兎の毛で突いたほど(B面)


「だからー、拗ねんなってカラ松ー。
俺らもだよ?あんなに綺麗に当たるなんて思わなかったから」

「縛られててか!?縛られててか!?」

「ついにカラ松兄さんがキャラ投げたね」

「そうとう根にもってんな」


末っ子に軽く肩を竦めて後ろを見る。
前でワイワイ騒ぎながら歩く長男次男と違って、後ろを並んで歩く四男五男は猫を眺めながらほのぼのしている。
その幼い様子に思わず笑みを浮かべたチョロ松は、


「いいケツ」

「おい」


猫の言葉に半目になった。
瞬間、自身のケツを両手でガードした末っ子と長男はこの際スルーである。


「誰だよ下らないこと考えたのー…って、カラ松兄さん…おまえ……」


ぐるりと一同を見渡し、一点で止まった視線。包帯を巻かれた頭から覗く耳が赤いのは夕焼けのせいだけではない。


「ち、ちがう!俺じゃな、」

「どれどれ?どこどこー?」

「前だ」

「お前じゃねぇえええええか!!」


長男にまんまとのせられ前方を指差す次男にツッコミながらも、やはり視線が釣られてしまうのは男の悲しい性だ。


「…………」

「……………」

「………………」

「……………………」

「あだッ!?」

「ケツ見えねぇじゃねぇかクソ野郎」

「一松、猫に話させるな」


無言でカラ松を蹴り上げる一松の腕のなかで猫が無邪気に喋る。内容とのギャップがひどい。


「いやーでも確かに無いよー。パンツスーツじゃ流石に分からないでしょー」

「カラ松兄さんがケツフェチを極めたって事なのかな?」

「兄さん極めたの!?すっげー!」

「フッ、兄はいつでも弟の手本となるべふ!」

「一松、無言で蹴るな。カラ松兄さん、気持ち悪いよおまえ」


呆れながらもツッコミを入れてしまう己の条件反射にぐったりしながらチョロ松は前を向き、


「え?」


だいぶ前を歩くほっそりした背が立ち止まったかと思えば、手摺に手をかけ、


「いやいやいやいやいやいや…!!!!」


乗り越えたのである。呆気ないフェードアウトに思わず眼を剥く。


「え?自殺?」

「あっさり言うなよトッティ!こわいよおまえ!」

「川の下に家があんじゃない」

「あるわけねーだろ!一松!ドブ川だぞ!」

「でもこの間、十四松泳いでたよな」

「あっれー、見てたの!?おそ松兄さん!」

「なにしてんのおまえら!」

「いいから早く救急車を…!」

「バカじゃねーのカラ松兄さん!
…あ、ごめん。ごめん。ノリでツッコんじゃった。おまえはまともだよカラ松兄さん…泣くなよめんどくさいなー…」

メソメソしだす次男の背を撫でながら「トッティ携帯ー」と言えば、末っ子はハイハイとポケットからスマホを出す。
液晶を撫でながら、ふと顔を上げた。


「ねぇ、救急車なの?警察じゃなくて?」

「消防署じゃないの?」

「え?」


末っ子と四男の言葉に、チョロ松は動揺する。確かに怪我だけなら救急車だが、自殺なら警察だ。だが、レスキューが必要なら消防署だ。だらだらと汗を流しながら密かにパニクる三男の横で、我らが長男が「え?」と声を上げた。


「つーかさ、どっかに電話して事情話せばあっちが手配してくれるんじゃないんだ?」


「それだ!!」


現場の判断はプロに任せよう!
末っ子が「じゃー警察に電話するね」と改めてスマホを握りしめたと同時に「あ!」と声が上がった。


「どうしたよ、十四松」

「戻ってきたー!自殺したひと!」

「言い方ー!!」


怖いわ!と、弟を怒鳴りつけながら彼が指差す方を見る。
確かに泥まみれの女性が、道路に膝から着地していた。うわ!と思いながらも駆け寄る。しだいに強くなる異臭に顔を歪めて、


「うわ、汚ねぇ」


一松の抱く猫の声に皆、ヒィッと足を止める。
事実だけど!でも自殺しようとした豆腐メンタルにあまりにむごい!事実だけど!
チョロ松が慌てて謝罪を口にしようとし、


「ーーー…ッ」



呆けたように開けた口から、空気が間抜けに漏れた。
膝を着いた女性が、ゆっくりと顔を上げる。夕暮れに染まった髪は柔らかな栗毛色で、まるで生まれたてのヒヨコのようにふわふわしていた。その影から覗いた瞳は夢見るように潤んで、同じ人間かと疑うほど睫毛が長い。
抜けるような白い肌は、ところどころ汚れてても真珠のようだし、そう、汚れてても分かるほど、その顔は愛らしく整っていた。
ごくり、と誰かが唾を飲み、


