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2026 06/19
[chapter:切に願う]
「…なんだ、これは?」
「俺に慰められて癒され中のマスターっす」
マスターのマイルームにやってきたアスクレピオスは思わず呟いた。眉を顰めながら呟くアスクレピオスにマンドリカルドはあっさりと言う。そんなマンドリカルドの言葉にアスクレピオスは寄せた眉をぴくりと動かした。
「確かに僕はお前にマスターを色んな意味で慰めろと言ったが…」
目の前のマスターを見ながらアスクレピオスは言う。
「マスターが意識朦朧とするまで慰めろとは言っていないぞ?」
ベッドで背後のマンドリカルドに寄りかかりながら壮絶な色気を放ち、ぽやぽやとしているマスターを見て、アスクレピオスはため息をついた。
連絡を受けたアスクレピオスはナイチンゲールと共にマスタールームに来た。曰く、今日の検査はマスタールームでして欲しいと。ある程度は予想していたから、アスクレピオスはナイチンゲールと共に来たのだが、マスタールームを開いた瞬間、眉を顰めた。
何というか、マスタールームの色の匂いが凄い。それも予想していた烏賊臭いとかではなく、甘ったるく蠱毒的なもの。フェロモンと言えばいいだろうか?それに匂いがついたような香りがする。それを無視し、アスクレピオスはナイチンゲールと共に部屋の中に入った。
「お疲れ様っす、医神様」
アスクレピオスがベッドに近づくとベッドでマスターの体を背後から支えていたマンドリカルドが声をかけてきた。ベッドの上で足を伸ばして座るマンドリカルドに体を預けるように座っているマスター。その視線は虚だ。焦点の合わない瞳で空を見ている。そんなマスターを見たアスクレピオスは冒頭のように眉を顰めながら、マンドリカルドに尋ねたのだった。
「何でそんな体制をしているんだ、マンドリカルド?」
「やっぱ、座った状態の方が検査しやすいかと思ったんで、こうしておきました。こうしないとマスターの体が倒れてベッドに寝転がってしまうんすよ。今のマスター、体に力が入らないんでね。支えないと崩れちまうんす。意識もまだ少し朦朧としてますし」
「別にマスターが寝ている状態でも検査は出来るぞ?」
「マスターが嫌がるんで、このままして貰えると助かるっすね」
アスクレピオスの問いにマンドリカルドはしれっと答えた。そんなマンドリカルドの言葉にアスクレピオスはまたため息を吐く。だが、このままでも検査は出来るかと思い直し、マスターの状態を調べることにした。
マスターの状態は随分良くなった。特に精神的なストレスによる数値が下がっているらしい。昨日マンドリカルドに指示した「マスターへの慰め」はちゃんと効いたようだ。
しかし、こんな状態のマスターを出す訳にはいかない。何せ、色気が凄過ぎる。こんなマスターを外に出したら、色欲とかに忠実なサーヴァントとかに食べられてしまう。
だから、僕達はマスタールームに来るように言われたんだなとアスクレピオスは内心、こっそりとため息を吐いたのだった。
「マスターの状態は大分良くなったようですね。貴方に任せたのは正解でしたよ、マンドリカルド」
「マスターの役に立てたんなら、何よりっす」
「とはいえ、まだまだ回復したとは言えません。昨日の検査結果からもマスターの精神状態はかなりボロボロ。あの発言も気になりますしね。しばらくは貴方にマスターの看病を任せた方が良いみたいでしょう」
検査が終わるとナイチンゲールは言った。それにマンドリカルドが返事すると彼女はそう言ってアスクレピオスを見る。如何でしょう?と言う彼女にアスクレピオスも頷いた。
「確かにお前の慰めが一番マスターに効いているしな。しばらくはマスターの精神を癒すのに専念しろ、マンドリカルド。僕達が毎日ここへ来て、検査をするから」
「あざっす、医神様」
「暫く休めるしな。いい機会だから、お互いの精神を回復させておけよ。お互いに慰め合って癒し合ってな」
アスクレピオスはそれだけ言うとナイチンゲールと共に部屋を出て行った。二人が部屋から出て行き、扉が閉まるのを見ると、マンドリカルドは背後からマスターの耳元に口を近づけ、話しかける。
「…つー訳っすよ、立花。良い機会なんで、今まであんたが胸の内に秘めて溜め込んでいたものをここでぶちまけましょう」
「…でも」
「大丈夫っすよ、立花。今、ここにいるのは俺だけっす。他には誰もいないっすよ。俺以外があんたが隠していたものを知る事は出来ないっす。あんた自身も今なら、吐き出しやすいでしょう?今のあんたは普通じゃないんで。だから、この状態にしたのもあるんすよ」
マンドリカルドの言葉にマスターは呟く。そんなマスターの体を支える為に腹に回した腕を微かに動かしながら、マンドリカルドは優しく囁く。
「だから、全部を吐き出しましょう?今まで言えなくて辛かったもの、全部。俺にも教えて欲しいんすよ、立花」
腹に回していた腕を動かし、マンドリカルドは背後から立花を抱き締めた。肩のあたりを掴み、力強く抱き締めながら言う。
「俺はあんたのものなら、全部愛しいんで。あんたが皆に隠したいと思い、あんたは汚いと思っているのも全部綺麗だと思い、愛しているから。だから、出して下さい。俺は全部、受け止めるんでね。それは、あんたの大切なものでもあるんすからね」
マンドリカルドの言葉を聞いたマスターは虚な瞳から一筋の涙を溢した。青い瞳から溢れたそれは次々と溢れ出て、マスターの頬を濡らしていく。
