「お前のデッキでは私に指一本触れることもできぬ。潔く覚悟を決めよ」
「……くっ」

 なまえの手札はゼロ。ライフは1000。フィールドにはブラック・マジシャンと、伏せカードが4枚。
 大丈夫、まだ持ち堪えられる。そう自分に言い聞かせながら、ブラック・マジシャンの背中に目を向けた。

「いくぞ、私のターン、ドロー!(手札1→2)

 まずはリバーストラップ発動! 《裁きの天秤》!!!」

 千年秤がフィールドに現れ、思いがけず呼吸が一瞬止まる。瞬きをする間もなく、天秤の杯は大きく揺れ動いた。

「相手フィールドに出ているカードの合計が自分の手札より多い場合に発動できるトラップカード。私はその差分だけ、デッキからカードをドローする!」
 なまえのフィールドは、ブラック・マジシャンを含めて5枚。リシドはその差分、3枚のカードをドローした。このタイミングでの手札増強にも、ただ黙して我慢するしかない。

「そしてフィールド魔法発動─── 《王家の神殿》!」

「(王家の神殿……?!)」
 初めて聞くカードに戸惑うのも束の間、リシドの背後に黄金色の巨大な柱が立ち上がっていく。イシズとのデュエルで見せられた《王家の眠る谷》、そして今目の前に聳えるのは《王家の神殿》。見たこともないはずの神殿に、なまえはただ大きな心の穴を抉られたような痛みに黙って貫かれるしかなかった。
「───、」
 小さく漏れた声にブラック・マジシャンが振り返った。浅い呼吸が肺を萎縮させていく。顔は冷たいのに、体は熱い。震える脚を踏みなおし、なまえは突風に煽られる体をなんとか持ち堪える。
「(……ッ、そんなまやかしで、私の心は折れない)」
 ぎゅ、と握った手、そして冷や汗の垂れるなまえにリシドは目を細めた。彼女の心が震えているのも、そして彼女が彼女自身と戦っていることも、リシドには千年秤を通して感じられている。
「これでここは、王の遺宝祀りし聖域となった。その前では、何人なんぴとたりとも謙虚であらなければならない」
「いったい、どんな効果が……」


『(リシド、お前の役目は分かっているな?)』
「(……! マリク様)」
 千年秤と千年ロッドが共鳴し、マリクの冷ややかな視線にリシドが目を向けた。周りに悟られない程度に視線を交わすと、マリクがフッと笑う。
『(僕の身代わりを演じるための《王家の神殿》…… その効果で、聖櫃に納めるべきカードを封印するんだ!)』
「(───?! しかしマリク様、私のデッキに、神のカードは……)」
 そこまで口にしながらも、リシドはマリクの視線に含まれているものを読み取って口を閉ざした。マリクもリシドがもう気付いていると分かって、「フ」と短く笑う。
『(デュエルの前、僕がデッキに仕込んでおいたのさ。よりリアルなマリクを演じてもらうためにね……)』
「(……マリク様)」

 目を閉じて小さく俯いたリシドに、どこか雰囲気が変わったような気がしてなまえが目を凝らす。しかしすぐに顔を上げたリシドの目は、もう意を決した決闘者そのものの闘気を帯びていた。

「私はフィールド魔法、《王家の神殿》の効果発動!!! 手札、またはデッキからカードを1枚選び、神殿の聖櫃に封印する」

「カードを封印……?!」
「そう、私が封印するのは“神のカード”─── 《ラーの翼神竜》!!!」

「……!!!」
 神の名に心臓を大きく揺さぶったのはなまえだけではない。遊戯と海馬、このデュエルを観戦している誰もが息を飲んだ。

 フィールドに神のカードが一瞬垣間見えたものの、それはフィールドの聖櫃へと納められ、神殿に安置された。
「どういう事…… まさか、このデュエルで“神のカード”を使わないつもり?!」
「……」

「どういうことだ……」
 プレイングに意思が読めず狼狽する遊戯や海馬を、マリクはさらに背後から冷笑して眺める。その背中に、本物の千年ロッドを隠し持って。

『(リシドのデッキに入れたのは、神のコピーカードだ! 我がグールズの総力を結すれば、カードの偽造など容易いものだからね)』
「(神の写し身……?!)」
 リシドの視線にマリクも目を合わせてやる。
『(そうさ、そいつは神のコピーカード。……確かにコピーカードと言えど、神のカードは使う者を選ぶ。これまでもある者は絶命し、ある者は再起不能となった。だが実験を重ねるうちに、ある事実が判明した。神のカードは、操る者の心に反応する!
  だが三千年の墓守の一族なら、神を操ることができるはずだ。リシド、墓守の一族として生きてきたお前の強靭な心なら、神の写し身を操ることができるだろう)』

