夢を見た。
子供が泣いている。
悲しい、悲しいと、声も上げずに大粒の涙を流して泣いている。

ーーどうした、何がそんなに悲しい

思わずこぼした言葉に、子供がゆっくりと顔を上げる。
大粒の涙を流して、しゃくりあげて
それでも子供は言った

ーーあにうえに、きえろと、いわれてしまった。




「っ!!」



気が付けばあの子供は目の前から消えて…違う、目が覚めた。
心臓の動悸が激しい、汗も滝のように流れている。
落ち着け、ただの夢だ。
あんな子供は知らない。見たこともない。

「(…そのはずだ…知らないはずだ…)」

「結弦さん、おはようございます。起きてらっしゃいますか?」

「あ、ああ…起きてるよ」

早鐘を打つ心臓を押さえつけて、ぐっしょりと濡れた額を拭う。
襖越しにかけられた獪岳に返す声は震えていなかっただろうか。
襖を開けて身支度を手伝おうとする獪岳を制して下がらせる。
さすがにこの汗だくの姿を見られれば心配させてしまうだろう。
確か獪岳は今日、単独任務が入っていたはずだ。心配をかけてしまうのもまずい。

「…夢の子ども…上弦の壱に似てたな…」

まさかな、と思いつつ嫌な予感がした。
鬼滅の刃という物語は知っている、でも途中までだ。
俺の知識は中途半端なのだ。
俺が知っているのは柱稽古まで、それ以降どうなるのかは知らない。
もう知る術もない。

だから、泣いていたあの子がどこの誰なのか、わかるはずもないのだ。








「結弦、これは推測になってしまうのだけれど、おそらく君の声には『言霊』が宿っている」

お館様の優しげな声で告げられた事実に、特に驚きはしなかった。
だっておかしいと思っていたのだ。
歌わずとも、名を呼ぶだけで人の動きが止まってしまう時点で。

「先日の柱合裁判の時も、実弥の動きを止めただろう?
 結弦は歌っていなかった。ということは歌に力があるわけではないとうことだろうね」

お館様はなおも続ける。

「そしてその力は上弦の壱でさえ抗えなかった」

ああそうだ。
だからこそ上弦の壱は、あの叫びに大人しく従い、姿を消した。
だからきっと、この力を自在に使えるようになれれば。

「結弦、その力を扱えるようになりなさい。
 鬼を倒すためだけではない、君自身や周りの仲間を守るためにも」


きっと、仲間を守れる。





「ーーとか思ってんじゃねぇだろうなァ」

「…心読むのやめてもらっていいですか、実弥さん」

お館様への報告の直後、同じく上弦の壱と対峙し呼び出された実弥さんに声をかけられる。
…ものすごく眉間に皺が寄って凶悪な顔になってるけどどうした。
なんでそんな機嫌悪いんだ、と首を傾げたところで思い切り頭を掴まれる。
痛い痛い痛い!握力すごい!痛い!!

「痛い痛い!実弥さん痛いです!!」

「お館様がなんて仰ったかわかってんのかァ、テメエはよォ」

「声を使えるようになって仲間を守れって仰って痛い痛い!」

「大事な部分が抜けてんだよなァ…!」

「ちょっと一回離してもらえます!?」

頭蓋がミシミシ言ってるんですよ!!
離してはもらえたけど…ちょっと!なんで今舌打ちした!?

「実弥さん自分の握力考えてもらえますか…」

「わかってっからやったんだろうがァ」

「…」

だめだ。何言っても無駄だこの人。

「で?お前は自覚してんだろうなァ?」

「…何をです?」

「…おま…」

ため息吐かないでもらえませんか!?
あ、頭まで抱え出した。
いやだって、「力」を使いこなせるようになって、仲間を守って鬼を殲滅しろってことだろう。
何も間違ってない気がする。

「…お館様はお前自身も守れって仰っただろうがよォ…」

「…言ってました?」

「言ってたわ」

聞いてなかったなこいつ、と言わんばかりに実弥さんが大きくため息を吐く。
そういえば力どうやって使いこなすかそればっかり考えてて、後半話聞いてなかったわ。
だって使いこなすと言ってもどうしろと言うのか…。
え、何?ひたすら誰かを相手に命令しまくればいいの?どうすりゃいいの?