「…俺はね、マンドリカルド」
ぽつりとマスターは呟いた。虚な瞳から涙を溢しながら、ぽつりぽつりと呟く。
「『普通』に生きたいんだよ…」
泣きながらマスターは呟いた。そして、ぽつりぽつりと呟いていく。
「朝起きて、家族と『おはよう』って言い合って、作って貰った朝ご飯を食べて、制服に着替えて、自転車と電車に乗って、学校に行って…教室に行ったら、友達とおはようって挨拶し合って、宿題した?って聞かれたら、したよとか、忘れちゃったとか言って笑い合って、予習した?って聞かれたら、したよとか、ヤバイ、していないとか言い合って…」
青い瞳からぽろぽろと涙を流しながら、マスターは話していく。そんなマスターに何も言わずに抱き締めながら、マンドリカルドは微かに首を縦に振る。無言で肯定してくれ、先を促すマンドリカルドにマスターはぽつりぽつりと自分の『普通』を語っていく。
「授業が始まったらさ、必死に勉強したり、かったるい授業だな、とか思ったり、ゲームしたから眠いなってうとうとしたりして、眠ってしまったり…教室移動する時にさ、友達と一緒に笑いながら、次の授業は好きとか、次の授業は嫌いとか、かったるいとか言い合って…お昼ご飯は家族が作ってくれたお弁当に食べながら、友達と笑いながら、今日は好きなのがおかずだとか、今日は嫌いなのがおかずだって言ったりして、食べていって…午後の授業はお昼食べた後だからさ、眠くなったりする。体育なら、体を動かすから目が覚めるかもしれないけど、古文とか歴史とかだとさ、眠くなるんだ。先生の声がまた眠気を誘ったりする事があるから、眠らないように必死になって、黒板とかに書かれた内容をノートに書いていき、勉強していって…」
かつてしていた『普通』の学校生活。遠くなってしまった『普通』を…日常をマスターは語っていく。マンドリカルドは黙ったまま、それを聞いた。
「授業が終わったら、部活とか入っている奴は部活をするんだ。厳しい部活に入っている奴等はさ、夢とか目標に向かって必死になって練習して、穏やかな部活の奴等はくだらない話をして楽しく部活して…帰宅部の奴等はそのまま家に帰って、勉強したり、遊び呆けたりして…学生だから、お金ないからさ、たまに帰り道にあるお店に寄って、買い食いしたりとかするんだ。で、一緒に帰る友達とこれは美味しい、これはあんまりとか言って笑い合って…」
『普通』の生活を語り続けるマスター。そんなマスターの言葉を遮る事なく、マンドリカルドは聞く。そんなマンドリカルドにマスターは更に語っていく。
「家に帰ったら、勉強したりしてさ、夕飯の時間になったら、作って貰ったご飯を食べながら、今日はこんな事があったんだとか、テレビ面白いねって言い合って笑ったりして、食べ終わったら、夕飯の片付けとかしたりして、お風呂に入って、また勉強したり、寝たりして…また起きたらさ、また家族とおはようって言い合うんだ。それで、作って貰った朝ごはんを食べる。平日なら、また学校に行くけど、休みなら、好きにする。友達と遊びに行ったり、家で勉強したり、ゲームしたりして遊んだり、ベッドでゴロゴロしたり…」
幸せだった『普通』だった学生生活を思い出しながら、マスターは呟き続ける。マンドリカルドに教えるべく、次々に語っていく。
「それで、学校を卒業したらさ、次は会社に就職するんだよ。生きて行く為にお金を稼ぐ。働きながら、いつか好きな人と結婚をして、子供を作り、育み、家族と家庭を築いていく。そして、自分の子供が結婚して、孫を作る。おじいさんになった俺は孫が可愛いから、甘やかしちゃう。それで、子供に孫を甘やかすなって怒られるけど、きっと甘やかすよ。だって、孫は可愛いって聞くから。可愛いからこそ、厳しく躾けるっていう人もいるけど、俺は多分、可愛がる気がする」
そんな未来を想像しながら、マスターは微かに笑った。かつては容易に想像できた未来。遠い昔の自分は自分もそうなるんだとなんとなく思っていた、未来の自分だ。
「それで、皆は大きくなり、俺は老いていき、その内、死ぬ。病気か寿命を全うするか分からないけど、でも、いずれ死ぬ。俺が死んだら、家族は泣いてくれて、お葬式をする。俺の故郷は火葬が基本だから、死体を燃やす。死体が燃えると、骨だけになるから、墓に骨を納める。そして、俺の家族は墓参りの度に俺の骨がある墓を参ってくれる。そうして、命のバトンは繋がれていくんだ。違う人もいるけど、俺の故郷は大体はそうやって、命を繋げて行くんだ。未来へと命を繋げていくんだ」
そう言ってマスターは笑った。それこそが『普通』の未来の自分の結末だと思っていた。病気とかで多少は変わるかもしれないが、そう思っていたのだ。それこそが自分の人生の先だと思っていたのだ。
「そんな生活が当たり前で普通だった。それこそが、当たり前で普通な生活だと思っていた」
かつてあった『普通』に思いを馳せながら、マスターは呟く。だが、そこからマスターの顔から笑みが消えた。
「でも、違った。カルデアに来て、思い知らされた。俺の送っていた生活は全然普通じゃなかった。色んな人が色んな思いを抱え、戦って、勝ち取ったりして、少しずつ育んでいった。時には成功し、時には失敗した。そして、時には命を落とした。何度も何度も成功と過ちを繰り返した結果、分かっていき、命を繋げてもらったから、俺達はそんな『普通』な生活が送れていたんだ」
カルデアに来てから知った世界の歴史。レイシフトを使って過去とかに行ったからこそ、分かった現実だ。
