「どういうつもりだ、オービタル」
「エエッ イヤ、アノ、コレハ、ソノ……!!!」
 ドロワの影に隠れて慌てふためくオービタル7に、\が目を細める。
「私がオービタルにカイトの位置を探させた」
「余計なことを」
 さも当然と言わんばかりに腕を組むドロワに、カイトが悪態をつく。
「カイト、決勝前の私闘というだけで失権物だぞ。私はこれでも元WDC運営委員だ。見逃すわけにはいかない。……それに、決勝を前にして、無駄なダメージを受けるのか?」
「……ッ ドロワ」
 デュエルアンカーの性質はカイトもWもよく理解している。だからこそカイトは焦り、Wも面倒になった状況に舌打ちした。
「\、俺たちの目的はカイトだ。油を売ってる余裕は───」
 \へと視線を向けた途端、Wは勝手に口を閉ざした。明らかに苛立っている、そう感じ取った本能が、「放っておいた方がいい」と判断したのだ。
「……ッ チッ、好きにしろ」

 ただ黙って佇むだけの\に、ドロワは固唾を飲む。間違いなく彼女もトロンの配下。Wと同様であるならば、彼女も間違いなくNo.ナンバーズを持っているはず。
「(それでも私が勝つ……!!! カイトのために───)」
「カイトのために闘うの?」
 心を見透かされたような言葉にドロワの喉が一瞬引き攣った。しかしドロワが思うようなものではないらしい。目の前の\は、本当に訝しんだような目でドロワを見つめている。
「……貴様はカイトに近付きすぎた。決勝前の私闘及びデュエリスト間での執拗な干渉は失権に値する。私は元大会運営委員として、この場でお前から参加権を剥奪してやるさ」
「へえ、建前だけはご立派ね」
 冷ややかな目を細めると、垂れた髪を耳にかけ直しながらカイトに振り向く。\が真っ直ぐに見つめれば、カイトは目を逸らした。それだけで、\は「あぁ、カイトはこの女から向けられてる感情に気が付いてる」と察する。……じゃなきゃ、目を逸らしたりしないから。
 視界の端で、ずっとこちらを観察し続けるオービタル7に気付き、\が目を向けた。
「オービタルも久しぶりだってのに、随分と静かね。私と喋らないよう、カイトにロックでも掛けられた?」
「カイト様……」
 \に返事をするでもなく、困ったようにカイトへ伺いを立てるオービタル7に、ドロワが訝しむ。カイトも諦めたように顔を伏せた。
「結果を報告しろ、オービタル」
 結果? と誰もが首を傾げる中で、カイトとオービタル、そして\の当事者達だけが平然としている。オービタルからしばらく思考・計算をする電子音が鳴ったあと、意を結したように首を上げた。
「念のため女性の平均成長予測を現在のお顔と照合シマシタガ、何より声紋と、お写真に残された指紋が完全に一致。このお方は間違いなくなまえ様でアリマス。……カイト様とハルト様、そしてなまえ様が、オイラのご主人。そのオイラが、間違えるはずないでアリマス」
「……フッ カイトったら、まだ私が偽物か疑ってたのね。……まぁ無理もないか」
 左の顔を撫でながら「こんな顔じゃあね」、と自嘲する\に、Wやカイトが嫌悪感を露わにする。
「俺はそんなつもりじゃ、……」
「私が死んだと思って、オービタルのプログラムからマスターのデータも消し忘れるなんて。ちょっと油断しすぎじゃない?」
「オ、オイラはカイト様となまえ様に作って頂いたロボット! たとえカイト様がオイラからマスター認識プログラムを解除なさっても、オイラはなまえ様のデータを忘れないでアリマス!」
「へぇ、オービタルも随分と人間らしいAIに成長したのね」
 のらりくらりと躱してはチクチクと棘を刺してくる\に、カイトは「いま何を言っても無駄だ」と察して口を閉ざす。

