兎は好きだば、苦木も噛む
腐れ縁という言葉がある。
特に意識した訳でもないのになぜか切れない縁の事だ。
それは隣の男にこそ相応しい。そう横目で輝く出っ歯を眺めながら海野は思った。
「ストーカー、ざんすか」
隣に腰を下ろす男の名をイヤミという。
狐のような目をキラリーンと鋭く光らせ、向かいに座る男をみた。マネージャーだと名乗ったその男の横で、彼がマネジメントしているらしいアイドルの女性が恥ずかしげに俯く。
「いえ、正確にはまだストーカーされている訳ではないのですが…」
「はぁ?」
怪訝に声を上げたイヤミと目を合わせる。二人は互いに肩を竦め、合わせ鏡のようなタイミングで男に向き直った。
「どういうことザンス?」
「それが…」
実に言いにくそうに語った男の言い分はこうだ。彼がマネジメントしている女性アイドルの握手会で大変痛々しいファンが居たらしい。
決められた僅かな時間内にガッチリ手をホールドし、あろうことか本人の前でセ○クスを連呼したという。呪文のように繰り返されたセッ○スの言葉に当然アイドルは身の危険を感じた、とつまりそういうわけだ。
「はい、お疲れ様ざんす」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
話が終わるやいなや立ち上がったイヤミにぎょっと男が眼を剥き、慌てて制す。それすら興味無さそうに冷たく鼻で笑いイヤミが言った。
「付きまとわれてるって言うならまだ分かるザンス。でも、無言電話はおろかきっしょい手紙すらないザンショ?時間の無駄無駄」
「し、しかし…!」
「セック○なんて今日日二歳のガキンチョでも言うザンス。あほらし。次は何か被害があってから連絡してチョ」
「それじゃぁ遅いんです!」
顔を真っ赤に染めた男が勢いよく立ち上がる。ぶるぶると握りしめた拳を震わせながら、
「警察にも行ったんだ!だがやつらも直接的な被害がないと動けないと…!それでは遅いだろ!うちのにゃーちゃんに何かあったら…!!!」
ちらりと横を見る。にゃーちゃんと呼ばれたアイドルは男と違う感情で耳まで赤く染めて俯いている。
イヤミを見上げればその様子をこっそり伺いながら小鼻を膨らませているのに気づいた。
あ、この野郎と海野は思う。
「まーぁ、フツーはそうじゃんショ。そんな曖昧な根拠で時間を潰すなんて勿体ない…」
「か、金ならいくらでも払う!だからーーー…!」
イヤミの目が輝いた。
やっぱりこれを狙ってたかと海野はうんざりしながら出されていたお茶に口をつける。
だいぶぬるくなっていて、グラスに付着していた雫で掌がぐっしょり濡れた。
「その言葉、本当ザンスか?」
「え?」
「本当にいくらでも払うザンス?」
「あ…あぁ……相場の二倍は、」
「三倍」
「え…」
「ミーとそこの助手に相場の三倍なら、依頼を受けてもいいザンス」
「じょ、助手の方にも…」
そこで男がちらりと海野を見た。ハンカチで丁寧に両手を拭きながら無言で会釈する様子に眉をひそめる。
あ。今こんな若い女で大丈夫かよって思ったな。ぜったい。
初対面の依頼主にはよくあるリアクションに、今さら海野も気にかけない。
重苦しい空気に耐えられなくなったのは、マネージャーの男だった。
「わかった…お二人に相場の三倍だそう…」
「ハイ!まいどありーザンス!」
パッチーンと喜びに手を叩いたイヤミの背後でチャリーンと金が落ちる音がした気がした。
「ただ!本当に頼みますよ!警護と調査を……」
「ハイハイ、ミーたちはプロざんす。余計な口出しはしない!こことここに拇印をーーー…」
男の言葉を遮って書類を広げるイヤミに、よくやるよと半ば呆れながら海野はハンカチをポケットに突っ込んだ。
「誰が助手だって?」
外に出ればもうだいぶ暗く、街灯がぽつりぽつりと点っている。
先に階段を上がり終えていたイヤミがその枯れ木のような身体をバキバキいわせながら伸ばしている。
「チミが助手。ミーが上司」
「ーーー…誰がプロだって?」
半目で睨み付ければ、イヤミはウヒョヒョヒョヒョヒョ!と独特な笑い声を上げた。