「お前、しばらく俺のとこ来い」

「…はい?」

「練習相手になってやらァ」










結弦の声は毒にも薬にもなる。
それは柱の中でも一緒にいることの多い俺が一番知ってる。

優しげな声には癒しが
慈しむ声には温かさが
冷たい声には文字通り氷のような冷たさが
そして、怒気を孕んだ声にはとんでもないほどの寒気が。

本人は無自覚だったようだが、今回の件で露見する以前から兆候はあった。
それはお館様はもちろん、柱の何人かも気づいていただろう。
特に煉獄あたりは。

だからこそ、お館様は今回のことでその力が「言霊」であると決定付け
結弦にその力を使いこなすように、と命じたのだ。
鬼を滅するためはもちろんだが、本人の身を守るために。

結弦はおそらく上弦の壱に狙われる。

直接対峙した俺にはよくわかる。
あの鬼の目は、結弦に執着し奪おうとする目だ。
隙を見せれば連れていかれる。奪われてしまう。

「(…させてたまるかよォ)」

あれは俺たちの、俺の光だ。支えだ。
口に出しては絶対に言ってやらないが、なくてはならない存在だ。

救われたのだ。
優しく抱きしめて、大丈夫だと、がんばったねと紡がれる声に、撫でる手に。
救われてしまったのだ。

「(まずはアイツの単独任務はしばらく外してもらえるようにお館様に頼まねえと…)」

単独任務とは言っても、おそらく継子は一緒だろうが
まだあの継子には上弦の相手は荷が重い。
そうなればまた結弦は継子を逃して、一人で戦おうとするだろう。
同じ敵にまた遅れを取るとは思えないが、相手は上弦の壱だ。念には念を入れるべきだろう。

守られることはきっと望まない。
アイツだって柱だ。守りこそすれ守られる立場じゃない。
だとしてもだ、せめてあの力を使いこなせるようになるまで


「…絶対ェ鬼なんぞに渡すもんかよォ…」








「…最近、どこ行くにも実弥さんが付いてくるんですけど」

「あらあら」

善逸や炭治郎、伊之助が大怪我をして運び込まれたと聞いて見舞いにやってきた俺は
ここぞとばかりに現在の困りごとをしのぶに相談していた。
炭治郎たちの怪我の具合を見る限り、おそらく吉原での一件は無事終えたのだろう。
本当なら救援に向かいたかったが、俺は絶賛力の修行中である。
毎日毎日、実弥さん相手に命令したりお願いしたりしている。こわい。

で、その実弥さんが、最近どこに行くにもついてくる。
任務はもちろんのこと、休日の外出にもついてくる。
実弥さん自身の任務はどうしたと聞いてみても、俺の護衛が任務だと言ってはばからない。

お館様にももちろん確認した。ガチだった。
ちょっとお館様!俺も一応柱なんですけど!?と抗議したが無駄だった。悲しい。

「まあ、結弦さんは上弦に狙われているようですし…不死川さんもお館様も心配してらっしゃるんですよ」

「それはまあ、ありがたいんですけど…」

「自覚はないようですけれど、結弦さんがいなくなれば鬼殺隊にとって大きな損失なんですよ?」

わかってください。
そうしのぶに困ったように微笑まれれば、それ以上何も言えなかった。

「結弦、終わったか。帰るぞォ」

「…はい」

もちろん今日も付いてきてたんですよ。

「不死川さん、襖はもう少し静かに開けてくださいね」

そうだね、スパーンって音したからね。壊れるね。
ちょっとしのぶの周りの温度が下がった気がするんですけど、
実弥さんしのぶを怒らせないでくれ。美人が怒ると怖いんだから。

「…せっかくですし、結弦さん本日はこちらに泊まって行かれませんか?善逸くんの容体も心配でしょうし」

「いいんですか?」

「ええ、構いませんよ。客間も空いていますし」

「じゃあ…」

「駄目に決まってんだろうがァ」

「え、ちょっと実弥さ…ん…」

せっかくのありがたい申し出を低い声で拒否した実弥さんに文句を言おうと振り返って…びっくりした。
なんでそんな怒ってんすか…鬼相手の時でももうちょっとましな顔してますよあんた…。

「あら、結弦さんもたまには気分転換をしないとまいってしまいますよ」

「気分転換なんざしてる場合じゃねえってこたァわかってんだろう」

「いつもいつもそんな怖い顔を見ていては、結弦さんの気が休まりません」

「あァ?喧嘩売ってんのかァ胡蝶!」

「大声を出さないでいただけますか?ここの主人は私です」

ええ…こええ…実弥さんの顔も凶悪だけど
淡々と笑顔で返すしのぶもこええ…
君らそんな仲悪かったっけ?そうでもなかったよね?

「結弦さんは慣れない環境と修行で疲労が溜まっています。
 今は大丈夫でもこのまま続ければ倒れてしまう。それは不死川さんも本意ではないでしょう」

「……」

「……」

「…チッ、わーったよ。結弦!」

「はい!」

「明後日迎えに来る。それまで絶対に一人で出かけんじゃねえぞォ」

「え、あ、はい」

どすどすと大きな足音を立てているあたり、納得はしてなさそうだが
どうやら明後日まではここにいていいらしい。

「明後日までですか…不死川さんにしては譲歩しましたね」

「えっと、しのぶ、ありがとう」

「いいえ。私も結弦さんと話したいことがたくさんありますから」

そう言って微笑むしのぶは、女神のように見えた。