「この場所にオレの過去を知る手掛かりがある。自分は何者なのか、どこからきたのか…… その答えがここにある。」


 不思議と千年秤の震えは起こらなかった。やはり神のカードに反応していたのだろうか…… なまえは遊戯のあとを追って、エントランスに向かう階段を登り始めた。

 閉館時間際で人も疎だ。古代エジプトにまつわる美術品や壁画の並ぶショーケースの順路を黙々と進んでいく。そして何もない通路の突き当たり、《関係者以外立入禁止》の立て札の向こうに、地下へと続く階段が見えた。

 遊戯もなまえもそこで足が止まる。

 どちらともなく並んで階段を下り始めた。頭の中に心臓があるのかと思えるほど煩く耳に鼓動がまとわりつく。それなのに千年秤も千年パズルも、ただのオブジェのように静かだ。醒めた意識の中で薄暗い階段を一段一段降りていった先、地下の展示室のドアから光が漏れ出していた。

 遊戯の手が半開きのドアを押して開け放つ。ガラスを照らすライトが反射して、中身の全貌は見えない。それでも……この展示室に入らずとも、なまえは体の中心を糸で手繰り寄せられるように意識を引っ張られた。

 遊戯もなまえも一言も口を開かない。ただまたどちらともなく足を踏み入れ、ガラスが照り返すライトの雲を少しずつ晴らしていけば、王と神官の闘う姿を著した壁画が2人の目に露わになる。

「……ブラック・マジシャン」

 不思議と心は静かだった。遊戯も同じように、ただじっと壁画を見つめる。
 千年パズルを首から下げた、王のレリーフ。ブラック・マジシャンの下に描かれたその姿は、まさしく遊戯だと悟った。

「(ここに描かれた王の姿…… これはまさしくオレ自身の姿! そして……)」

 遊戯はなまえに視線を向けた。なまえは正面のレリーフよりも、さらに顔を上げて1人の女のレリーフに集中している。
 千年パズルを囲むように描かれた3枚のカード。その千年パズルの逆三角形の先端─── そこに胸を開いて心の臓器を捧げる王女、そして千年秤は刻まれていた。

「今オレははっきりと理解したぜ。オレは古代エジプトの時代から千年パズルに宿りし、失われた王の魂……それこそがオレの正体!」

 視線を戻して、青眼の白龍を従える神官を見る。
「(似ている。……もしこれがヤツだとしたら、やはり海馬も)」
 もう一度なまえをチラリと見てから、遊戯は振り返った。

「なまえ…… お前も感じたはずだ。オレたちは宿命を帯びてここへ辿り着いた。」
「……!」
「フッ…… だがそんなに長い間じゃ、記憶がぶっ飛ぶのも当然だったわけだぜ」


「お待ちしておりました」

「!」
 真っ先に振り返ったのはなまえだった。遊戯もそちらに首を向ければ、褐色の肌に千年アイテムらしい首飾りを下げた女が歩み寄ってくる。

「アンタは?」
 そう口を開いて、遊戯はなまえの違和感に気が付く。……指が千年秤に掛けられている。警戒心なのか、空気がピリついていた。
「私はイシズ。三千年の長き月日…… “王の記憶”を我が一族で守り、伝えてきた者。」
 この女、イシズもなまえのひりついた空気を知っていたかのようにスッとめを向ける。

「どうかその“剣”をお納めください。“二度も過ちを犯す前に”。」
 千年秤に触れていた指が震えた。脳裏に杏子の顔が過ぎる。なまえは手を握りしめて警戒を解いた。

「……悪かったわ」
「貴女はここへ来る前この千年パズルを携えし者を喪いかけた。今は凡ゆる闇の力にも過敏になっているでしょう。……ですが、貴女が真にその矛先を向けるべきは、私ではありません。」