「カイトとハルトの他に、主人がいただと……? やはりお前は、カイトの身内」
「身内?」
 は? と言った顔を傾げる\に、ドロワが一瞬怯む。
「そ、そうだ。ハルトは\を姉ちゃんって呼んでたじゃねぇか。なのにVとWも兄弟って、どう言うことだよ」
 遊馬の態度で察したのか、\はわざとらしく指で唇に触れてカイトに顔を向けた。
「もしかしてカイト、ハルトが私のこと“姉さん”って呼ぶ理由、この人たちに教えてあげなかったの?」
 \とドロワ、そのどちらにも目を向けられないカイトがなんとも言えない顔を背けると、ハッとしたドロワが、そのまま呆然とカイトを見つめ、一歩、二歩と足が下がる。その様子を嘲笑うように目を細めて、\は喉の奥で笑った。
「ンッフフフ、……どうしたの? まさかカイトが、今まで誰とも恋をしてこなかったとでも思った?」
 顔を背けたまま否定も肯定もしないカイトだったが、それでも2人の関係を察したドロワに衝撃が走る。ただ1人、Wだけは面白くなさそうに舌打ちした。
「まぁ今ので、ほとんど理解できたよね」
「カイト、……まさか、この女、」

「は? どう言うことだよ……」
 もう1人、状況を理解できない遊馬が頭を捻る。そんな遊馬に小鳥がどついて、「もぉ、鈍感なんだから!」と叱咤した。
 そんな外野に目配せしながら、\はクスクスと笑ってドロワに真っ直ぐ目を向ける。

「私とカイトは恋人だった。お互いのお父様たちに、将来の結婚まで許されるほどね」

「俺は認めなかったがな」
「……」
 横入れしてきたWに、\だけでなくカイトや遊馬たちの視線まで集中する。居心地が悪くなったのか「ケッ」と吐き捨てて誤魔化すWに、\が鼻で笑った。
「そうね、Wの言うことを聞いてれば良かった。安心しなよ、カイトは私のことなんて本気じゃなかったんだから」
「違う、なまえ、俺は───ッ」
「黙ってなよカイト、人前で未練たらしい言い訳でもするつもり?」
 カイトには目もくれず、呆然とするドロワを見てクスクスと笑い続ける\。
「カイトの過去や、どんな男かも知らずに恋をするなんて。ねぇ、あなたはカイトのどこを好きになった?」
「な、」
 突然のことに狼狽えだすドロワを見て、\はにこりと微笑む。
「愛しちゃったんでしょ? 分かるのよ、私と同じ目をしてたもの。……あれ? カイトにはまだ伝えてなかった?」
「……き、キサマ!」
「アッハハ、だめよ、恥ずかしがることないわ。ちゃんと言ってあげなきゃ。いま言わないと、二度と伝えられなくなっちゃうよ。……フフ、」
 あっははは、と堪えきれず笑い出した\に、ドロワが震える手を握り締める。\を睨目ば、こちらを見ているカイトが視界に入った。思わず顔を俯かせれば、思惑通りと言わんばかりに\の笑い声がドロワを嘲る。
 あー、どうしよう、イライラする。自分の中の嫉妬の悪魔がもっとやれと耳元で囁く。知らない女がカイトと近しいところにいる、それだけで目眩がするほど気持ちが悪い。早く擦り潰さなきゃ。
 \は喉の奥で笑いを堪えながら、今度はカイトに振り向いて捲し立てた。
「ねぇ、本当はカイトだって気付いてたんでしょ、この女の気持ち。どうして応えてあげなかったの? 嘘でもキスくらいしてあげればよかったじゃない。私の時みたいにさぁ」
「……ッ いい加減に───ッ」
「そうだ、いいこと思いついた! ねぇカイト、ひとつ賭けをしようよ」
 挑発的な声に言葉を遮られ、カイトは再び閉口した。そんなカイトに\は小さく笑い、ドロワを一瞥する。
「あの女が私に勝てたら、カイトからのキスをプレゼント」
「な、……ッ」
 思わず顔を赤くしたドロワや小鳥とは対照的に、指名された当のカイトはすこぶる機嫌を損ねたような顔を顰めた。心外だとでも言うような目で、「どういうつもりだ」と低く脅す。
「逆に、あの女が私に勝てなかったら」
 子供のように笑っていた\が、手を広げた途端に悪魔の顔で笑う。
「カイトへの愛情は全部、私があの女の魂ごと奪う」
 弧を描く唇を撫でる\の左手に、紋章の鋭い光が浮かび上がる。自分が彼女にしたことを再現するつもりだと察したカイトの顔がサッと青ざめるが、カイトはドロワを引き止めさせる言葉を選べない。
「どう? これで本気になれるでしょ? 愛を賭けて私と闘う。……証明して見せてよ、あなたの愛が本物だって!!!」
 もう何も口出しする気のなくなったWが、ドロワに振り返った\の横顔を見つめていた。同情するような小鳥の目や、敵意のある遊馬からの視線。ドロワは俯いたままで微動だにしない。\が「フッ」と鼻で笑って目を伏せたところで、ドロワがポツリと口を開いた。

