を伝えた。本当は何と伝えたかった。何も、何も伝えられてはいないのではないか。最後まで私はなまえを突き放した。
私はなまえの屍を抱いて声を出して泣いた。後悔と、悔しさと、悲しみ以外感じなかった。どうして私は素直になまえを愛せなかったのだろう。どうして私はなまえに優しく出来なかったのだろう。こんなにも愛していたというのに、どうして私は自分のくだらない矜持を優先してしまったのだろう。後悔は次々に浮かんできて、頭の中を支配した。夜が来て、朝となり、そしてまた夜が来た頃、涙は遂に枯れた。もう視界が霞んでなまえの顔もよく見えない。だけど、脳裏に嫌というほど残って離れない残像はいつも笑っていてくれた。
なまえを抱き抱え、闇に染まった丘で私は苦無を自身の首に入れた。そして、身を投げた。別になまえが最期に言っていた「また会える」という言葉を信じたわけではない。そもそも、首に縄を掛けられて働かされるなんて御免だ。私は奴隷ではない。誇り高きタソガレドキ忍軍の忍び組頭だ。
あぁ、だけど、もしも輪廻転生というものがあるのだとすれば私はまたなまえに会いたい。その時は必ず自分の気持ちを素直に伝えよう。私の持てる知識の全てをなまえに授け、甘やかし、そして、片時も離れることなく過ごそう。そうだ、その時はこんな醜い容姿ではなく、誰もが羨む程の容姿になっていたいものだ。そうすればきっと今よりも幾らか自分に自信を持つことが出来るようになり、きっと今よりもずっとなまえの隣に立つに相応しい男でいられるだろうから。
だから、これでお別れだ、なまえ。ごめんね、最期まで私は愚かで。だけど、これだけは信じて欲しい。私はなまえを愛していた。本当はずっと前からなまえだけを愛していたよ。


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