「ベッドで安心して眠れるのは当たり前の普通じゃなかった。ご飯があるのも当たり前の普通じゃなかった。学校に行って、くだらなくても楽しくて幸せなのは当たり前の普通じゃなかった。そもそも、お店に行ったら、食べ物があるのが普通じゃない。買えるお金があるのが普通じゃない。時には人を殺してまで食糧を得ないといけない時もある。何なら、食べ物を得る事自体が難しい時もある。眠るのだって、難しい時だってあるくらいだ」
旅をして知った。世界のあちこちを旅した事で学んだ。自分が思っていた『普通』は当たり前ではないと気付かされ、分からせられた事だ。
「子供だって、場合によっては得られない。男女で交わらないと子供はできない。それも、相手が子供を作れる体じゃないと成立しない。同性同士なら、尚更作れない」
マンドリカルドと恋人になって、マスターはそれを初めて知った。知識としてはあったが、実感した事は無かったのである。マスターの国は異性と恋愛して結婚するのが普通だったから、分からなかった。カルデアに来てマンドリカルドと恋人同士になり、ようやくこの事を考え、実感したのだ。
「ただ、生きるのだって難しいのに、時には争いが起こってしまう。自分の願いを叶えるのだって、困難な時がある。戦争になり、志し半ばで死ぬ事だってある。なのに、何も残らない時の方が多い。誰にも知られずに無駄死にすることもある。死体自体も埋葬だってされない事も多い。だからか、皆、必死になる。戦争で活躍して、名誉ある死に方をしたり、誰かの為に戦ったり、無様な生き方をしてまでも、帰りたい場所に帰ったりする」
今まで旅先で見て来た事。歴史の真実。歴史の授業ですら習わなかった現実がそこにはあった。戦場でサーヴァント達と共に戦ったマスターだからこそ、それが分かったのだ。
「そして、俺達にそんな過ちはするなと教える。こんな生き方をするな、平和に生きろ、幸せに生きろと伝える。そう伝えながら、俺達に命のバトンを引き継いでくれた。だから、俺達は知らなかった。歴史の授業で習う程度だった。それくらい、俺達には縁遠いものだったんだよ、戦いっていうのは」
そう。マスターの故郷はそんな環境だった。戦争なんてない、平和な国。平和の為に戦いの武器を制限し、争いを起こさないようにしながら、築いた平和な国。
そこまで行くのがどんなに大変な道のりであり、険しい戦いだったのか?近いものを経験しながらも、それでも直接に故郷のそれを見た事がない立花は今までの知識や経験から、それを想像する事しか出来ない。
「でも、違う。カルデアに来てから、俺は殆どずっと戦いっぱなしだ。必死になって戦い、勝たないと生き残れない。そして、特異点も異聞帯も戦いを終えたら、消えて行く。場合によっては、カルデアの記録からだって消されてしまう可能性があるんだ」
今まで修正したりして消えていった旅先…いや、戦場を思い出しながら、立花は話して行く。召喚してからはマンドリカルドも一緒に経験したし、来る前の旅は記録を見て知ったものだ。そんなマンドリカルドにマスターは口から言葉を吐き出した。
「だから、俺達が…俺が覚えているしかない。全部を覚えていないといけない。でないと、皆の生きた証は残らない。俺は現地で一緒に皆と戦うから、尚更分かる。これは誰かが覚えていなければならない。あんなにも必死になって、皆が生きたから、覚えてなければ。でないと、皆に失礼だ。それくらい、皆は必死になって生きていたから、俺くらいは覚えていたいんだよ」
消えていった旅先を思い、そこまで呟くと更にマスターの目から涙が溢れた。そんなマスターの涙を拭いながら、マンドリカルドは黙って話を聞く。
「こんな…こんな生き方…したくなかった…ただ、普通に穏やかに暮らしたかった…平和な世界で平和に生きたかった…俺の故郷で平和に平凡に生きて行くのが当たり前で普通な生き方でありたかった…戦いなんて、知りたくなかった…必死にならなければ、生きていけない生き方なんて…知りたくなかった…知りたくなんて…無かったんだよ…!」
そこまで言うとマスターは叫んだ。悲痛に苦しそうに叫ぶ。今まで胸に秘めていた思いを吐き出して行く。
「でも、俺が覚えてないと…!俺が生きて、覚えていないと…!!だって、皆、俺達の為に戦ってくれた!俺達の世界を…人理を守る為に必死になって生き、戦ってくれた!!時には自分達を殺すのか、否定するのか!って憎まれる事もあるけど…でも…でも…!!」
マスターは、そこで一旦言葉を切ると叫んだ。
「パツシィは言ってくれた!きっとお前達の世界の方が美しい。だから、そちらが生き残るべきだ。だからこそ、まだだ。まだ生きろ。戦えって言ってくれた!!自分達を否定してまでも…俺達は生き残るべきだって、俺達の世界を肯定してくれたんだ!そして、俺達に…俺に託してくれたんだ…!!」
極寒の異聞帯での旅を思い出しながら、マスターは叫ぶ。血まみれになりながらも自分を叱咤激励し、喝を入れ、叫んでくれた仲間を思って。
「だから、俺は戦うしかない。戦って、取り戻すしかない。生き残って、取り戻すしかない。元の世界を…元の生活を…!それが、願いだから…!!必死になって、俺達に…俺にバトンを託してくれた皆の為に…!どんなに非難されても!!どんなに罵倒されても!それでも、戦わないと!!取り戻さないと!そして、覚えていなくちゃ!!俺達とは違い、必死にならないと生きていけなかった人達を…全部、全部…!そうじゃないと、皆に失礼だ!!そこまで必死にならないと生きていけなかった皆に…失礼だ…!失礼じゃないか…!!」
