兎の毛で突いたほど
『喋る猫を見つけたらミーに言うざんすうううう!!!!』
「はぁ?」
突然掛かってきた電話を通話にした瞬間、金切り声が鼓膜に襲いかかってきた。
海野は何かを堪えるように、こめかみを揉む。
「なんの猫だって?」
『どーせ今日も猫探しとか儲からない依頼やってるんザンショ!?底辺探偵。ついでに探s…』
「ハイ、お疲れ様ー」
『待って!待つザンス!切らないで!電話切らないでェェェェェッ』
「それで?」
『喋る猫ザンス』
「酔ってんの?」
夕暮れはどんどん深みを増し朱と言うにはもっと濃い何かになった。
横手の小川はそれを映して、濁らせる。魚の姿も見たことがないそこは一足早く夜が溶けだしたようだった。
『シラフざんす!ちみ本当に失礼ザンスね』
「喋るって日本語を?」
『猫がフランス語話すわけないザンショ』
日本語だって話さんわ。
思わず海野は足を止めた。
『あの猫のせいで、ミーの稼ぎがパーざんす!』
「………」
どうせ、ロクでもないことだ。
だがそれを言うと百にもなって返ってくるので黙ることにした。
『あのブサイク猫。見つけたら猫鍋にしてやるザンス……!』
携帯から届くドス黒い炎にうんざりしながら天を仰いで、ふとゲスい言葉の合間にか細い声が混じっているのに気づいた。
『いや、チビ太のところでおでんにしてもーーー…』
ゆっくり、出所を探すように視線を動かし、
『とにかく!喋る猫が居たらミーに…』
「ごめん、イヤミ。用が出来たから切る」
『えッ!?ちょ!海野!?海野!!』
一方的に通話を終了させ手摺に近づく。
目を細めれば、闇が異臭と共に溜まった小川のその流れ、そこに浮かぶ沢山のゴミの上の一つに何かが動いている。
猫だ。
小さな猫が細い声で泣いている。
流されたか捨てられたか。
可哀想にと思うもそれだけだ。ゴミの流れに飛び込む義理はない。
興味を失いそのまま歩き出そうとした海野の視界の端に、もうひとつ影が映った。
猫だ。猫がもう一匹。子猫の横に横たわっている。
眉を寄せる。
手摺を掴む手に力が入った。
あぁ、こんな事ならもっと成功報酬をふんだくっておけば良かった。
ガシャン、と夕暮れの街に音が響く。
手摺を乗り越える。金属の冷たさがパンツスーツ越しに太股を撫でて口を歪めた。
あぁ、冷たい。きっとあの小川はもっと冷たい。
だが見過ごすわけにはいけないのだ。残念な事に子猫の横でいまだぐったり横たわるあの猫は、本日の探し物。
なんであんなとこに。舌打ちを堪えて、コンクリの土手をザリザリと滑り降りる。
このスーツはこれでおしまいだな。
飛んでいく紙幣が見える気がした。
そのまま、ドボンと音をたてて小川に入る。靴を脱ぐ勇気はない。この小川の底を裸足で歩くなど自殺行為だ。
胸まである流れは、だけど緩やかで助かった。死ぬほど寒いが。異臭が強すぎて鼻はすぐバカになった。
ゴミを掻き分け、猫へ近づく。ゴミが小さな島のようになっていて、猫は濡れずにすんでいた。
傍に行けば、別な臭いが鼻孔に届く。
血だ。横たわっていた猫は、その毛並みをだいぶ血に染めていた。
見たことがある怪我だ。重いものに潰され肉と骨が耐えられず、破裂したような。
車に轢かれたか。
苦い思いが広がる。
別に轢かれたそれにではない。良くあることだ。犬は逃げるが、猫は動けずよく車に轢かれる。偶然、川に落ちたのか捨てられたのか分からないがーーー…、子猫も一緒だ。恐らく後者だろう。
ただ海野には、そんなことよりこれ死んでたら報酬はどうなるんだろうとそんな薄情な事を思っていた。
別に博愛精神で、冬の川に突っ込んだわけではない。
スーツの上着を脱ぎ、猫を包む。すぐ横で子猫が毛を逆立てて威嚇していた。
なぜだ。よく動物に嫌われる。
傷つくほど可愛い精神はしてないので、牙を剥いてきた子猫首をがっちり捕まえ猫をくるんだ上着の上に乗せる。
まだ、にゃーにゃー騒いでいるが無視して引き返す。そろそろ足の感覚がやばい。
心臓麻痺とか笑えない。
凍えて感覚が危うい足で土手の急斜面に苦労しながらなんとか、手摺を乗り越えるまで行けた。
夕暮れに染まる道路に膝から落ちる。べちょりと嫌な音がして、ヘドロが墨のように広がった。身体が凍えるようだ。
さて、一番近い動物病院はどこだろうと顔を上げて、
「うわ、汚ねぇ」
声が届いた。
影が六つ伸びていて、目が合えば動揺したようにぎくりと肩を震わせる相手はーーー…皆、同じ顔だった。
え?同じ顔?