「すげぇ汚ぇ」


猫が喋った瞬間、一松が親友を投げ出す。あ、バカと勝手に腕が動いた。その小さな生き物をキャッチしようとして、


「すっげぇ臭い!」


ヒイイイ!と思わずチョロ松も猫を放り出す。猫はニャアと鳴きながらトド松へと、


「ドブの臭いが!」


トスしやがった!一松が「あ!」と慌てる。くるくる見事に跳ね上がった猫を、


「めちゃくちゃ汚いー」


いつのまにかジャンプした十四松がアタックする!
なにやっちゃってんのおおおおおおおお!!?と、青くなる三男四男を尻目にバッチーンといい音をたてて猫はカラ松の顔面に着地した。


「鼻が曲がりそう」


喋る猫をむんずと掴みあげ、おそ松が一松に「はいよ」と渡す。


「おっさんの裏側の臭いがする」


本当にタイミングが悪い猫である。
気まずくて笑うしかない。
泣いちゃったかなーと思いながらおそ松は、そっと女性を伺った。
ばっちり目が合い、一瞬ドキッと胸に不整脈が走る。「ぐっ」と呻きながら思わず胸を抑えた。
寒させいかゆっくり立ち上がる女性に焦る。何かを言わなくてはと思うが、なぜか言葉が浮かばない。文字通り真っ白になったおそ松の耳に「どこいくの?」とエスパーニャンコの声が届いた。


女性が瞬きする。


猫が喋ったんだ。
そりゃ誰だってビビるよなと納得するが、女性は予想と違い落ち着いた声を出す。


「動物病院に」


甘ったるい声を想像していた。でも、実際は透明で少女のような声だ。
猫が口を開く。


「猫が怪我してる」


嗄れた声なのに、それが目の前の女性の心だと六つ子は直感した。
大事に胸に抱くそこに、見え隠れする小さな生き物に、一松はハッと息を飲む。
さらにその上着にくるまれている猫をみて、青ざめた。
ぐったりして、開いた口から舌をだらりと垂らす猫はどう見ても重傷だ。


「助けたの?」


猫が一松の心の奥を、迷子の子供のような心細さで口にする。
この寒空の下で異臭にまみれながら、自分の高そうなスーツを犠牲にして猫を抱く女性が、とても清いものに見えた。
真っ白なシャツと、そこを汚すヘドロのコントラストが一層、清らかに魅せる。いつぞや旅番組で観た海外の教会の絵のようだ。天使に祝福された美貌の女神。


「そんな大したことじゃないよ」


いたたまれず、俯く。
白いシャツに透けた凍える細い肩を見てしまった。


「君も早くお帰り。怖いおじさんが探してる」


え、と六つ子が声を上げる。
視線の先で、女性が僅かにその小さな唇の端を上げた。
たった、たったそれだけで、顔に熱が集まるのを自覚する。
微笑む女性は見たことがないほど愛らしい。心臓がきゅっ、と音をたてる。


「気を付けて」


丁寧に会釈するその肩から、羽毛のような柔らかさで髪がこぼれる。夕焼けにキラキラ光って、蜂蜜色。
そのまま何事もなかったかのように去っていく背をぼんやり見送る。いや、正確には動けなかった。衝撃で。

あんな、あんな可愛らしい生き物を見たことがない。

誰もが呆然と彼女の消えた路地を見つめ、ーーー…あ!と末っ子が声を上げた。


「どうした、トッティ」

「名前聞けなかったぁぁぁぁぁ!?」


あんな可愛い子にもう会える訳がない!と両手で顔を覆い号泣する。まぁ、確かにと同情する気持ちとざまぁみろ!と他人の不幸を嘲る気持ちがせめぎ合い、結局、自分もチャンスを失った事実におそ松は項垂れ、


「ていうかさー、エスパーニャンコ知ってるっぽかったよね?」


ふと、顔を上げた。
本当だ、とチョロ松が眼を丸くする。


「博士の知り合いかな?ーーー…ちょっと待てトド松。どこいく気」

「えー?博士のとこ行って来ようかなぁなんて」

「フッ、付き合うぜブラザー。いま、俺の胸には天使たちのセレナーデg」

「クソ松が復活しやがった」

「カラ松兄さんお帰りー!」


ケツを蹴りあげられ悶絶する次男の周りを五男が奇妙なダンスで回っている。
あ、帰ってきたかーと鼻の下を擦りながら、おそ松は首を傾げた。
なんだか、胃がモヤモヤする。飲みすぎだろうか。
騒がしい兄弟たちの向こう、女性が去った路地から視線を外せずにいるなど、当の本人は気づけもしなかった。
そして、お互いにたいする認識が、大幅にすれ違っていることも、拗れてどうしようもなくなることも、今は知る由がなかった。


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