悲痛にマスターは叫んだ。自分で決めた事であり、自分が選んだ道だとしても、それでも。
特異点や異聞帯は消える。下手したら、カルデアの記録からも。時に生きる為に激しく戦い、時に馬鹿みたいに皆と楽しく遊んだりしても。それでも消えてしまうのが、特異点や異聞帯だ。そういうものなのだ。
だから、マスターは尚更覚えていたかった。消えてしまう旅先は、それでも確かにあったのだから。そこでどんなに辛い目にあっても、確かにあったのだから。
ただ、それが分かっていても、それでも消えてしまうという事実は寂しくもあった。
だから、マスターは尚更覚えていたかったのだ。
それを聞いたマンドリカルドは思った。これもマスターを苦しめる要因かと。マスターの認識を歪ませる原因だと。旅先でどんなに辛く、苦しい思いをしても忘れない。自分で選択したからこそ、だからこそマスターは逃げられない。捨てられない。忘れられない。自分が忘れたら、下手したら誰の記憶からも無くなってしまう可能性もあるから。
その記憶が自分を追い詰めてしまう深い傷だと分かっていても、丸ごと受け入れ、丸ごと抱えてしまう。そうするしかないし、そうすると自分で決めたのだから。
だから、これもマスターの心を追い詰められた部分もあるんだろうなとマンドリカルドは思う。それくらい、マスターの旅は過酷なのだから。
時には非難され、罵倒され。明らかに敵意を向けられ。それでもマスターは耐え、前に突き進む。そうしないと世界は…人理は助からないからだ。
マンドリカルドの腕を掴むと、マスターはそれに顔を埋めた。マンドリカルドの腕を掴んで顔を埋めて泣きながら、マスターは小さな声で呟く。
「俺…俺…こんな生き方、したくなかった…こんな重いもの…背負いたくなかった…もっともっと…楽に生きたかった…普通に普通の生活をして…普通の人生を生きたかった…平和で、平凡で…でも、死ぬ時に送ってきた人生を振り返った時、俺の人生も悪くなかったなって笑って…穏やかに死にたかった…そんな当たり前な人生を…送りたかったんだよ…!」
最後だけはそう叫ぶとマスターは泣いた。ずっと泣いていたけど、一際強く。泣きながら、マスターは呟く。
「戻りたい…戻りたいよ…俺、元の生活に…元の世界に…戻りたいよ、マンドリカルド…このままの状態で、俺の元いた世界にじゃなくて…戦いなんて、歴史の教科書に書かれている、遠い出来事程度の認識でいられた…あの平和で平凡な世界に…戻りたいよ…こんな重いものを抱えなくても…大丈夫だった、あの頃に…戻りたいんだ…戻りたいんだよ、マンドリカルド…」
ぼそぼそと呟くマスター。そんなマスターの言葉を聞いたマンドリカルドは思った。確かにカルデアでは言えないなと。こんな気持ちを知られてしまったら、カルデアはとんでもない事になってしまうだろうから。
皆の為に願いを隠してきた優しいマスターを褒めるようにマンドリカルドは顔を埋められていない腕を動かし、マスターの頭を撫でる。そんな優しい恋人にマスターは更に泣いた。
「君だけいればいいよ…こんな俺を愛してくれる、君だけいればいい…元の世界に、君だけいればいい…君と一緒に学校生活とかして…いずれ、社会人になって…でも、一緒に暮らすのは君で…くだらない事や些細なことに幸せを感じて、笑って…たまに喧嘩したり…でも、仲直りをして、また幸せな生活を送って…出来るだけ、一緒にいて…最後を迎えたいよ…そんな幸せな人生を…送りたいよ…」
噛み締めるように呟くマスター。マンドリカルドに言った言葉はある意味でマスターの本心だったのだ。そして、悲痛な叫びだったのだ。
君だけいればいい。君しかいらない。こんな俺を愛してくれる君だけしかいらない。
これは、これこそがマスターの本心だった。冗談抜きに本気でマスターはいざという時はマンドリカルド以外捨ててしまう可能性があるのだ。他のサーヴァント以外はいらないというのも本心の一つだったのだ。
だから、マスターは隠した。必死に醜い願望を押し込めた。こんな願いはない。こんなの願ってはいけない。思ってもいけない。俺は確かに皆を愛している。そして、皆も確かに自分を愛し、力を貸してくれる。だから、こんな願いには蓋をしよう。胸の奥深くに押し込め、隠さないと。そして、消さないと。でないと俺が愛し、俺を愛してくれる皆に失礼だから。無くさないといけない。
大丈夫。俺はちゃんと皆が大好きだから。本当に皆を愛しているから。マンドリカルドを一番に愛しているけど、皆だって好きだ。だって、俺は皆が好きで、皆は確かに俺を愛し、大切にしてくれ、力を貸してくれるのだからね。
確かに皆を愛しているから、マスターは皆を愛し、心の底から笑いながら皆と接していた。でも、同時にその部分は確かにあって、その部分は皆を愛しているマスター自身に舌を出し、皆を愛しているマスターを嘲笑っていたのだ。
そこからも、マスターは自分を愛せなくなっていた。こんな自分は汚い。こんな自分が愛される訳がない。こんな自分は価値がない。こんな自分は魅力がない。こんな自分は嫌われて当たり前だ。
だって、自分は心の底から確かに愛している皆を愛しきれないから!自分を愛してくれる皆にちゃんと愛を返しきれないから!!皆をこんなに愛している筈なのに、いざとなれば、自分はマンドリカルドだけを選び、彼以外は捨ててしまう可能性があるから!!
