初めて見たのはとある動画サイトだった。
何人もの人間が日々たくさんの動画を上げて行き、再生数でランキングがつけられる動画。
俺がそのサイトを見るようになったのは、確か同期の勧めだったと思う。
日々の業務とハゲの嫌味に疲れ果てていた時
同じように疲れ果てていた同期が、その動画を見せてくれた。
写っているのは小さな部屋とマイクの前に立つ小さな人物。
仮面をつけた上、ご丁寧にフードも深くかぶっていて、 顔は全くわからない。
そんな人物は音楽が始まると、とても綺麗なボーイソプラノで歌を紡いだ。
心が洗われる様だった。
疲れきった体も心持ち軽くなった気がした。
それはその場にいた他の同僚も同じだったのだろう。
それから数年経ったが、職場には
「…とおとい…まじとおとい」
「天使かよ…」
「おれ、定時に上がって動画再生しながら風呂入るんだ…」
「次の配信…明日?明日じゃん定時で上がる絶対上がるハゲの屍を超えてでも帰る…」
まるで宗教のような、けれど生きる気力に溢れた同僚たちがいた。
「配信は明日でついでに明日は土曜だ翌日は日曜絶対休む土曜に癒されて日曜は休む」
「観音坂、息継ぎしてくれ怖い」
メジャーデビューしてから不定期にしかされなくなった生配信が近いんだから仕方ないだろう。
「着きましたよ」
「ありがとう銃兎さん」
「部屋まで送るか?」
「いいよ。左馬刻さん部屋で長居しそうだし」
銃兎さんの運転する車から降りて、閉めた後部座席から左馬刻さんが訪ねてくるけど断る。
だってこの後事務所行くって言ってたし、部下さんたちを待たせるのはかわいそうだ。
いつも左馬刻さんの無茶振りに振り回されてるんだから、時間ぐらい守って上げて欲しい。
「今日はごちそうさまでした」
「おう。また連れてってやんよ」
「わーい次は焼肉がいい」
「へいへい」
俺がいる間は我慢してくれてたらしい煙草をを2人とも吸い始めて少し笑った。
いいのにって言っても吸わないからなあ。
「きちんと戸締りをして今日はもう外に出ないように」
「はーい」
「明日は一緒に食事はできませんが、出かけるのなら行先をメールするようにそれから」
「銃兎がうぜえからとっとと上がれ」
銃兎さんの心配性(無自覚)が発症され始めると、左馬刻さんがめんどくさそうに遮って俺を部屋に返す。
一人暮らしを始めてから毎度のことなんだよなあ…
心配しすぎでは?とも思うけど、心配されるのは嬉しいから甘んじて受け取っておく。
エントランスに入ったところで振り返り、去っていく車を見送る。
…エントランス入るの確認しないと車出さないんだよ銃兎さん…。
見送った後は郵便物の確認をして、スマホでメッセージが来てないかを確認しながらエレベーターにのって部屋に向かう。
いつもならご近所さんに会ったりもするけど、今日は時間が遅めだから誰にも合わなかった。
お隣さんも夜出勤の人だけど、この時間ならもう出勤した後だろう。
目的の階についたエレベーターを降りて少し歩けば俺の城だ。
頭金は銃兎さんに出してくれたけど、月々の家賃は歌手としての給料で賄ってる。
そこそこい値段がするけど、歌が売れてるおかげで無理せず払える範囲だ。
こういうとこだけは「美声チート」に感謝したい。
「(明日は夜から配信だし、今日は簡単にボイトレだけしてさっさと寝るか)」
普通の家なら音漏れで歌なんて歌えない。
そこはそれ、マネージャーと社長に頼んで部屋を一つ防音室にしてもらった。
大声で叫んでも楽器弾いてもお外に音が漏れないよ!
いくらかかってるのかは聞いてない。教えてくれないし。
社長曰く「E-Sちゃんのためならいくらかかっても構わないのよ!」だそうだ。
…怖くて聞けない。
家の鍵を取り出して、顔を上げて…それに気付いた。
お、俺の家の前に誰か、倒れている…だと…?
「だだだ大丈夫ですか!?」
大慌てで駆け寄って、いの一番に呼吸の有無を確認よかったしてる!!
外傷もなし!
え、じゃあなんで倒れてるんです?
酒臭くもないから酔っ払いでもないし
いやそれ以前に顔色わっるいなこの人!
目の下の隈もやばいわ!
