「テメェ、カイト……」
 少し上擦ったWの声がするだけで、\もカイトも互いを見合うだけで声一つ出さない。Wが\を庇うように後ろ手で遮るが、\はその肘を退けて歩み出た。
「おい、───」
 引き留めるWの手をすり抜けて、\は引き寄せられるようにフラフラとカイトに歩み寄っていく。やがてお互いに手を伸ばして指先が触れるか触れないかくらいの、絶妙な距離で立ち止まった。
 Wは\がどんな顔をしているのかさえ見えない。それは2人も同じ。\がカイトの顔から何も読み取ることができないように、カイトもまた\から何も読み取ることが出来なかった。唯一互いに知り得る事といえば、もう昔のような、和やかな目をしていないことだけ。
「……\」
 \。そう呼んだカイトの目は鋭く、冷たかった。だが向けられた目がどんなものであれ、\の心はどうしようもなく昂ぶり、口元が綻ぶ。ニッと歪んだ\の顔を前にして、カイトは体が少し強張らせた。
 \がいまのカイトに探すのは、別の女の影ばかり。
 カイトと向き合う\の背中を眺めるだけで、高鳴る心臓がWの視界を一定のリズムで揺らす。目眩がするほどの苛立ち、吐き気がするほどの動悸、静かすぎる森は風ひとつなく、耳鳴りが頭を締め上げる。
 また黙って眺めているだけなのか? Wは自分に問う。その答えを思い浮かべるよりも先に、手を伸ばしていた。
「……ッ \になんの用だ、カイト!」
 大股で\に歩み寄って腕を引くなり、反対の肩も掴んで、Wは\を抱くように引き寄せる。視界の端で\の顔がこちらを向いているのに気付いていながら、カイトと睨み合う目は決して逸らさない。抑えきれない苛立ち、むしろ罰を与えるくらいの感情で手に力が入り、袖越しにも\の腕が軋んだ。
「どけ。一度敗北したヤツに、用はない」
「テメェ……」
「W」
 手の中で\の肩が動き、自由な方の手がWの胸を押す。カイトを睨んだまま\へ顔を向けないWに、\はWの胸を軽くタップし、もう一度呼ぶ。
「W」
 やっとWの手が緩み、\はWの腕に手を這わせて離させた。それでも頑なにこちらを向かないWにざわめく胸を、いまはそれを苛立ちと捉えるしかできない。
「ねぇ、邪魔するなら帰って」
「……」
 カイトを睨むWの横顔が顰められる。暫くの沈黙のあと、Wがやっと折れ、「チッ」と吐き捨てて\から離れた。後方に戻っていくWの背中を見送れば、Wはあからさまに機嫌を悪くした顔で腕を組み、木に寄りかかる。
 一度昂ぶった感情から冷静さを取り戻せただけ、Wがいた価値はあった。そう考え直して\はため息をつく。視界の右端でこちらを見つめるカイトの視線を感じながら、火傷痕の広がる左側の顔を向けるのを躊躇う自分がいる。カイトが好きな気持ち、カイトを前にすることで、自分に残った女の子らしい部分が蘇るのを、\は改めて認めるほかなかった。
 なら、そんな昔の自分ごと、カイトの存在を消してしまえばいい。
 \の手に、写真を破り捨てた感触が蘇る。……2人で持っていた同じ写真、カイトもあの写真にハサミを入れていた。いつ自分を切り取ったかなど、さしたる問題ではない。彼は私と再会する前から、私を“整理”し、訣別していた。その事実だけで、もう充分。
 ぼうっとWを見つめていた\が静かに目を閉じて、カイトに振り向いた。Wからはもう彼女の顔が見えないし、見たくもない。かといって帰る気にもなれない。しくしくと痛む目頭をいっそう顰め、Wは固く結んだ唇の奥で骨が軋むほど食いしばる。
「やっとゆっくり話せるね」
 Wが邪魔だけど、と付け足した\の背中にWが「ケッ」とあからさまな反応を返す。そんな2人を前に、カイトはいつもと何ら変わった様子もなく、“すました顔”でじっと\の目を見つめた。
「俺はいまさら、お前と思い出話しをする気も、過去のことを弁明するつもりもない。俺が知りたいことはただひとつ。……お前もハルトを傷つけたのか?」
「……」
 重そうなまぶたを落として目を細める\の、「聞くまでもないでしょう」とでも言うような沈黙。目を伏せるでも逸らすでもせず、じっと目を合わせたままの\に、カイトは噤んでいた唇を少し開くが、すぐにまた噛んで震わせた。
「なぜだ、お前がハルトを傷つけるはずがない。お前は───ッ」
「カイト」
 言葉を遮った\に、カイトの肩が揺れる。
「私は最初からハルトを傷つけ、苦しめる側だった。私は、何も変わってない」
「\、……」


