『ladies and gentleman! そしてデュエリストの皆さん、パーティーをエンジョイしてますか〜〜?!』

 会場内でスポットライトを浴びるMr.ハートランド。その高らかな声と暗転した会場を隠れ蓑に、\は人混みへと逃げ込んだ。カイトも会場に駆け込むが、派手な演出のライトとMr.ハートランドの巨大なARビジョンに遮られて、\の姿を見つけることができない。
「カイト、何をそんなに慌てて」
 少し遅れて追いついたドロワが話しかけても、パーティーの喧騒に紛れてカイトの耳には届いていないようだった。人をかき分けて進んでいくカイトを、ドロワがまた追いかける。

 は、は、と浅く短くなっていく呼吸に、目眩と脈拍が視界を蝕んでいく。人を押しのけてしまっても「ごめんなさい」と言う余裕なんてない。やっと少し人の塊から抜けたところで、\は腕を掴まれた。
「───ッ !!!」
「オイ、どうした」
 機嫌の悪そうなWが、いろんな色のライトに照らされてそこにいた。
 蒼白で涙のあふれた\に、はっとしたWが腕を引いて隅の窓際へと連れ出す。幸いにもメインイベンターに注目集まる中、一番後方のライトが届かないところは比較的人の目を気にしないで済む。Wは\を隠すように壁へ押しやると、その体で覆った。
「どうした、何があった」
 静かな低い声、真っ直ぐに覗く目。それでも心臓は少しも落ち着かない。それどころか、何がなんなのか説明しようとしても混乱するばかりで、後から後から嗚咽が迫り、息が詰まる。
『デュエルカーニバルもいよいよ明日から、決勝大会!』
 スピーカー越しに響くMr.ハートランドの声。揺らぎ続ける視界、困惑した顔のW。その肩越しに、人をかき分けて出てきたカイトが見えた。
「ッ、は、」
 深く吸ったが最後、声にも吐息にもならない叫びが体を貫く。

 ───『その女はもう用済みだ。……デュエリストとして使う価値もない』
 ───『私があのとき言ったのはね、』

 ───『さぁカイト、その新しい力でNo.ナンバーズを倒すのだ』
 ───『許してくれとは言わない。俺は地獄に落ちる。天国に行くお前とは、もう二度と会えない』

 ───『なぜだ、なぜだトロン!!!』
 ───『姉さんが居なくなってから、兄さんは笑わなくなった』
 ───『\!!! テメェもWも許さねえ!!!』

 ───『どうして、カイトに会いたい。カイトに会わせて』
 早く私を殺して。


 ブツリ、と会場の照明が全て落ちた。場内が騒がしくなる中、子供の高らかな笑い声が響き渡る。Wと\を見つけたと思った矢先に見失い、カイトは唇を噛んであたりを見回す。
「アハハハ、ハハハハハハ!!!」
 スポットライトに照らされたトロンに、誰もが視線を注いだ。ケラケラと笑いながらホールを縦断する不気味な少年に、パーティの参加者たちが道を開ける。
「わぁ、大っきいケーキ。あはは、ふふふふふ」
 道化の繰り人形のようにひょこひょこと歩き、トロンはついにMr.ハートランドのすぐ下の階段までやって来た。
「君は、……」
「僕、トロン。トロンって言うんだよ」

「あれが、トロン……」
 ドロワの背中に冷たいものが落ちる。カイトも壇上に上がったその小さな背中を見上げ、トロンがMr.ハートランドのすぐ足元にまで登っていくのを目で追った。

「おじさん」
 階段を上り詰め、すぐ足元に手をついた小さな少年に「おじさん」と言われ、Mr.ハートランドはつい「え、」と声を詰まらせる。だがすぐに表の顔を引っ張り出し、膝をついてトロンを覗き込んだ。
「なんだい、……どうしたのかな?」
「おじさん、あなた達のこと、……ぶっ潰してあげる」
 幼い声がピンと張り詰めた。Mr.ハートランドが言葉を返す間もなく、トロンはまた子供のようにケラケラと笑って階段を降り、壇上の柵に飛び乗って会場を見渡す。
「フフフ、あははは、……ねぇ、そこのお兄ちゃん」
 その目が捕らえたのは、遊馬だった。遊馬も自分を呼ばれていると気付くが、反応を返せない。
「決勝で会おうね」
 それだけ言うと、トロンは違う方へ首を向ける。誰もその目に写っているものは見えていない。……いや、見られている方は気付いている。
『……私のことが、見えているのだな』
 そう目を細めたアストラルに、トロンは笑って応えた。その笑い声は大きくなり、会場の全てを包み込む。やがてスポットライトが消えて静まり返った会場に全照明が点灯すると、もうそこにトロンの姿はなかった。

「き、消えた……」
 ドロワが呟く声に、カイトもハッとして振り返る。そこにもうWと\の姿はない。だが開け放たれたガラス窓が、カイトを手招きするように軋んでいた。
「カイト、今のは…… カイト?」
 ほんのすぐ前までいたカイトがいない。あたりを見回す、ドロワの不安げなハイヒールの音だけが響く。
「……カイト」



