「会いたかったわ、カイト」

「ア、アナタ様ハ」
 カイトより先に口を挟んだオービタルが\の視線にギクリとして黙り込む。すぐに「失礼シマシタ」と引っ込むと、メインディッシュのカイトが声を絞った。
「なまえ……」
 真っ白い顔で口にした名前。\はニコリと微笑んだ。彼女のその微笑みが、昔と変わらない態度のように思えたカイトはどこかホッとしたように顔を緩めたが、それはすぐに覆される。
「その名前で呼ばれたくないの。私は\」
 は? と強張ったカイトの頬を嘲笑うように眉端を下げ、\は目を細めた。そして前髪を耳にかけ直し、両の目ではっきりとカイトを見据える。
「……ッ お前、……その顔はどうした、いったい何が───」
 言葉が途切れ途切れでうまく繋げることさえできないカイトを待つことも、むしろ最初からカイトと会話をする気などないとでも言わんばかりに、\はあくまで自分の言いたいことだけを口にした。
「ねえ、どうして気付いてくれなかったの? カイトならすぐ私だと分かってくれるって思ったのに」
 ベイエリアで遊馬や小鳥から聞いた、ハルトを拐った人間の特徴。\の顔の全貌を見たカイトの中で、点と点が繋がっていく。
「それとも、そこの2人の説明が悪かった?」

 ───『お、女の人でした! 背は高いけど、ハイヒールを履いてて、私よりは髪が長くて』
 ───『顔にでっけぇ傷跡が』
 ───『ハルト君は、その人を見てすぐ「姉さん」って、……そのひと、自分のことをカイトに言えば分かるって!』

「ねぇ、どうして?」

 尋問でもするかのように笑うその顔は、Wと同じように眉端を下げて口端を釣り上げる。そして1枚の写真を取り出すと、カイトに突き付けた。
「それはハルトの……!」
 先に声を上げたのは遊馬だった。風車の塔の上でハルトが取り出した写真、だがそれを見るのはこれで3度目。遊馬はカイトも同じものを持っていたのを知っている。同じように、不自然に切り取られた写真を。
『遊馬、彼女の手をみろ』
「あ、……」
 アストラルの冷静な声に、遊馬はハッとする。写真を掲げた\の右手、そこにある大きな傷跡。遊馬とアストラルもまた、カイトの言ったことを思い出した。
『ハルトを拐った女の特徴を聞いて、カイトは「その女の手を見たか?」と私たちに言った。……カイトは、この女の存在が最初から選択肢にあったということだ』
「待てよ、じゃあ、カイトはハルトを拐ったのがコイツだって知ってたのか? それをどうして」
「う、く……」
 遊馬にその気がなくても、一度に責め立てられてるも同然のカイトは何も答えられない。遊馬には代わりに\が目を向けた。
「君は? どうしてカイトと一緒にいるの」
「ハァ、そんなの、仲間だからに決まってんだろ!」
 これにはカイトが不服そうな顔を逸らす。それだけでなんとなく察した\だったが、「ふうん」と目を細める。
「九十九 遊馬」
 いつのまにか階段を降りきったXが\の横に立って口を挟んだ。割り込んだXに\は少しだけ横に足を引いて腕を下ろす。カイトはその手を少しだけ目で追った。
「君は、九十九 一馬さんの息子だね」
「父ちゃんを知ってるのか?!」
 その遊馬の反応に、Xが\に目を向ける。\はカイトを見つめるだけで、我関せずといった態度を崩そうとはしない。カイト自身、キャパオーバーを起こしそうな思考と感情、そして蓄積された身体的ダメージで立っているのが限界だった。
 そんな2人に小さく息をつくと、Xは再び遊馬へ向き直る。その目はどこか困惑や期待に煌めいてさえあるように思えた。