 スタッフから追いかけ回された徳之助に巻き込まれ、会場から飛び出す事となった遊馬たち一向が森を駆け抜ける。
 脇目もふらず走り去った徳之助やキャシー、等々力、鉄男、小鳥…… その最後尾を追いかけていた遊馬が、視界の端に佇むカイトの背中を見つけて足を止めた。すぐにアストラルもカイトに気付き、木々の向こうへ視線を向ける。
「遊馬?」
 森を抜けて行ってしまった仲間たちの背中はもう見えない。小鳥だけが小走りで戻ってきて、遊馬の見つめる先にカイトを見つけた。
 フッと笑った遊馬が、森の中へと足を踏み入れる。
「カイト!」
 数歩進んですぐ、木々に隠れていた人影が露わになり、遊馬の顔が強張った。

 底抜けに明るい声が3人の目を引きつける。咄嗟に小鳥を背中に隠した遊馬を見て、\が目を細めた。
「W……! それにお前は\!!!」
 木に背中を預けていたWが「ケッ」と吐き捨て、\もため息混じりに垂れた髪を耳に掛け直す。
「お前ら、まさかまたカイトを狙って!」
「……すっかり悪者扱いね」
 嫌味ったらしい\の言い方にWも顔を顰めるが、すぐに笑って\に目を向けた。
「邪魔が入って残念だったな\。だがタッグデュエルのメンツが揃うなんて好都合じゃねえか。……Vの弔い合戦といこうぜ」
 好戦的なWの挑発に誰も乗る気はないらしい。\はWに目を向けるでもなく、小さく鼻で笑った。
「一度負けたWに出る幕はない。引っ込んでて」
 テメェ、と静かに声を震わせたWをよそに、遊馬が青ざめる。
「ま、待てよ、弔いって、……Vはどうしたんだよ!」
「……」「……」
 Wは舌打ちして遊馬を睨むだけで何も答えず、\もカイトをじっと見つめたまま動かない。沈黙のうちにその答えを察した遊馬が、「まさか」とこぼす。肩を落とした遊馬に、小鳥は伸ばしかけた手を握って俯く。
「……ッ 復讐だか何だか知らねぇけど、お前らはVを犠牲にしてなんとも思わねのか?! 弟じゃねえのかよ?! 俺は、……!」
 Vとのデュエル、その勝敗を決した後の最後の会話。悲しそうに微笑むVの顔が、遊馬に振り向いた。
 ───『君は、ありのままの僕を認めてくれた。君は僕の、最初で最後の友達だ。……遊馬、お願いがある。僕の家族を、救ってくれないか?』
「俺はVと約束した。俺はアイツから、家族を救ってくれって頼まれたんだ! だから、」
「だから、……なんだよ。ガキが、思い上がるんじゃねぇ!!!」
「W」
 遊馬に手を上げかねないWを\が諫めた。それでも遊馬とWの間で弾ける火花は散り際を掴めない。
「Vは復讐なんて望んでなかった! ただお前らに、優しい兄ちゃんと姉ちゃんに戻って欲しかっただけなんだ!!! どうして復讐なんか!!!」
「遊馬!」
 言葉を遮ったのはカイトだった。冷たくも、どこかぼんやりとした\と睨み合ったまま、カイトは手を握り締める。
「お前は関係ない。これ以上、俺たちに首を突っ込むな」
「カイト、……」
 どこか悲しげな遊馬の声に、\がフッと笑って、やっと遊馬に顔を向けた。
「九十九遊馬、……そう。Vと友達になってくれたのね」
「え、あ……」