「(マリク様、……申し訳ございません。私は神の力を借りずとも、このデュエルは自らの力で制してみせます!!!)」

 マリクへ誓った忠誠、そして途方もない孤独からの救済を求める自身の秘めた心。マリクの言う通り神を操るために強靭な心が必要だと言うならば、それは自分の心の弱さを知るリシドにとって、マリクの期待を裏切る結果になると理解していた。
 マリクから、対峙するなまえ、そしてブラック・マジシャンへと向き直る。この女を初めて目にしたときから、リシドはどこか違和感とも共感とも言えないものを感じていた。だが今こうしてデュエリストとして対峙し、それが何なのか、分かってきたような気さえする。

 そう、この女も私と同じ、孤独に生きてきた者の目をしている。

 リシドは天を仰ぎ、大きな月を見上げた。産まれたばかりで目は霞んで見えていなかっただろう。それでもリシドは覚えている。あの大きな月、そして冷たい夜と、涸れ井戸の石段。
「(あのとき私は───)」

 ───なんて可哀想な。このまま放っておけば、この子は死んでしまう

「(私はイシュタール夫人に拾われ、命という光を得た。しかし……)」

 脳裏にぎる折檻の日々、家族という見えない輪の外に置かれた自分の肉体、孤独の中で、唯一救いを与えてくれた、幼き日のマリク。
 対峙するなまえも、自分と同じ目をしていると最初から感じていたのかもしれない。


「かつてクイーンと呼ばれたお前に、ひとつだけ問いたい」
 僅かに眉を顰め、どこか不審がるように瞬きを一つするだけのなまえにリシドは続けた。

「一度剣を下ろしたお前が、なぜこのバトルシティに、またデュエリストとして立ったのか?」

「……」
 思わず視線をブラック・マジシャンの背中に向けるが、すぐにリシドへ目線を合わせる。それもやはり息が詰まり、足元へと首を落とした。視界の両端には遊戯と海馬がいる。そのどちらに目を向けることもできず、じっと足元の影に潜む孤独の呪いと向き合えば、なまえもようやく、対峙する男がブラック・マジシャンではなく、自分自身に似ているのだと気づき始めた。

「私は確かに、……もう、デュエリストを引退した方が良かったのかもしれない」

「……!」
 静かな呟きも聞き逃さなかった遊戯が、ハッと息を飲んだ。それとは対照的に、海馬は腕を組んだまま黙ってなまえの遠い横顔を注視し続ける。

 ───『オレの前で、これ以上危険なことをするな……』

 細められた青い目。あの顔を思い出すだけで胸がざわめく。
 自分が女の容れ物に生まれたばかりに、男の容れ物に生まれた人間に力では敵わない。それでも誰かに守ってもらう存在であり続けるのは嫌。誰かから救ってもらうばかりなのは嫌。そういった自分の根本を貫くために、私はこのバトルシップに乗ることを、闘い続けることを選んだ。……どうして?

「それでも私はデュエリストだから、自分のプライドも、カード達も、仲間も…… 手に入れたり、守ったりする手段はデュエルしか知らないし、今はそれ以外の手段を知ろうとも思わない。私は定められた運命に身を任せるような、人生を諦めたような生き方はしない、それだけよ」

「……哀れな。お前もまた蜘蛛の糸にかかった羽虫。足掻けば足掻くほど、お前の手足は女の呪いに絡め取られる」
「へぇ、まるで誰かを見てきたような口振り……、───!」
 そこまで言って、ハッと口を噤んだ。マリクの姉を名乗ったイシズ。つまり、いま目の前にいる男はイシズの弟。
 ───『あなたを絶望させるそれはなに?』
 イシズに、なんてことを問い質してしまったのか。自分も絶望していた。同じ痛みを知っていた。それを「私はあなたと違う」と思い違いをしていただけ。対峙する男の目に、なまえとイシズは同じく写っているのだ。

「だが覚えておくがいい。その呪いに囚われている者だけが、人を救うことができるのだと」
「(……え、)」
 声にならないものが喉をつく。しかし見上げた先にいた男は、もう闘いの場に立ち直っていた。これ以上は闘いの中で語るしかない、そう悟ったなまえも、手を握り締めて足を踏み込む。

「さぁ、デュエル再開だ」


- 258 -

*前次#


back top