こんな自分を知られたら、マンドリカルドに嫌われてしまう。自分以外をも思い、自分以外にも真剣に向き合う彼から、嫌われてしまう。誰にでも誠実な彼に嫌われてしまう。自分にだって向き合い、対等に接し、自分を尊重し、ちゃんと愛してくれる彼に嫌われる。誰よりも愛してくれ、また自分も愛している彼から嫌われる。生半可な愛を皆に向ける自分は薄情だと軽蔑されて嫌われてしまう。
それだけは嫌だ!マンドリカルドだけは絶対に失いたくない!!こんな汚い俺を愛してくれるマンドリカルドだけは失いたくないんだ!自分も愛しているから、尚更彼を失いたくないんだ!!
マスターはその辺りからも苦しんでいたのだ。だから、マンドリカルドの愛情しか、ちゃんとマスターに届かなかったのだ。受け入れられなかったのだ。確かに無性の愛を向けている皆を、ちゃんと心の底から愛しきれないという事実のせいで。
これは言えないな…周りに言える訳がないな…これも本心だから…言える訳がないか…勘づかれ、悟られでもしたら…下手したら、一巻の終わりだもんな…
マスターの本心を知ったマンドリカルドはぼんやりとそう思うのだった。そんな最愛の人の腕の中でマスターはぽつりと吐き出した。
「好きな人と…平凡で普通で当たり前で…でも、幸せな人生を…送りたい…送りたいんだ…それだけで…俺は幸せなんだからさ…」
その言葉を言うとマスターは黙った。ようやく自分に全部を吐き出してくれた最愛の人を褒めるようにマンドリカルドは頭を撫でる。その優しさにマスターはまた泣いた。最愛の人の腕に顔を埋め、涙を流し続ける。
泣いて、泣いて、泣いて…吐き出していく…辛くて醜い思いを…気持ちを…願いを…吐き出す為に…
そんなマスターを背後から抱き締め、慰めながら、マンドリカルドは思った。
きっと…きっと、これがマスターの…いや、『藤丸立花』の願い…叶わないって分かっているけど…それでも願わずにいられない…願いなのだ…無理だと分かりきっていても…捨てられない願いなのだ…表にすら、出せなかった…願いなのだ…
一番好きな人であるマンドリカルドとだけ、一緒に…傍にいたまま、元の生活に戻る。
これこそが『藤丸立花』の願い…願望だった。
それが分かったマンドリカルドは一生懸命に考えながら、呟く。
「そうっすね…」
マスター…いや、立花の為にマンドリカルドは呟く。最愛の人を慰め、癒し、救う為に。そして、ようやく自分に本心を言ってくれた彼に感謝を伝える為に言葉を選び、彼に自分の想いを伝える。
「好きな人と一緒に…幸せになりたいってのは…俺も分かるっすよ、立花…」
ぎゅっと立花を抱き締めながら、マンドリカルドは言った。その言葉に立花は顔を上げる。そして、背後から自分を抱き締めてくれる人の顔を見る。
マンドリカルドは笑っていた。困ったように、でも優しく、それでいて慈しむように。自分の最愛の人の為にマンドリカルドは気持ちを伝えるべく、言葉を紡ぐ。
「だって、そんな人生は…最高じゃないっすか…好きな人と一緒になって、幸せになるなんて…最高の人生じゃないっすか…最高に尊い人生じゃないっすか…」
立花に笑いかけながら、マンドリカルドは言った。立花の為に言葉を選びながらも、でも自分の気持ちや素直な思いを伝えるべく、言葉を紡ぎ続ける。
「その思いは…願いは激しく苛烈で…でも、美しくて綺麗で…何よりも尊くて愛しくて…素敵な思いで願いで…そして、最高な生き方だと思うっすよ、立花…愛の為に…愛する人の為に…生きるんすからね…」
「マンドリカルド…」
「俺も、そうだったんでね…分からなくもないっすよ、立花…」
自分の言葉を聞いて目を見開き、自分を見つめる恋人に優しく笑いかけながら、マンドリカルドは己の全てを伝えるべく、立花に語る。
「俺が『ヘクトール』に憧れたのは、そこもあるっす。あの方は妻を愛し、家族を愛していましたから…何よりも愛していましたから…きっと、それこそが大切だと分かっていたから…『ヘクトール』は…その愛こそが大切だって分かっていたから…だから、その為に生きて、死んだんだと俺は思っています。だから、俺は『ヘクトール』みたいになりたかったんだと思うんすよ。だから、ちょっとでも近づく為に…生前の俺は馬鹿みたいに武具が欲しかったんだと…思うんです…『ヘクトール』みたいに…愛し、愛されたかったから…欲しかった…生前の俺はそうだったと…今の俺は…そう思ってます…」
立花に笑いかけながら、マンドリカルドは自分の気持ちや思いや考えを言う。きっと、自分は愛し、あいされたかったから、『ヘクトール』の武具が欲しかった。だから、何をしてでも手に入れようとしたのかもしれないと思い、考えながら。
「その為に、『ヘクトール』は戦ったんだと俺は思ってます。愛している妻を、家族を…そして、国を愛していたから…立花が言う『普通』の生活こそが大切で幸せだと分かっていたから…頑張って戦った…己の全部を使って…戦いきった…その為に全部を尽くしたんだと…俺は思ってます…」
そこまで考えたマンドリカルドは思う。王の自分もそうだったのかもしれないと。だから、彼は立花に全部を奪い尽くさせた。誰よりも愛している立花に自分がいかに立花を愛しているかを証明し、伝える為に。