 そう微笑んだ\の目は、カイトや遊馬に冷たく映った。その本心を見抜いたのは、意外にも小鳥だけ。
「(このひと、……)」
『遊馬、一度勝っているとはいえ、Wは強敵。彼女の実力も不明だが、相当なものだと見込んだ方がいい。用心しろ』
「分かってるぜ、アストラル……」
 そこへ裾を握ってきた小鳥に遊馬が振り返る。痛ましいものでも見るかのようなその表情にハッとする頃には、\はもう元の通りカイトと睨み合っていて、遊馬に確かめる術はない。
「カイトにVまで、私の知らないところで新しいお友達ができていて良かった。ねぇカイト」
「……」
「ついでに教えてよ。……ハルトに“新しいお姉さん”はできた?」
「どういう意味だ」
 あまりに不愉快そうな顔をしたカイトを見て心が騒めく。もうずっと悟られないように平静を装っているのも、限界に近い。
「そのままの意味だけど」
 一歩踏み出したところで、Wの声にならない声が\の背中に降りかかる。
 また一歩と踏み出すたびに落ち葉や小枝が音を立て、柔らかい土にハイヒールが沈み込む。蛇に睨まれた小動物のように硬直して動けないカイトに少しずつ歩み寄れば、踵が高い分だけ背を越した\が、月明かりを遮って微笑んだ。
「私がいなくなったあと、慰めてくれる人くらい居たんでしょ?」
 小さく笑う唇に目が釘付けになっているカイトを眺め、昂ぶる感情のまま\は歯列ごと唇を舐め摺りした口を開く。
 襟を掴んで引き寄せても、カイトがその手を振り払ってくることはなかった。拒まれないことをいいことに、\は襟を離し、呆然と自分を見つめるカイトの顔に手を運ぶ。
「教えてよ、大人になった、カイトのこと」
 もう少しでカイトの首に触れられる。その脈拍を知りたい。

 カイトと\、空気を切る音に反応したのは同時だった。それでも逃れる術なく、あと少しでカイトに触れそうだった\の右手首は赤い縄状の光に絡め取られ、カイトから引き剥がされる。
「!!!」「\?!」
 一瞬遅れてWが身を乗り出すが、\は苛立たしげに右腕へ繋がれた先を睨む。
「デュエルアンカーなら、アンタも知ってるんだろう?」
 小枝や落ち葉を踏みしめる足音、柔らかい土にとられたヒール。アンカーを軋ませた白いスーツの女は、月明かりに照らされて眼光鋭く\を睨み返す。キャタピラをキュルキュル鳴らすオービタル7を付き従えたドロワに、カイトも目を丸くした。
「あなたは……」
「ドロワ、オービタル?!」
 「ドロワ」と口にしたカイトを横目に一瞥すると、共認識した途端にデュエルアンカーが消える。だが、決着がつくまで離れることはできない。
 彼女の正面を見るのは初めてだったが、忘れもしない。
 ───『私はただ、カイトのことが……』
 バルコニーで見た後ろ姿、少し低い凛とした声、何より、カイトを見るあの目。
「あの時の」
 ス、と目を細めた\にドロワが立ちはだかる。

「カイトに挑むなら、まずは私を倒してからにしてもらおう!」



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