「(潮時だな)」

 WはDパッドをスワイプしながら「極東デュエルチャンピオンのW」という、切り取られた自分のイメージを称賛する投稿記事やファンの発信を眺めていた。大会の決勝トーナメントにXと\が駒を進めたことで、「Wの兄妹か?」という注目を煽動するような記事が傍目にも目立ち始めている。
 今さら過去を悔やんでも仕方がない。双子の兄妹である事が、\を守れる唯一の術だったのだ。だが彼女を守れるだけの力を得た途端に、双子の兄妹という関係は大きな枷となってしまった。
 ───『Wだってもっと努力してよ! アンタのファンの躾けとかさぁ!』
 喚く\が脳裏を過ぎる。一体何のために\の存在をひた隠しにしてきたのか、何のために\との関係を未だに明言しないでいるのか。……望んだ未来がいつか訪れると期待して張っていた予防線は、蜘蛛の糸よりも細く、簡単に千切れてしまう。
[ She is my twin sis_ ]
 『彼女は誰?』、そんな山のようなメッセージの回答欄。途中まで打ちかけた文字の横で、続きを早く書けとバーが明滅している。たった一言「双子の妹だ」と回答すればいい。あとはファンやアンチや、便乗したい有象無象が拡散する。「ter」を打って、送信をタップするだけ。それがどうしてこんなにも億劫なのか。
[ She is my _ ]
 デリートを押し、戻ってきた岐路に立つ。分かっている。双子の妹だと明言すれば、いざ彼女を手に入れる日が来たとして、先に明言した「兄妹」という単語は大きな障害になる。……だからといって、事実を言えばどうなるか。傷付くのは\だ。いつもいつも、傷付くのは\だけ。
 いっそ「婚約者」と大ボラ吹いてネットを騒がせて遊ぶのも悪くはないと、Wは小さく笑った。「fiance」「girlfriend」「partner」、自分が彼女に望む関係を打ち込んでは消し、打ち込んでは消しを繰り返して、そうやって時間を潰し続ける。
 事ここに至って逃げ道のある回答を探す自分は、きっと未来に希望を持っているだとかそんな生易しいものではない。目を覚さないV、崩壊した家族、壊れたくても壊れられない自分。そんな現状から目を逸らしたくて、こんなくだらないことを考えているのしかないのだ。
 虚しいと気付くな、悲しいと気付くな。そう言い聞かせながら、Wは大きく息を吐いてDパッドをテーブルに放った。天井を仰いだ目の上に腕を乗せて、画面を睨みすぎて痛くなった頭を休ませる。
「くだらねぇ……」
 ハハ、といつもの調子で笑いながら体を起こし、放ったパッドを引き寄せた。そもそも律儀に回答する義理もない。
「だいたい俺に彼女がいたら、ファンの皆様が悲し───」
 画面に目を落とせば、「送信完了」の文字。
 途端に真っ青になったWが慌てて自分の回答コメントを開いた。
[ She is my partner ]
 ぐるりと一周考えて、Wはまた背もたれに頭を預ける。嘘もついてないし、予防線は張ったまま。
 ああでも、誤送信したと言い訳できたなら、もっと大きな嘘をつきたかった。



 青白いモニターに囲まれた診療台の上。横たわったカイトの体に伸ばされた、いくつもの管。秒針より少し早い一定のリズムで刻まれる電子音のキーが、自分の鼓動によって叩いているとは思えない。それほどまでに、意識と体は乖離している。
 目を閉じれば、自分の弱さと向き合うことになるだろう。だったら目を開けたまま、暗闇の中を睨み続けた方がマシだ。今は何も、思い出したくない。