そして、彼も立花から愛されたかったのだろう。それも自分のように全てを自分に向けてもらえる程に一番に。それならば、なんと切ない事か。何て苛烈で激しく、一途な愛なのだ。
だが、渡せないのだ。立花だけは渡せない。それだけは自分には出来ない。自分も立花を愛しているから。そして、立花も自分を一番に愛してくれるから、出来ないのだ。
何より、自分はそんな綺麗ではない。誰かの為に自分が大切に愛しているものを他の誰かに渡すなんて出来ない。自分はそんな善人ではない。
『誇り高きタタールの王族』で『傲慢な暴君の略奪者』である自分は、そんな綺麗な存在とは無縁なのだ。そんな存在だから、生前の自分は傲慢で冷酷で残忍で暴虐を尽くし、己の欲を何が何でも叶えようとした。おかしな程に愛した者に変な求愛行動をしたのだ。
本当の自分の願いを叶える為に。
その気持ちを綺麗に包み込み、マンドリカルドは吐き出す。綺麗な言葉で着飾り、最愛の人に伝える。怖がらせないように傷つけないように。
そして、嫌われないようにする為に。
言葉なんて、それでいいのだ。大切な事が大切な存在に伝わればいい。そして、受け入れて貰えばいい。それが出来れば、十分だ。
「生前も今も…その願いは変わってないっす…俺もそうなりてぇっすよ、立花…愛している人の為に全部を尽くし、全部を捧げ…お互いに愛し合い、お互いに幸せになる…そんなの…」
そこまで言うとマンドリカルドは満面の笑みで最愛の人に…立花に言った。
「最高に幸せな生き方っすよ、立花…最高に美しくて…綺麗な生き方っすよ、立花…最高に尊くて…素晴らしい生き方じゃないっすか…一番好きな人との愛の為に生きるなんて…ね…」
「マンドリカルド…」
マンドリカルドの言葉を聞いた立花は彼を見た。いつの間にか涙を溢さなくなった青い瞳で最愛の人を見る。そんな立花にマンドリカルドは笑いながら、静かに言う。子供が秘密の話を母親に伝えるように言う。
「一番好きな人の為に尽くし…一番好きな人と一緒に生き…一番好きな人と一緒に幸せになるって…最高だと思いませんか…?最高だけど、普通で…細やかだけど、大切で…何よりも美しくて…綺麗な生き方だと…思わないっすか、立花…?」
「…うん」
マンドリカルドの言葉を聞いた立花は頷いた。笑みを浮かべ、立花は答える。
「凄く幸せで…美しくて…綺麗な生き方だね、マンドリカルド…最高の…人生だね、マンドリカルド…」
そう言って、立花は満面の笑みを浮かべてマンドリカルドを見た。涙の跡がありながらも、綺麗に笑って。そんな立花を見たマンドリカルドも綺麗に笑う。
あぁ、立花に気持ちが伝わった、立花も同じ気持ちなんだ。誰よりも愛している立花が自分と同じ価値感を持って、同じ気持ちでいるなんて、最高に幸せだ。
そう思い、幸せを噛み締めながら、マンドリカルドは笑うのだった。
「その為に俺達は戦っているのは…分かっているんだけどさ…」
そう呟くと立花は少しだけ身を捩り、マンドリカルドの胸元に顔を寄せて埋める。そして、ぽつりぽつりと呟く。
「でも…ちょっと…ちょっとだけ…疲れちゃったよ、マンドリカルド…俺…ちょっとだけでいいから…休みたい…休みたいよ、マンドリカルド…」
「いいんじゃないっすか?」
立花の言葉にマンドリカルドは即座に言う。胸元に顔を埋める立花の体が微かに震える。そんな立花を優しく抱き締めながら、マンドリカルドは言う。
「どうせ、しばらくはお休みだって、皆が言ったじゃないっすか。だから、甘えちまいましょうよ、立花」
「そう…かな…?俺…休んでいいの…かな…?」
「いいんすよ、立花」
戸惑いながら呟く立花にマンドリカルドは言う。やっと本心から自分に甘えを出してくれた恋人を甘やかす為にマンドリカルドは言葉を尽くす。
「皆が皆、あんたを甘やかしたい、休ませたい、愛したいって…言っているんすから…甘えちまいましょうよ、立花…ちょっとだけ、あんたの願う『普通』の世界を強請っても…バチは当たらないっすよ…あんたはそれだけの事をしてきたんで…そんで…」
頭に手を置き、少し柔らかくてちょっとだけ癖のある黒髪を撫でながら、マンドリカルドは言う。
「休んだら…また、戦いましょう…あんたが一番愛している俺と…あんたが愛している皆と…一緒に…あんたが願う世界に…あんたが帰る為に…あんたが死ぬ時に後悔しない…人生を送る為に…他ならぬ、あんたの為にも…」
今はただ、休んで欲しいから。ずっと頑張り続けて来た最愛の人を休ませたいから。傷を耐えて隠し、傷の痛みを無理やり無かったものにするべく、そう振る舞い続けた事で心も体も傷ついて苦しんでいた最愛の人を休ませる為にも。
「あんたの願う『普通』の生活を、また取り戻す為に…また戦いましょう、マスター…その為に…今は休みましょうよ…ね、立花…」
「…うん」
マンドリカルドの言葉を聞いた立花は頷く。頷き甘えるように顔をマンドリカルドの体に擦り付ける。そして、言う。
