カクン、と膝が折れて目を醒ました。崩れ落ちる寸前に持ち堪えれば、鋭い気流が全身に冷や水を浴びせてなまえを叩き起こす。

「みょうじなまえ、デュエル続行の意思がなければサレンダーと判断し───」

 磯野の声と、外野から自分を呼ぶいろいろな声が脳に飛び込んで来た。対峙する男をゆっくりと見上げれば、その手に光る千年秤が、まるでしるしのように小さく瞬く。

「───うるさい」
 やっと小さく呟いたなまえに、少なくとも磯野とリシドは口を噤んだ。聞こえていなかった城之内や本田の声を横目に、視界の端と端に立つ遊戯と海馬の視線を感じる。

「(私が探しているのは、あと2人……?)」

 揺らいだ頭に目を伏せたが、その視界の端でブラック・マジシャンが振り返った。息を飲み込んで顔を上げれば、ブラック・マジシャンだけではない。自分フィールドの3体のモンスター、そして対峙するマリク、その背後に聳えた王家の神殿、それを守護する《聖獣セルケト》がなまえを見下ろしている。
 なぜか、全く関係のないことを思い出していた。例えば古い宝石箱の中で複雑に絡まったネックレスチェーン。たくさん買っておいて結局どうすることもできなかった毛糸。ルールが分からないままのチェスボード。……どんな形になるかの想像はできているのに、どうすればそうなるのかが分からない。
 段々と「もう1人の自分」という存在に慣れてきたような気もする。だが“彼女”は遊戯や獏良のように表面には出て来るわけでもなく、ただなまえに直接語りかけた。それがどうしてなのか、何を意味するのかは分からないが、理解したいとは思わない。
 理解してその通りに動くのは、ただの人形だ。……だけど、

「(あと、2人……?)」

 脳裏にあるのは遊戯と海馬の姿。
 確かにシャーディーは、王妃の願いは3つあると言っていた。そのひとつめの願いが海馬だった。ふたつめは遊戯の存在。もう一度ブラック・マジシャンを見上げる。混乱しそうな頭の中で、なまえは唇を噛んで「それら」を箱に詰めて蓋をした。


「私のターン!!!」

 今考えるべきは勝利への活路。私の願いが叶えられた海馬とのデュエル、あの時も同じように啓示があった。ならばこのデュエルにも意味があるということ。
「(ならば私は、何としてでもこのデュエルに勝つ!!!)」

***

 いつしか見た日本地図を思い出していた。あの“へり”がその地図のいったいどこに当たるのかは見当もつかなかったが。
 街の明かりが岸に沿って途切れる向こう側、その暗闇が海だと分かっていても、闇という船の行く先を窓から眺めているのはどうも心が落ち着かない。イシズは次第に自分の顔が窓にすら映らなくなり出した、弱々しい外からの光に目を伏せる。

 あの日も同じだった。暗い部屋で、たったひとつの蝋燭の前で祈るしか出来なかった時のこと。幼さを弱さと履き違えていた、自分のこと。
「(わたくしはなにもしてこなかった。なにも……!)」
 膝の上に重ねた手が、爪を立てて握りしめられる。マリクとリシドが受けた傷を思い出せば、自分で自分の手の薄い皮膚に食い込んだ爪など到底比べようもない。マリクが復讐の闇に駆られた時間と同じだけ、イシズは自らを呪って生きてきた。

 またこうして、暗い部屋に閉じこもって祈るだけなのか?

 ふと顔を上げ、窓に映る自分を見た。街の明かりが途切れる最後の瞬間が、自分の首にあった千年タウクを思い出させる。……千年タウクに宿っていた、千年タウクのウジャドのまなこが見つめていた記憶。その一端が、窓に映るイシズの姿を変えた。

「……!」
 同じ顔をした女が、鏡面の窓から手を伸ばしてイシズの頬を撫でる。

わたくしも見ているだけだった。見て見ぬ振りをするしかなかった。……無知こそが救い。ひとつの真実はまた別の真実を告げ、やがて濁流となり、己を破滅させる』

 ひとつ足のテーブルが倒れた。肩で息をするイシズが見渡せば、自分が立ち上がって後退りしていたのだと気がつく。窓はもうひとつの明かりも拾わず、ただ海が大きな暗黒の口を開けているだけ。
 初めて訪れた自分の闇に、イシズは震えて体を抱く。

 だがすぐに踵を返して部屋を出た。これが嫌な予感の前触れだと言うのなら、……

***

「ドロー!!!」

なまえ(手札 8/ LP:900)

 引いたカードに一瞬目を細めた。手札に加えると、一度手を下ろしてもう一度フィールドを見渡す。
「(マリクの伏せカードは1枚。……でも、私には《トーラの魔導書》と《ゲーテの魔導書》の、2枚の伏せカードがある。もしトラップだったとしても、対象が私の魔導士達であれば対処できるわ。……問題は《成獣セルケト》のモンスター効果)」
 手札を広げて目をやるが、8枚もある魔法カードの使い道が浮かばない。
「(いったいどんな効果があるかは分からない。だけど、私のデッキは残りたったの3枚……!)」
 行くも地獄、行かぬも地獄。

「私は手札から、《ルドラの魔導書》を発動!(手札8→7)
 このカードとフィールドの魔法使い族1体を墓地へ捨てることで、私はデッキから2枚ドローする。私は《魔導書士バテル》をリリース!!!」

「……!」
 目を見開くリシド。城之内や舞もこれには困惑を見せた。
「あのバカ! これでアイツのデッキは……」

「(……ッ 確率は2/3!!!)」

 引いたカードを見たなまえが一瞬見せた顔は誰にも分からない。ぐっと何かを飲み込み、なまえは2枚のカードを手札に加える。
(手札7→9)

「……ターンの終わりに、手札は7枚までしか持てない。私は手札から、《封魔の呪印》の効果によって使えなくなった《グリモの魔導書》2枚を墓地へ捨てて、───ターンエンドよ」


「!!!」
 伏せカードも攻防も無し。なまえは4枚しか残っていないデッキから3枚ものカードを消費だけしてエンド宣言をした。これには海馬も唖然としてなまえの後ろ姿を見上げるしかできない。
「まさか、なにも打てる手がなかったの……?」
「アイツ……!」
 舞が口元を押さえる横で、城之内が拳を握りしめる。

「(どういうつもりだ、なまえ……?!)」
 一間おいてギリ、と奥歯を軋ませる海馬の険しい目がなまえに注がれる。それでもまるで平然と立つなまえの静寂さは、リシドの目には逆に不穏に映っていた。


『ハハハハハ!!! リシド、その女は敗北を認めた! 次のターンでその女を抹殺しろ!!! 墓守の一族を生み出した王妃の魂ごと、《ラー》のいかずちもて焼き尽くせ! 名もなきファラオの目の前でな!!!』

 マリクの復讐心の叫びがリシドに迫る。リシドはもう一度、対峙するなまえの頭上にある月を大きく仰いだ。


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