「君のお父さんは生きている。───アストラル世界で」



「クソッ!!!」
 盛大な音を上げて、蹴り飛ばされたテーブルから花瓶が落ちて散乱する。蹴り飛ばした張本人、……肩を上下させて息を荒げるWの背中を、Vが見つめていた。
「に、兄様、……」
 ギッと睨まれVは宥めようとした手をすぐさま引っ込める。Wが荒むことは珍しくない。だが、いくらトロンの前でないとは言ってもここまで自身をコントロールできない事は珍しかった。
 コト、と小さな音にWとVが振り向く。いつのまに帰っていたのか、しゃがみこんだ\が花瓶の破片をどかして、可哀想な花を拾うとそのまま立ち上がる。
「姉様」
「W、自分で片付けてよね」
 \はその場で少し花の束を振って花瓶の細かい破片を払い落とす。花に目を落としたまま、決して2人を見ようともしないでそのまま部屋を出ようとする\の肩をWが掴んだ。
「待てよ、カイトと何を話した?! なんで俺のいないところでばかり!!!」
「Wには関係ない」
「いい加減にしろ!!!」
 掴まれていた肩を乱暴に引かれ、無理矢理Wに振り向かされる。その衝撃で何本か落とした花に気を配るWではない。そのまま花瓶の破片と一緒に踏み締めて、Wはガッチリと\の両腕を捕まえた。Vはそれを止めることも、ましてXを呼びに行くこともできず、ただ青い顔で眺める。
 ハーハーと震える息で上下するWの肩を一瞥するなり、\は諦めたような顔で花を手放すと、掴まれたままの不自由な腕を伸ばし、目の前のWへ一歩踏み出した。
「───ッ!」
 高鳴る心臓の鼓動が、Wの強張った首筋越しに\の頬を叩く。背中に回した腕を、Wはまだ離さない。\が一方的にWを抱き締める形で、2人は暫く密着したままそこに立つ。
 可哀想なVは\の意図を汲み取れずに退室すべきか否か決め兼ねているところで、\はWから離れた。
「て、てめ……」
「落ち着いた?」
「ふ、フザケんな、俺は……!」
 目を泳がせながら、Wの手は\の腕を滑り降り、段々と彼女の脇腹から胸脇へと辿っていく。その手をさっさと振り払って離れると、\はズカズカと今度はVの方へと距離を詰める。
「ね、姉さ……」
 ま、と言い切る声は\の胸に飲み込まれた。背後でWがまた癇癪を起こしそうな顔で固まるのを、\もVも視界にすら入れていない。
「姉様、あの……ッ」
 Wへの抱擁とは違い、\は犬でも可愛がるようにVの柔らかい前髪へ頬を埋ずめる。明らかに癒しを求めるような頬擦りのあと\はVを解放したが、名残惜しかったのかその頭を撫で回した。
 優しく頭を撫でられながら、Vは昔に戻ったような気がして顔が緩む。だが、はにかんだ顔を上げた先にあったのは、どこか冷たい、無表情の\。
 途端に冷や水を浴びせられたVの目が揺れる。
「なんのつもりだ、\」
 Vの頭から下ろされた手。Wに向き直った\のその手の傷痕を、Vが呆然と見つめる。
「トロンは結果が出なければ褒めてくれない」
 さも当たり前のようにそう吐き捨てた\に、Vの肩が跳ねた。
「それでも頑張ったご褒美は必要でしょ?」
 淡々と答えた\にWが舌打ちを返すと、その報復でもするように\が鼻で笑う。それからは一言も発さず、\は部屋を出て行った。
 \の背中を見送って扉が閉まったあと、カイトの件をはぐらかかされていただけだと気付いたWが「あ!」と声を上げるなり、\の後を追いかけて出て行く。部屋にひとり残されたVは、\が撫でた自分の頭に自分の手を乗せて、感触を呼び起こすように少し撫でる。
「……ッ」
 溢れかけた涙を慌てて拭い、Vは天井を仰いだ。


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