「助手がプロざんすから、嘘は言ってないザンショ!海野も感謝するザンス。ミーのおかげで儲かったザンス!!」
「まだ貰ってないでしょ…」
気の早い…と口を結ぶ海野の肩をバンバンと叩いてイヤミは言った。
「なぁに!二、三日してからなんも無かったと報告すればチョロリンパ!ざんす」
「調査しない気か」
「するわけ無いザンショ!○ックス連呼しただけでストーカーなら中学男子から全世界の野郎がストーカーざんす」
ぴらぴらと書類を振りながら笑う。
「ようは安心料ザンス。何も無いと言えばあちらも安心。ミーたちはお金を貰えてウッヒョウヒョ!」
どこかで救急車のサイレンが聞こえる。
浮かれる腐れ縁に肩を竦め「あ、っそ」と呟けば海野は背を丸めて歩き出す。
「あ!ちょっと!どこいくザンス!前祝いにおでん奢るザンスよ!」
「いい。明日から調査だから早起き」
「ハァ?本気で仕事する気ザンスか?ちょっと…!」
後ろで喧しく騒ぐイヤミに振り返らず片手をふる。
本当になぜコイツと縁が切れないんだろう。
「真面目なだけじゃ生きていけないザンスよおおおおおおおおおお!!!」
知ってるよ。そんなこと。
父は真面目な人だった。
挨拶に厳しくマナーに煩い。
そのくせ男のロマンだとかいって儲からない探偵業に身を投げ、妻に逃げられた真面目な人。
(真面目なだけじゃ生きていけないわ)
(夢や愛だけじゃ、どうしようもない時もあるの)
信じていた妻の言葉に、彼がどんな顔をしたのか海野は覚えていない。
今夜も冷えるなと、コートのポケットを漁れば何かを掴んだ。取ってみれば煙草の箱。一瞬、迷惑そうに口の端を下げて、そのままポケットに戻した。
曲がり角で男とすれ違う。
最近よく見かけるから、会釈をすれば丁寧に返された。人一人入りそうな大きな袋を担いで、重いだろうに律儀だなぁと横目で見送れば、
「あれ?大家さん?」
「あら、鯖江ちゃん」
少し高い背にぎくりとするが、いやいや家賃はこの間払ったしと海野は思い直す。闇夜に光る眼鏡。もう一人の大家さんがそこにはいた。
「コンビニ帰りですか?」
手にぶら下げた買い物袋に問えば、大家さんこと松野松代は、えぇと目尻を優しく細めて笑う。
「そうなのよ。お醤油切らしてたのさっき気がついてね。
コンビニって便利ねー。お醤油まで売ってるんだもの。ちょっと高いけど」
「お疲れ様です…」
「本当よ!聞いてちょうだい、うちのニートども朝の目玉焼きに醤油かけないと始まらない子が二人居てね」
「は、はぁ…」
声をかけるんじゃなかった。
「まったく、いくつになっても世話が焼ける息子よねー」
言うわりには嬉しそうである。
きっと、いいお母さんなんだろうなぁと少し口許が緩みーーー…。
「そろそろ鯖江ちゃんみたいに自立してもらいたいんだけどーーー…、そうだ、鯖江ちゃん」
「あ、はい」
「彼氏居ないんですって?どうお?うちのニートどもの一人や二人」
「いえ、結構です」
一瞬で引き締めた。冗談ではない。
付け入る隙の無い拒否に松代はすこし残念そうに頬に手をあて。
「そぉ?しっかりものの鯖江ちゃんとうちのニートどもならお似合いだと思ったんだけど」
どこがだ。
口にでかかった言葉を海野は無理矢理飲み込む。
「気が変わったらいつでもいってちょうだい。三人や四人、鯖江ちゃんになら喜んであげるから」
「アハハハハ…」
さっきより人数が増えている。
まるで子猫を分けるように軽い口調に海野は、全て冗談だと片付けた。片付けることにしたのだが、
「あの、では明日早いのでこれで…」
「あら、そうなの?明日も頑張ってね。
辛かったらいつでも頼りなさい。
そうだ!今度ご飯食べにいらっしゃいな。鯖江ちゃんならいつでも大歓迎よ!」
「あ、ありがとうございます…」
ぜひ、と口にしながら海野は薄ら寒いものを背に感じ、思った。
恐らく、生涯大家さん宅にお邪魔することはないだろうと。
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