「今は少しだけ…休ませて…夢を見させて…休んだら…また戦うから…また人類最後のマスターに…戻るからさ…」
だから、今はお休み、と言うと、立花は目を瞑った。この休みを使い、疲れを取るべく、少しだけの休憩を取る事にする。
また、戦う為に。必ず、世界を取り戻す為に。白い世界から、元の世界に戻す為に。
元の世界に帰る為に。愛している人と帰る為に。その願いを叶える為に。
世界の為だけじゃない。人理の為だけじゃない。他の人の為だけじゃない。自分が愛している皆と恋人の為に。そして、他ならぬ自分の為にそうするのだ。タタールの彼も願ったように。
醜悪に貪欲に生きる。立花はそうする事に決めた。
その為に立花は夢を見る。僅かな時間に夢を見る。この旅の先にあって欲しい未来に辿り着く為に。そして、そこで同じ時を過ごす為に。
その為に立花は『人類最後のマスター』をマンドリカルドに預ける。『藤丸立花』に戻り、休む。最愛の人であるマンドリカルドと共に。
全てが終わったら、こんな未来が…ご褒美があって欲しいと願いながら…
立花は夢を見るのだ。細やかで、でも壮大な夢を。いつか、その夢を現実にする為に。
そのまま、立花は夢の世界へと旅立った。変な世界ではなく、最愛の人との愛の世界に旅立ったのだった。
立花が眠ったのを確認したマンドリカルドは彼が熟睡できるようにベッドに体を横たえた。ちゃんと眠れるように体を動かす。そして、枕を頭の下に潜り込ませる。
ぐっすりと安らかに眠る立花を確認すると少しでも安眠できるように優しく頭を一撫でし、マンドリカルドは部屋を出て行ったのだった。
「お、マンドリカルドじゃねぇか。マスターはどうだ?ちゃんと休んでるか?」
「おっと、アキレウス。そうっすね。ちゃんと寝てるっすよ。起きたマスターが腹減ってたらいけないんで、飯を取りに行ってくるっす」
部屋を出ると、そこにたまたま通りかかったアキレウスがいた。そんなアキレウスにマンドリカルドは立花…マスターの事を伝える。すると、アキレウスは笑いながら言った。
「そりゃあ、そうだろうな。マスターは休むだろ。疲労困憊だったし、あんなに熱烈にお前を求めてもいたし…ヤリ尽くしたんじゃねぇか?マンドリカルド?」
「そうっすね」
マスターを心配しながら、アキレウスは最後はそう言った。マスターは隠していただろう願いを出してしまう程に追い詰められてしまい、今の自分は『傲慢な暴君の略奪者』でもあるのだからと言い訳をしてまで、出したのだから。なら、茶化して軽く揶揄うように言った方が二人にはいいだろう。
それが分かったマンドリカルドはあっさりと頷く。お、珍しいなと思いながら、アキレウスは更に質問する。
「ちなみに何回したんだよ?」
「とりあえず、俺は十発っす」
「え?」
アキレウスからの質問にしれっとマンドリカルドが答えると、彼は固まった。色んな意味で予想外だったからだ。
あー…と呟くと、恐る恐る口を開き、尋ねる。
「…抜いたりとかは?」
「抜いてねぇっす」
「…休憩は?」
「そんなん、してねぇっす」
アキレウスの問いにマンドリカルドは答えると、一言。
「あんたもそれくらい楽勝っしょ、アキレウス?」
マンドリカルドの言葉を聞いたアキレウスは黙り込んだ。しばらく考え込む。
多分、マンドリカルド的にはアキレウスなら、十回くらい楽勝だろう?という意味で聞いたとアキレウスは考えた。
アキレウスは若いし身体能力が高い。サーヴァント最速の男である事からもそれは証明されている。そして、アキレウスはギリシャ系サーヴァントだ。更にはヘクトールの宿敵でヘクトールを殺した英雄だ。だから、アキレウスなら十発くらい余裕で出来るだろうと思い、マンドリカルドは言ったのだ。
そこまで考えたアキレウスは頭を抱えた。そして額に手を当てて考えながら、とりあえず一番に確認しないといけない事を尋ねる。
「マスター…生きてる…?お前に…ヤリ殺されてない…?」
「ちゃんと、生きてるっすよ。今、マスターは寝ているって最初に答えたじゃないすか。なのに、何でまたそんな質問をしてくるんすか?」
「そ、そうだな、マンドリカルド…俺が馬鹿だったよ…」
アキレウスの問いに首を傾げながらマンドリカルドが答えると、彼はそう呟いた。確かにマンドリカルドはそう答えていたから、こう言うしかない。アキレウスはこの辺を素直に認められるサーヴァントでもあるから、こう答えるしかないのだ。
しかし、アキレウスは思う。違う、そうじゃない。そう言いたい。しかし、その辺を自分がマンドリカルドに言うのはどうだろうか?と迷うから、悩むのだ。
マンドリカルドはそんなアキレウスの心情が分からず、首を傾げながら、彼を見た。しかし、中々彼が話してくれないので痺れを切らし、アキレウスに言う。
「すんません、もう行っていいっすか?マスターの為に飯を取りに行かねぇと…」
「あ、はい…」
マンドリカルドの言葉にアキレウスはそう言うしかなかった。何で返事があ、はい、なんすか?アキレウスらしくないなと思いながらも、マンドリカルドはマスターの食事を準備する為に食堂に向かう。そんなマンドリカルドを見送るとアキレウスはその場を去った。
