「待てよトロン」
 沈みかけた太陽に赤く照らされた廊下で、Wが声を震わせた。
 九十九 遊馬に敗北し、紋章の力を使い過ぎた反動で倒れ、深い眠りについたV。彼をおいて閉ざされた部屋の扉の前に立つ、3人の兄妹に目もくれず歩いていくトロンに、Wの握られた拳が軋む。
 Vは兄弟の中で一番に優しい、末っ子だ。WからすればVはトロンの“お気に入り”。だから跳ねっ返りの問題児である自分がされたような扱いを、まさかVが受けるわけがないと、当然のように考えていた。
「この俺を強化しろ。……Vと同じように!」
 それがどうだろう。たとえそれがVの望んだことであったとしても、WにはトロンがVにしたことが我慢ならなかった。更なる紋章の力を与えるならまだしも、トロンはまたしても発動と同時に実害の出るカードを息子に与えたのだ。凌牙と璃緒、その2人を陥れるためWへ与えたカードと同じように。それは「誰かを潰すためなら、息子1人が犠牲になるくらい構わない」という表れ以外の何物でもない。
 そんな扱いを受けるのは、自分だけでよかったはずだ。
「君にもVにも、失望したよ」
「……ッ な、」
 返ってきたのは、あまりにも冷たいもの。失望した。自分で壊しておきながら、Vの優しさを利用しておきながら、失望した?
「───てんメェ!!!」
 カッと頭に血が上ったWがトロンに駆け寄る。
「Vはなァ、アンタのために、No.ナンバーズのオリジナルと闘ってあんな、……あんな姿に」
 手をあげたり、胸ぐらを掴むようなことはできなくとも、せめてVへの言葉を取り消させるくらいはしたい。そんな思いだけが口を割る。トロンとWから少し離れたところで傍観するXと\も、今回ばかりはWの態度を諫めたり、止めたりする気配はなかった。それが「Wの意見を肯定」するという、ほんのささやかな反抗意思。
「結果が欲しいんだよ、僕は」
「……!」
「君たちに期待できないなら、他にするさ」
 3人の反応はバラバラだった。顔を歪ませたW、諦めたように顔を落とすX、少しだけ目を細めた\。
「神代凌牙、……そのために僕は彼をこの大会に引き摺り込んだのだからねぇ」
「……ッぐ、くぅ」
 凌牙の名前にWの言葉が詰まる。その後ろでどちらかの足音がWの背中に迫った。独特なハイヒールの音にそれが\だと気付いても、Wはトロンから目を離せない。
「Vの仇は、九十九遊馬は私が倒します。No.ナンバーズのオリジナルも私が必ず手に入れます。……だから、どうかWを、」
「Wにチャンスを与えて欲しい?」
「……!」
 心を見透かしたような鋭い目が向けられる。反射的に萎縮しかけた体を糾して、\は唇を噛んだ。
「\、テメェは関係ねぇ」
「いいや、……\の言う通りだ。W、君と\は仮にも運命共同体、双子の兄妹として一蓮托生を誓った仲。その\が結果を出してくれたら、W、君にもチャンスをあげよう」
 ふふ、と笑うトロンがWを見上げた。Wの目に潜む恐れの穴が広がっていくのを、はたして何に使おうかと考えながら、\に目を向ける。
「でも、\には\の役割に専念してもらわないといけないからね。九十九遊馬の件は、僕とXで考えておくよ」
「(\の役割だと?)」
 不穏な言葉にWが\を覗く。その顔はいつも通り淡々としていて、\が何を考えているのか読み取ることはできない。
「だから、まずはひとつ、簡単な“おつかい”をお願いしよう」
 トロンの言葉が向けられた本人より、Wの方が過剰に反応する。それも含めて喉の奥でクツクツ笑うと、トロンは提案するように指を立てた。
「明日の夜、大会の前夜祭が行われる。\、君はそこでDr.フェイカーの開発した《光子フォトン》カードを手に入れてくるんだ」
「……ッ トロン!!!」
「やめてW」
 あまりにも解釈範囲の広い命令にWが口を挟む。それを遮られ「\!!!」と怒鳴るWに目もくれず、ゆっくりと瞬きをしてから\はトロンに頭を下げた。そしてさっさと踵を返すと、歩き去っていく。
 すれ違いざまにXも目で追うが、声はかけない。トロンも見送るようなことはせず、用が済んだとばかりに\とは反対の方へと歩き始めた。