 ドーム状の医療室は、衣擦れの僅かな音さえも反響させる。一通りの治療を終えたところでカイトはさっさとジャケットに袖を通し、ファスナーを上げて襟を直す。
「カイト様、モウ限界デス。コレ以上光子フォトンモードデNo.ナンバーズヲ使イ、回収ヲ続ケテイタラ……」
 四輪駆動の体で迫り、説得しようとしてくるオービタル7からカイトは顔を逸らした。言われなくても自分が1番よく分かっている。3年前から少しも伸びなくなった身長に、減り続ける体重、低い血圧。体の違和感を抱えて過ごすカイトにとって、数値として出されたところで何の役にも立たない。
『随分と無理をしているようだ』
 突然入ったスピーカー越しの声に、カイトとオービタルが振り返る。
 いつの間に通信を開かれていたのか。モニターからカイト達を見下ろすMr.ハートランドが目を細めた。
『大丈夫かね? カイト』
「カッ カイト様ノオ体ハ───」
「この通りだ。問題ない」
 オービタルの言葉を遮り、カイトは立ち上がってモニターを睨みつけた。気丈に振る舞うカイトに満足したように、Mr.ハートランドは細めてた目をゆるりと笑わせる。
『そうでなくてはねぇ。No.ナンバーズがハートランドシティに集まり、サァこれからと言うとき。君には期待しているのだから』
「分かっている。だが、ハルトのことは、約束通り……」
『もちろん。心配には及ばない』
 どこかのらりくらりと躱したような返事に、カイトの眉端が動く。
『あぁそうだ、今夜の前夜祭、待っているからねぇ。No.ナンバーズを持っている者を、その目で見ておくのも悪くないだろう』
 カイトの返事を待つまでもなく、Mr.ハートランドの通信が切られる。何も映さなくなったモニターをしばらく見つめたままのカイトを、オービタルが見上げた。
「アノ、カイト様……」
 かけられた声を振り払うように、カイトは診療台に置いたままの、デッキケースのついたベルトを拾い上げる。オービタルに背を向けてコートの上からベルトを締めると、ポーチから赤いクリスタルガラスのブローチを取り出して、首元のインナーに刺した。



 半開きのドアから差し込む夕日。薄暗い部屋で、Vの髪のふちがオレンジ色に煌めいている。ピッタリと閉じられたVのまぶたを、\はぼんやりと見下ろしていた。
 ふと頭を撫でてやろうと手を伸ばして、Vの髪に触れる前に躊躇う。
 ─── 『……俺の恋人になれっつったら、なんのかよ』
 Wがまだ自分の肩に顔を埋めているような気がした。こそばゆさや気持ちの揺れ。途端に自分が醜いのを思い出して、Vに触れてはいけないような気持ちにさえなる。
「(もう誰も、私に「家族」を求めていない)」
 躊躇っていた左手、傷のない方の手でVの頭を撫でる。
 失って初めて、自分を家族として扱っていたのがVだけだったと思い知った。どこか他人行儀なX、異性として意識するW、……Vだけが「姉様」と呼んで、「姉」であることを望んだ。それなのに。いつからだろうか、こうして頭を撫でてやっても、Vは怯えた顔で自分を見上げるようになっていった。どうして、私は妹にも姉にもなれない。
 撫でて乱れた前髪を指で直してやりながら、恐る恐るVの口元に手をかざす。
 ちゃんと呼吸をしていることに、\は膝が崩れそうなほど心から安堵した。本当に眠っているだけ。魂がここになくても、肉体は生きる意思を持って横たわっている。緩慢な死でも構わない。まだ目覚めないと、決まったわけではないのだから。
「Vも、私の時はそう思ってくれてたのかな。WやX兄様も……」
 沈んでいく太陽が、部屋をどんどん暗くしていく。もう出なくてはいけない時間。分かっているのに、足が動かない。
「(カイト……)」
 喉の奥で呼ぶ名前に、2日前見たカイトの顔が浮かぶ。
 冷静に見せようと必死になりすぎて、ろくに会話もできなかった。もっと間近くカイトを見たかった。たくさん聞きたいことがあった。……もう何を思い返しても、分かりきった答えがカイトの口から返ってくるのを知っていて、身構えてしまう。
 とっくに諦めていたはずなのに。憎んでいたはずなのに。それなのに今考えていることといえば、「カイトの前でハイヒールを履きたくないな」ということ。
 くだらない、と\は目を閉じる。
 3年ぶりに見たカイトは、記憶の中のカイトと違っていた。背が高くて、手のひらが大きくて、日に焼けたレモン色の肌をしていて、優しい目をしていたカイト。いつからあんなに痩せしまったの? どうしてそんなに青白い顔をしているの。「どうして写真から私を切り取ったの」、本当はそんな事どうだってよかった。なのに限界まで追い詰められていたカイトを、さらに責めることしかできなかった。
「(またハルトを傷つけた私を、カイトは今度こそ許さない)」
 だから、このままでいい。
 そう言い聞かせて目を開ければ、すっかり日の沈んだ暗闇が目の前に垂れ込めていた。\はもう一度だけVの顔に視線を向ける。
「V、……2人の兄様はこの世界に残らないといけない。だけどもう少ししたら、私は一緒にいてあげられるからね」


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