「時間です。挑戦者、武藤遊戯…デュエルリングへ。」
遊戯は城之内達に激励されながら、再びデュエルリングへ上って行った。観覧席で彼を見つめる仲間の中に、なまえの姿はない。
***
遊戯はデュエルリングを下りたなまえを追って走っていた。ペガサスへの挑戦までの僅かな休憩時間、闇の人格の方の遊戯はどうしても彼女に会っておきたかった。
思い返せば、なまえは人を寄せ付けなかった。その中にあって唯一なまえに触れたのは──どんな形であれ──海馬だった。しかしあの千年アイテム同士が共鳴したあの瞬間…武藤遊戯の心の中に発生した己という虚無の存在、闇の人格自身が人として彼女と繋がった。
遊戯は「それ」に確証を持ちたかった。もしなまえからもあの啓示を受けたと言ってくれたなら…それは遊戯が、もしくは「名前のない一つの魂」が、確かに人として確立し、存在しているという証明足り得るのではないだろうか。
遊戯が延々と心に抱えていた爆弾が、なまえの言葉ひとつで取り除かれる──そういう類いの希望が遊戯の瞳に輝き、また汗となって走り去るあとに水晶を散りばめた。
「なまえ!」
太陽に照らされるくすんだ赤い髪を、風の赴くままに靡かせるその後ろ姿が、山筋の火砕流にも似て遊戯の目には情熱的に映る。遊戯の胸を一段と高く逸勢されるのは、長い廊下を走り抜けたためだけではない。彼女が振り返るだけで、そのマグマを花園にさえ変える清廉さに、まだ成熟しきらない遊戯の心象投影機が光に充てられた。
「遊戯…?」
***
「遊戯〜〜!」
長い廊下を小走りに進みながら、走り去った遊戯を探していると、ついに森を望む城壁沿いの吹き抜け廊下まで出てしまった。
「まったく…どこ行っちゃったのよぉ…」
杏子がため息混じりにその廊下へ脚を踏み入れると、強い海風が砂埃を舞い上げてその顔を掠めた。
咄嗟に閉じた目をあけると、廊下の向こうに遊戯の背中が見える。
「あ、遊戯!」
パッと見せた杏子の笑顔は、そのまま一度固まり、瞬きひとつしてどこか虚無のような陰を落とした。
***
遊戯に突然訪れた虚無のような陰は、紅潮して上気した顔にそのまま口を閉ざさせる。
「…?遊戯?」
どうしたの?と見つめる同じ色の瞳に、遊戯は突然恐れを抱いていた。
…もし、あの感覚が自分にだけ感じたものだったとしたら?
大きく膨らんだ期待はゴム風船のように皮膜を限界まで薄く伸ばしている。果たしてなまえの紅色の唇は、上弦に緩めてその風船を天に飛ばしてくれるのか、下弦に緩めてひと突きに針を刺すのか…遊戯は言葉を続けられないでいた。
なまえは言葉を使いあぐねていた。慰めに来たのか、謝りに来たのか、それとも…最後に千年アイテムが見せたものを確認しに来たのか。
あの時なまえは咄嗟に平静を装って見せた。ペガサスの“眼”があの場にあったからだ。幸いにも共鳴したのは千年パズルと千年秤だけ…あの場には4つもの千年アイテムが揃っていたにも関わらず、あくまで遊戯となまえの支配下にあるもの同士だけが反応したようだった。それが何なのか、何故なのか、それはなまえには分からないし、おそらく遊戯もだろう。
「(いいえ…あの場には…)」
なまえが目を細めるのを遊戯が敏感に感じ取り、遊戯が息を余計に吸ったのをなまえが敏感に感じ取った。
「なまえ、その…さっき、千年パズルが何かに反応したような気がしたんだ。オレは、今は遊戯のもう一つの人格としてここに存在している。変な話しだが、オレはあくまで武藤遊戯という1人の人間の一部としているんだ。それがさっき…オレ自身が1人の人間としてなまえと繋がれた気がした。それはオレにとって、初めての事で…それを、一言、確かめさせて欲しかったんだ。」
なまえは一度キョトンとした顔をして、それから無意識に胸──心臓のあたり──を撫でた。
「意外だわ。あなたでも…そんな不安を覚える時があるのね。」