「オイ\! 開けろ! どういうつもりだ、\!!!」

 ドアノブを力任せに回したり、ドアを叩き続けるWの声が部屋に響き渡る。普段鍵を掛けないために、Wはスペアキーを持っておくというのをしていない。だからこうやって籠城を決め込めばWが何もできなくなるのを\は知っていた。
「カイトと闘うつもりか?! \!!!」
「(カイト、……)」
 1人掛けのソファに頬杖をついて、ぼんやりとカイトの顔を思い出す。だが思考の邪魔をするように、ドアを叩く音がカイトの顔にWの顔が塗り替えられていく。ため息をつき、立ち上がって鏡台の隠し棚を開けると日記帳を取り出し、ペンを走らせてそのページを破った。

「聞いてんのか?! オ───、……い」
 足元に、スルッと紙が滑り出された。ドアを叩くのをやめて拾おうとすると、ドアの向こうで人の気配と共にハイヒールの靴音が遠ざかる。舌打ちをして拾い上げると、ノートの切れ端に走り書きがあった。

Tace, pure quaestio静かにしろ問題児
  occupatus nunc est MOM.“ママ”はいま忙しいの

 Wは冷静にそれを読んだあと、インクの跳ねにしては多い“点”がついた文字を追う。乱雑な筆跡と言われたらそれまでかもしれないが、マークのついた文字を並べ替えて出てきた“本音”に行きついて、Wは最後とばかりに、思い切りドアを蹴飛ばした。
 響き渡った足蹴の音もすぐ廊下に溶け落ち、沈黙が訪れる。舌打ちをしてWは自分の部屋へと戻っていった。
「(なにが『paenitetごめんね』だ)」

 荒っぽい足音が遠ざかり、斜め前にあるWの部屋のドアが閉められる音だけで、Wがどんな顔をしていたか想像がつく。やっと静寂を取り戻したところで、\は自分のデッキケースを開けた。
 ───『明日の夜、大会の前夜祭が行われる。\、君はそこでDr.フェイカーの開発した《光子フォトン》カードを手に入れてくるんだ』
 トロンの命令、あれは暗に「大会前にカイトを潰せ」とも、「カイトに発破をかけろ」とも取れる。Wは前者として受け取ったようだが、\は後者の意味で捉えていた。自分の役目に専念しろ、と念を押されたからだ。
「(自分の役目……)」
 スル、と何かが滑る音に顔を向ければ、ドアの下から紙切れが差し込まれていた。足音と共にWの気配が遠ざかり、遠くでドアの閉まる音がする。ため息をつきながら立ち上がってドアに近付き、紙を拾う前に\は鍵を開けた。
「……」
 鍵を開ける音を立てても、Wは押し入ってこない。今日のところはほっといてくれるのだと察し、\は紙切れを拾い上げ、乱暴な字に目を通す。

『 68.5 』

 たったそれだけ。だが何を意味しているかは分かる。
「やっぱり伸びてる」
 メモに目を落としたまま鏡台の前に向かい、出しっぱなしの日記にそれを挟んで棚に戻した。\はそのまま振り返って鏡台に腰掛けると、ブーツのファスナーを下ろす。
 Wにいつ身長を越されたのか、\は知らない。少なくとも離れ離れになった12歳の頃、お別れのあの日までは、\の背の方が大きかった。正直なことを言えば、今でもどこか不思議。目が覚めたら16歳も終わり頃で、全然知らない“男の人”に成長していた3人に囲まれて。それからは4人手探りで家族の形を取り戻そうとする日々を送った。
 ───トロンが現れるまでは。
 ヒヤリ、と気持ちいい感触が足の裏を覆う。じんわりと痛むつま先を床に押し付けて伸ばしたりほぐしたりしながら、重たいブーツを持ち上げてぼんやりとハイヒールを眺めた。


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