「そうか」
 静かなドロワの声に\が向き直る。
「随分と“いい女”を恋人に持っていたんだな、カイト」
 背筋を伸ばして顔を上げたドロワの顔は、あまりにも美しかった。凛としていて、覚悟の決まった目が静かに瞬きすれば、ゆっくりと微笑む。
「だが、少々高くつき過ぎていたようだ」
「あ?」
 ピクリと瞼を動かした\に、ドロワは手を握り締めた。思い出すのは、いつも見つめていたカイトの横顔、カイトの背中。ハルトを前にしてどこか悲しげに笑う、孤独で傷ついた彼の姿。
「\、と言ったな。その程度のことで私に揺さぶりをかけたつもりか?」
「……!」
「そうよ。……私はカイトを愛している」
 真っ直ぐな目で\にそう言い放ったドロワに、思わず\が後退りした。そんな気圧されてしまった自分にハッとして、\はぐっとドロワを睨む。
「カイトは、夢も希望も無くした中でも、誰かを守るという強さを、私に見せて、示してくれた。……その時から私は決めたんだ。カイトがハルトを守るように、私はカイトを守りたい。全てを犠牲にしてでも、誰にも縋らずに、私1人で。貴様がカイトの何であろうと関係ない!!! 貴様がカイトに危害を加えるつもりだと言うのなら、私がこの身を賭してでもカイトを守る!!!」
 少しも曇りのない目のドロワ。ドクドクと勝手に鼓動が高鳴り、\はカイトの方を見れない。震え出す手を握っても堪えきれず、右の手を左の手で包んで胸に抱いた。
 そんな\の青ざめた横顔にWも動揺を隠せない。だが声をかけることもできず、\の向こうに立つカイトに目を向ける。その顔に、Wは答えを察して咄嗟に顔を背けた。
「ば、馬鹿じゃないの?! カイトは誰かにかける情なんか持ち合わせてないし、感謝どころか振り返りもしない」
「構わないさ、それで。最初からわかっていたことだ、私はカイトに見返りを求めてたわけではない。カイトの笑顔はハルトのためのもの。でも、その笑顔はとても悲しく見えて、……私はそれが悲しかった。私はカイトに、本当の笑顔を取り戻してもらいたいだけ。たとえ、その笑顔が私に向けられなくても」
「は、ははは…… そう、無償の愛ってわけ」
 自分でも分かってる。カイトもWも、きっといま私とドロワを比べてる。美しいのは彼女の方。真っ直ぐな心で、曇りのない目で、真剣にカイトを愛してる。もう嫌だ、醜くなった私が、カイトの前でどんどん浮き彫りにされていく。
「……あぁ、もう嫌だ。あなたと喋り続ける分だけ、カイトも、Wも、どんどん私を嫌いになっていく」
 俯いてブツブツと静かに呟きながら、震える手でデュエルパッドを取り出す\に、ドロワも身構える。
「この世に無償のものなど存在しないし、人間は天使にも聖人にもなれない。そうなろうとすれば、あなたも私のように罰を受ける。心から愛して、色々なものを与え、自分を犠牲にればするほど、身も心も醜くなっていくの」
 思わず髪の上から左の顔を覆った\の揺らぐ右目に、ドロワや遊馬が息を飲み、小鳥は思わず目を瞑る。視界の両端ではWが俯き、カイトも顔を背けた。
「教えてあげるよ。私は自らの意思で右手を砕き、この身に炎を浴びた。愛した人のためになると思ったからよ。……だけど、私は結局2人を傷つけることしかできなかった。ドロワ、だっけ? そこのお嬢さんも、」
 突然目を向けられた小鳥の肩が跳ねる。
「覚えておきな。……自分が人のために痛みを負った分だけ、その人は自分のために苦しむことになる。その動機が欲望のない、純粋な気持ちであればあるほど、ね。無償の愛なんてただの思い上がり。見返りを求めないことこそが一番の暴力で、最も大きな罪」
 ふふ、と笑う\に、ドロワもデュエルパッドを取り出した。張り詰めた空気の中で、お互いの信念と命を賭けた決闘デュエルが始まる。

「それでもあなたの愛の方が本物だって証明したいなら、私を倒すしか方法はない。……さぁドロワ、カイトを殺すためだけに戻ってきた化け物わたしから、カイトを守り切ってみせてよ!!! 命を賭けあってさぁ!!!」



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