遊戯は少し心外そうな目を向け無言で抗議する。それをフッと笑って見せたなまえに、遊戯はまた目を奪われた。
「仲間の繋がりが、元は器の遊戯のもので…後から生まれたあなたには何も無いと思っていたの?」
肝心の応えを言わないなまえに、遊戯は一抹の不安を覚える。だが彼女が何かを諭そうと言葉にしてくれているのは感じて、遊戯は静かに頷いた。
「遊戯は仲間の繋がりの中の真ん中にいるじゃない。それはもちろん、闇の人格として現れたあなたもよ。だってデュエルしてる時…城之内や杏子や本田が応援しているのは、それは確かにあなたの事を応援して、そして仲間として繋がっていると、私は思うわ。」
「だが、それは相棒の身体を共有してるから…」
「じゃあ、今まで懸命に応援してくれていた仲間のは繋がってないって、あなたは否定するの?」
「!」
遊戯はドキリとして口を噤んだ。
「たとえ遊戯君の身体だとしても、あなた自身が保有する思い出の中で…心の中で、仲間は確かに繋がっているんじゃない?」
なまえは「もう話すことはない」とでも言いたげに、身体をもと進んでいた方向へ向けた。
遊戯がそれを引き止めようとした時、なまえはゆっくりと笑って最初に遊戯が求めていた言葉を与える。
「少なくとも…私とは確かに千年アイテムを通して繋がりを共有したわよ。」
不思議となまえの言葉が遊戯の自信回路に繋がったような気がした。
「ペガサスに勝てる事を祈ってるわ。…私は海馬を救えなかった。」
「お前はこれからどうするんだ…?」
「デュエルには負けたけど、私にはまだやれる事がある。島を追い出されない限り、私はまだ諦めない。」
なまえのその顔に、遊戯の胸の棘が痛んだ。一度味わった幸福感のあとの、そういった類いの痛みは増すもので…とくに整理のつかないままの感情が散らかる心の部屋に、遊戯は困惑すら覚える。
「遊戯には仲間やカード達と結束し、信じあえる力がある。それは間違いなくあなただけの強みだわ。…遊戯に負けて、海馬を救う事はできなかった。だけど、私は遊戯に救われたのよ。」
「!」
なまえはもう一度振り返って遊戯の目をじっと見た。
「私は魔導士たちと、カードと信じ合い、信頼しあう事を忘れていた。ペガサスの用意したクイーンの座に、いつからかデュエリストとしての心を失っていたって気がついたの。遊戯が海馬とモクバ君も救うと約束してくれたとき…私は敗北を感じたわ。だけど、同時に遊戯が、私をも救ってくれるんじゃないかって期待したの。私をこの悪夢から目覚めさせてくれるんだって。」
「悪夢…」
「…私を、解放してくれてありがとう。…さ!そろそろペガサスへの挑戦の時間じゃない?」
遊戯が思考に身を投じる寸前に、なまえは話しを切り替えていつものように笑って見せた。一瞬戸惑って「あ、あぁ…」と喉を詰まらせた返事をした遊戯に、なまえはもういつものような強い印象を与える、背筋を伸ばした立ち姿で向き合った。
「…遊戯、信じてるわ。」
「あぁ。任せとけ。」
遊戯はもう一度向き合って頷いた。互いに似たような感情を抱きながら、その向かう先は別々を見据えて…だが互いの不安はほとんど消えていた。清々とペガサスに対峙する──遊戯は決心していた。
遊戯がまた決闘の間へ駆けて行ったあと、曲がり角の陰に隠れていた杏子もとぼとぼともとの場所へ足を進めて行った。
***
「遊戯頼むぜ!」
「オマエの力を見せてやるんだ!遊戯!」
本田と城之内は観覧席から遊戯の立つデュエルリングを見渡していた。杏子も痛む胸を撫でながら、「頑張って!」といつものように振る舞う。
「(ついに決戦の時が来たぜ!カードよ…いま王国最強のデュエリストに立ち向かうぜ!)」
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