「大丈夫か? オイ、\」
 トロンが会場を混乱させ、隙を作ったまでは計画通り。だが肝心の\が、汗を流して頭を抱えている。
「(マズイ、いや落ち着け、まずは\だ。結果なんてあとで俺がどうにかすればいい!)」
 混乱に乗じてWは会場を飛び出し、人気のない森林庭園に隠れ潜んだ。
 木の幹を背に座り込む\は、明らかに様子がおかしい。こんなこと今まで一度もなかった。Xなら原因に心当たりがあるかもしれない。だがXを呼べば、命令をこなせなかったことがトロンにバレる。
「\、しっかりしろ、一体何が───」
 行かなきゃ、Wが呼んでいる。

 ───『いやだ、姉さん、かえらないで』
 ハッと顔を上げると、初夏の日差しが一面を青く光らせる草原が広がっていた。赤い屋根の家の横、大きな木から吊るされたブランコに、幼いハルトが座っている。
「……ハルト」
『兄さんだって、姉さんといっしょがいいでしょ』
 そう言われて、困ったように笑うカイトと目が合った。自分の座り込んだ膝を見れば、ひどく懐かしいお気に入りのワンピースの裾が草原の上に広がっている。
 ハルトが落ちないように後ろから手を重ねて握る、ブランコのロープ。遠くでざわめく森の木々の梢。左手を顔にやれば、いくら撫でても火傷痕の感触がない。
『なまえ?』
 呼ばれて目線を向ければ、ハルトと笑い合っていたカイトが優しく微笑みかけた。
『カイト様、ハルト様、なまえ様、ドウゾ、目線ヲオイラノ方ニ』
 あぁ、そうだ。あの写真を撮ったのは、───

 ───『姉さま、いやだ、僕も一緒に行く』
 石畳の冷たい街並み。お気に入りだったスカートを掴んでいたミハエルの小さな白い手が、知らない大人の手で引き剥がされる。
『なまえ、兄さん……! なまえ!!!』
 泣きながらずっとこちらを見つめて、引き摺られていくミハエルとトーマス。足元には小さなトランクがひとつ。スカートの裾やブラウスの襟に染みた、ミハエルとトーマスの涙が、木枯らしに吹かれて冷めていく。
 ぽん、と頭に乗せられた手に肩が跳ねた。恐る恐る見上げた先で、クリスが泣きそうな顔を堪えて微笑む。
『安心しなさい。父さんに代わって、君のことも私が必ず守ってあげよう』
 違う。兄様は、本当は───

「\!!!」

 湿った土の、緑色の匂い。肩を掴んで覗き込むWの焦燥感漂う顔。二、三度ゆっくりまばたきをしたあと、\はWの目を見つめたまま唇を開いた。
「トーマス」
「……!」
 突然口にされた自分の名前にWが怯む。「あれ、」と口にした\が、首をあちこちに向けてから肩に乗ったWの手を取る。
「ここは」
「会場の外だ。……つっても、敷地の中だがな。いったい何があった」
 なんだっけ。なにか、色々思い出してた気がする。だけど、何か一番大切なことが抜け落ちていた、ような。
 曖昧な答えしか思い浮かばない中で、カイトとドロワの背中を思い出した。
「あ、……」
 ドッと胸を叩く心臓に喉が鳴る。今までにないほどのどうしようもない感情が、また\の背中へ寄り添った。寄り添うなんて生易しいものではない。背負うにはあまりにも重く、あまりにも冷ややか。
 黙り込んだ\に、眉を顰めたWが背中を摩ってやった。少し落ち着いたのか、\は木の幹に手をついて立ち上がる。
 土にめり込むハイヒールの感触にため息をついて、\は言葉を選びながら髪を治す。
「……私以外に、カイトのこと好きになった女がいた」
「は?」
「あれって新しい彼女かな」
 あれだけパニックを起こしておいて、いまWの目の前にいる\はいつもの淡々とした\に見えた。もちろん他人からはそう見えるというだけで、Wは\がいま内心で凄まじい格闘を繰り広げていることを知っている。
 だがWにこの返事を出すことはできなかった。「そんなわけないだろ」と言えば、カイトがまだ\を好きでいるかもしれない、というのを肯定することにつながる。かといって「そうかもな」と言えば、カイトが\を忘れたことを肯定することになる。Wからしたら後者の点については別に構わないのだが、自分の最愛の女をそう簡単に忘れられるのは癪に触る。
 そんなことより、こんな時にまでカイトの話題を出した\にWは舌打ちして苛立ちを露わにした。何らかのショックを受けて過呼吸とパニックを起こした\を連れ出し、落ち着かせてやったと言うのに、\自身はそれを全く覚えていないような素振り。
「\、今はそんなことより───」

 パキ、と小枝を踏む音が響く。Wが振り向いた先にワンテンポ遅れて\も顔を上げた。僅かな月明かりが差す森の中を真っ直ぐこちらに進んでくる影。
 カイトの冷たい青い目が、\を捉えて煌めいた。


- 29 -

*前次#


back top