っていうか
「お隣さんだこの人!」
隣には2人人が住んでて、いつも帰宅時に挨拶する金髪の人とは別の住人だ。
何回か朝会って挨拶したことがある。
えーっと…名前なんだっけ…えーっと…
「あ、そうだ観音坂さんだ!観音坂さん大丈夫ですか?返事できます?」
触った感じ頭は打っていないとは思うけど、できるだけ動かさないように体を叩く。
多分疲労なんだろうけど…俺の力じゃ持ち上げられないから移動もできないし…
力はなー美声チートの対価かなんかか?と思うほどないんだよなあ…。
いや一般男子ぐらいはあると思うんだけど…多分。
しかしこんなところでいつまでも横にしとくわけにもいかないし…
だからといって意識のない人間の部屋の懐探って鍵探すわけにも
それ使って勝手に部屋入るわけにも行かない。
…しゃーない、俺の部屋連れていくか。なんとかがんばって!
「…予想より軽い」
腕を自分の腕に回して抱えた時の軽さにびっくりした。
足引きずってるけどそこはすまん。身長差はなんともならんな!
靴とジャケットを脱がせて自室のベッドに横たわらせておく。
…いやさすがに倒れてる人を床とかソファで寝かせるのもどうかなって…。
「…救急車呼んだ方が…いやでも…うーん」
素人判断でこのままにして、もし大病とかだったら大変か
そう思ってスマホを操作し始めた時だ
「…?…こ、こ…どこだ…?」
背後のベッドから困惑しまくった声が聞こえてきた。
起きてくれたやったー!よかった!
「大丈夫ですか?廊下で倒れてたので、俺の部屋に運んだんですけど…」
「え…えっと…君は確か…」
「隣に住んでる音無結弦です」
まだ混乱してるのか…いや多分これ眠いんだな…目がとろんとしてる。
とりあえず水を渡して飲む様に促す。
いつから倒れてたのか知らないけど、水分大事。
「救急車呼ぼうか悩んだんですけど」
「い、いや、大丈夫…3日ぐらいまともに寝てなくて…
マンションのエントランスまでの記憶はあるんだでもそれ以降の記憶が…」
「…大分お疲れみたいですね…目の下の隈がすごいです」
「はは…仕方ないんだ俺がしっかりしてないから仕事がいつまで経っても終わらなくて終わらないのに課長が仕事をばんばん投げてくるから机の上が書類の山なんだ…なんで俺ばっかり…いや迅速に処理できない俺が悪いのか?そういえば同僚はおれほど書類の山ができてるわけでも残業してるわけでもないな…やっぱり俺の自業自得じゃないか…俺が悪いんだ俺が俺の」
「うわあ…」
病んでる。
しかもとてつもなく。
これはほっといたらダメなやつだ。
そう判断してしまえば後は早い。
「大変でしたね。ちょっと休みましょうね」
言葉に少しだけ「意志」を乗せて観音坂さんにぶつける。
言霊…まではいかないけど、少しだけ強制力のある…子守唄みたいなもんだ。
元気な人には効かないけど、疲れてる人には効果覿面なやつ。
「いや、でも…めいわ、く…」
「そんなことないですからね。ゆっくり休んでください」
社会人としての意地か何かで踏ん張る観音坂さんに掛け布団をかけて
最後にとどめの一言
「【おやすみなさい】」
「……」
よっし寝落ちた!!
多分朝まで起きないだろう。
今日は観音坂さんにベッドは譲って、俺はリビングのソファで寝よう。
ソファとは言っても左馬刻さんが選んで贈ってくれたやつだから
下手なベッドより寝心地はいい。やったぜ。
クローゼットから着替えとブランケットだけ取って自室を出た。
その後は予定通り防音室でボイトレをして、お風呂に入ってソファで寝た。
やだこのソファほんとに寝やすいありがとう左馬刻さん。
そんなことを思いながらおやすみ3秒で寝た俺は、
まさか観音坂さんが床で土下座する姿を、目覚めて1番に見ることになろうとは思いもしていなかった。
「本当にすいません!!」
「いやあの…顔を上げてもらって…」
「俺は未成年に助けてもらった上にベッドまで占領してなんてご迷惑を…!
それもこれも仕事ができない俺が悪いんだ全人類に謝れ俺!!」
「えええ…別に気にしてませんから…あの顔を…」
「ああああなんていい子なんだこんないい子に俺はなんて迷惑を…
どうやってお詫びしたらいいんだ…死ぬか?死ぬしかないのか?そうだしのう!」
「やめてくださいね!?!?」