いち、にー、さん……確かに六つだ。同じ顔が六つ。
あぁ、これが噂の。
海野は凍えた頭でぼんやり思った。
これが噂の六つ子かと。
そういえば今は見開かれたどんぐり眼は、大家さんに似てる気がする。
半開きの口まで全員がそっくりである。
「すげぇ汚ぇ」
その口が動かずに声だけが届く。先程聞いた声だ。
同時にびくりと震えた紫のパーカーが抱き抱えていた猫を隣に投げ渡す。
緑のパーカーが慌ててキャッチした瞬間、
「すっげぇ臭い!」
猫が口を開いた。
え?喋った?瞬きの前に緑のパーカーが猫を放り出す。それをピンクのパーカーが手を伸ばし、
「ドブの臭いが!」
猫が喋った瞬間、トスをした。
あ、と目で追う。黄色いパーカーがジャンプして、
「めちゃくちゃ汚いー」
アタックを、猫をアタックする。
物凄い勢いで吹っ飛んだ猫がバッチーンッとボロボロの青いパーカーの顔面にくっついて、
「鼻が曲がりそう」
目を回しながら喋る猫を、赤いパーカーが引っ掴む。
「おっさんの裏側の臭いがする」
目があった。
気まずげに笑いながら紫のパーカーへ猫を戻す。
成る程、喋る猫は本当に居たらしい。
たまには真実を口にするのか、と腐れ縁の出っ歯を脳裏に浮かべながら立ち上がった。
「どこいくの」
猫が実に達者に喋る。抱える紫のパーカーは少し居心地悪そうだ。
「動物病院に」
寒さで震える唇は海野の言葉を短くする。
「猫が怪我してる」
喋る猫の言葉に六つの目が一斉に海野の胸元へ向けられた。大勢の人間に囲まれ、怯えて小さくなった子猫の下で、スーツにくるまれぐったりした猫が見える。
「助けたの?」
問いかけにはふっと小さく海野は笑う。質問ばかりだ。
「そんな大したことじゃないよ」
猫は不思議そうに瞬きをした。
「君も早くお帰り。怖いおじさんが探してる」
え、と六つ子が声を上げる。
ようやく人間様が喋ったと、少し面白くなった。
「気を付けて」
両手が塞がっているので小さく会釈だけして彼らに背を向ける。
色々な意味で珍しいものを見たが、特に感動はなかった。
別なタイミングなら感慨もあっただろうが、いまは出来るだけ早く熱いお風呂に入って、ゆっくりしたい。
凍える身体に鞭をうって、海野は近場の動物病院へと急いだ。
結論から言うと、怪我をしていた猫は助からなかった。しかも、ターゲットでもなかった。
「毛並み違うでしょぜんぜん」
「………」
獣医の言葉にもはや返事をする気力もない。
「子猫は引き取ってくださいね」
「……………」
がっくりと項垂れた海野はなけなしの根性を振り絞って口をこじ開けた。
「ところで獣医さん。どこかでお会いしましたか?」
「いいえー初対面ダ、ヨーン」
「……………」
ほんとかよ。
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