 まるで全てを俯瞰して見てきたかのような物言いに遊戯がなんとも言えない顔を向ける。その視界の端に、展示室を覗き込む杏子を見つけた。

「……! 杏子」

 遊戯の驚いたような声になまえの肩が大きく揺れる。顔を上げればイシズの肩越しに杏子が立っていた。
「遊戯、……なまえも」
 おずおずと室内に足を踏み入れ、杏子は3人に歩み寄る。

「杏子がどうしてこんな所に」
 遊戯のその問いかけに、杏子はイシズを見上げた。

「……この千年タウクには、近い未来を見通す力があります。この《記憶の石盤》に導かれあなた方がここへ来ることはわかっていました。そして、ここに至るまでの事も。」

 イシズと杏子が向ける視線になまえは思わず顔を背ける。それでも唇を噛むと、意を決して顔を上げて足を前に出す。そして勢いに任せて杏子のすぐ目の前まで詰め寄った。

「あの、なまえ───」
「ごめんなさい。」
 杏子が何かを言うより前に頭を下げる。遊戯もハッとして杏子に申し訳なさそうな顔をすれば、杏子は困ったようにそれを見た。

「……、なまえ」
「本当に、ごめんなさい。……杏子に取り返しのつかない事をする所だった」

 「いや、もう色々やっちゃってるけど、」と付け加えてなまえはまた顔を顰める。ほんのついさっき千年秤を突きつけてきたなまえの顔を思い出して、杏子は少し暗い顔で俯く。
 イシズが小さく息をつくと、その間に割り入って杏子の方に手を触れた。

「あなた方がこの場所を訪れ運命を選んだように、このお嬢さんも千年アイテムが引き起こす未来をあなた達と共に歩むことを選んでここへいらしたのです。」

「───え、」
 遊戯の声に合わせてなまえも驚いた顔を上げる。杏子は困ったような顔をしたあと、カバンから遊戯に見せた情報誌を取り出した。

「アタシ、やっぱり知りたくて…… 千年パズルに宿っている遊戯のことも、そしてなまえのことも。だからここへ来てたの。そしたらこのイシズさんに会って……」

 杏子も決心した顔でなまえに向き直ると、その手を握った。

「さっきのなまえは、なまえの本心からあんなことしたんじゃないって、アタシ…ちゃんとわかってる。なまえも怖かったのよね、遊戯が危ない目に遭ってるんじゃないかって、すごく心配してたんだよね」

「杏子、……!」

「なまえも“私たちの仲間”だもの! もう気にしないで」
 ニコッと笑う杏子に思わず顔を赤くする。握られた手にどう力を入れて握り返していいのか戸惑っていると、なまえの鞄の中で携帯のバイブ音が響いた。

「……ッ! あ、ご、ごめんなさい、私電源切って……」
 汗ばみそうな手を杏子から離す。携帯を取り出せば、《海馬瀬人》の名前が画面に明滅していた。顔を顰めて拒否を押し、そのまま電源を切る。
 遊戯も杏子もその画面に映った海馬の名前を見てしまった。どこか安堵する杏子の後ろで、遊戯はまだやはり目を細める。

「お構いなく。……ここを出たら、また電源を入れてみなさい」
「え?」
 なまえはイシズの目に、海馬もこの石盤を見たのだと察した。あの神のカードを渡しただけではない、何か───
「いま、新たな闘いが始まろうとしています。」
 まるで心まで読まれているようにイシズはフッと笑った。小さく息を飲むなまえに構うでもなく、イシズは遊戯に向き直る。

「あなたは自分の記憶を取り戻したがっている。……それには7つの千年アイテム全てを集めなくてはなりません」
「さっきから回りくどいぜ。アンタはオレたちの敵なのか? 味方なのか?」

「私の千年アイテムは善に振り分けられたもの。あなたの敵ではありません。ですが───……私には見えています。まもなくあなたの前に現れる敵、その者こそ新たな千年アイテムを持つ者。

  そしてその闘いは、あなたの記憶を取り戻すための闘いとなる!」


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