目当ての人物を見つけたアキレウス。しかも、二人。ちょうどいいなと思ったアキレウスは二人に声をかけた。
「おっさん。飲みに付き合え」
「何でだよ?何で俺がてめえの飲みに付き合わねえといけねぇんだ?」
「いいから、付き合え。オデュッセウスも」
「私もかい?何で何だい、アキレウス?というか、何故、君はヘクトール殿と私を誘うんだい?私はともかく、ヘクトール殿は君と仲が悪いじゃないか?」
「おっさんなら、酔っ払って迷惑をかけても罪悪感が湧かないからだよ!オデュッセウス、あんたには俺達が酔っ払って喧嘩したりして、周りに迷惑をかけないようにもして欲しいんだ!!あんたしか、この辺りの気持ちを分かってくれないだろうしな!」
アキレウスはらしくないと分かっていながらもヘクトールとオデュッセウスに言った。即座に断るように尋ねてくるヘクトールと疑問を出すオデュッセウスに何て言っていいか分からないからか、アキレウスは叫ぶように答える。
「だから、俺の酒飲みに付き合ってくれ!!んで、俺の愚痴を聞いてくれ!とにかく聞いてくれ!!」
『えぇ…?』
怒鳴るように叫ぶアキレウスを見て、ヘクトールとオデュッセウスは首を傾げた。あまりにらしくないアキレウスにヘクトールもオデュッセウスも首を傾げながらも尋ねる。
「どうしたんだよ、お前さん…?そんなにブチ切れて…?俺との戦争でも、そこまではなかったような…」
「俺だって、ブチ切れる事はあるんだよ!ほぼ、不死身の英雄でもブチ切れる事はあるんだよ!!半神半人の英雄でもブチ切れる事はあるんだよ!」
「あ、もしかして、マンドリカルド王の事かい?なら、分かるんだが…」
「ちげぇよ!いや、ある意味そうだけど!!あの王じゃねぇよ!」
二人の問いかけに怒鳴るように答えるアキレウス。正直、理由を言いたいが、ここは廊下だ。理由が理由だから、話がしづらい。こんな話を廊下でなんて出来ない。
苛立ちすらしているアキレウスを見て、二人は更に首を傾げた。そんな二人を見て、確かにこれは理由とか話さないと分かって貰えないやつだと思ったアキレウスは叫んだ。
「とにかく、飲みに付き合ってくれ!そんで、一緒に酔っ払って酒に溺れてくれ!!俺だって、酒に溺れてぇ時くらいはあるんだよ!」
『あ、あぁ…』
切羽詰まったように叫ぶアキレウスを見た二人はこれ、ちゃんと話を聞かないと駄目なやつだなと分かり、頷くしかなかった。流石はトロイアとアカイアの知将。話が早い。
そんな二人に感謝しながら、アキレウスは存分に酒が飲め、何で自分がこうなったか理由を話しても大丈夫な場所に二人と共に向かうのだった。
「抜かずの十発だぞ?!しかも休憩無し!更に相手はどんな状況でも付き合ってくれる程に自分に惚れている奴!!それをマンドリカルドはさらっと俺に言ったんだよ!俺は体が若いし、身体能力も高いから、十回する事自体は出来るけど、そんな相手とそこまでの大恋愛はした事ねぇよ!!この事実には流石の俺もへこむんだわ!」
酒もシモな話題も大丈夫な場所に来たアキレウスはジョッキの中の酒を一気飲みすると、そう叫んだ。確かにマンドリカルドの考え通り、自分は回数自体は出来るが、そこまでしたくなる程に好きな相手がいたかと尋ねられれば、否だ。性欲の面からなら可能だが、そこまでに惚れ込む相手と恋愛をした事はない。
良くも悪くもアキレウスはギリシャの英雄であり、彼は色んな意味で若かった。
「凄いなぁ…若いって、凄いなぁ…オジサンの後輩、凄いなぁ…」
アキレウスの言葉を聞いたヘクトールは自分も酒を飲むと遠い目をして呟いた。妻への愛なら、後輩にも負けない自信はあるが、自分は年齢が年齢だ。多分、十回は出来ない。体が悲鳴を上げる。特に腰の負担が凄そうだ。生前も今も出来ない。生前愛した妻だって、そこまで若くなかったし。
生前は結婚した年齢が遅い方で、子供を授かったのも遅かったくらいだ。サーヴァントの今も自分の身体は中年で実際に激しい戦闘後は腰が痛くなるくらいだから、今も出来ないだろう。
今、十回もしたら腰が確実に死ぬな…とヘクトールは遠い目をした。
「あらゆる意味で最強過ぎないか?さすがの私も引いているんだが…」
オデュッセウスも酒を飲むと遠い目をして呟いた。自分もペーネロペーへの愛は負けない自信はあるが、彼女相手に十回やれるかと言えば、やれる自信はオデュッセウスも無かった。
生前は難しいかもしれないが、今はサーヴァント。多分、今なら身体的な面から考えると可能かもしれない。しかし、妻のペーネロペーの方の体が心配になってしまい、自分が遠慮するだろう。オデュッセウスもそれ程に妻を愛しているのだ。
だから、多分愛する妻が相手だと十回するのは無理だなとアカイアの知将は思った。そう思うと年若くて、どんな状況でも恋人に付き合えるマスターが相手のマンドリカルドが羨ましいくらいだった。
「オジサンもドン引いてる…オジサンも二人、特に後輩にドン引いてるよ…凄過ぎない…?オジサンのトロイアとオジサンの後輩、凄過ぎない…?」
二人の心情も分かったヘクトールは遠い目をしながら、そう呟くのだった。そして、二人と酒を飲むのだった。