絶え間なく注がれる熱いシャワーを呆然と浴びながら、身体を流れ落ちていくお湯や、それに沿って垂れる髪をぼんやりと眺めていた。
「……オエッ」

 ゲホゲホ、と咳き込む粘着質な音が、シャワーの音に紛れて響く。そんな情け無い吐瀉音を上げるWの嗚咽を、バスルーム前の廊下の壁に背中を預けた\が聞いていた。
「……」
 聞き耳を立てていたと知ればWのプライドを傷付ける。
 \は静かにため息をつくと、足音を立てないようにその場を離れていった。



 ───『ド、ドロワ!!? おい?!』
 手を離したわけでもないのに、ドロワは\の手からすり抜けてその場に崩れ落ちた。遊馬が駆け寄って抱き起こすのを眺める\の手には、2枚の《フォトン》モンスターエクシーズのカードが握られている。
『テメェ、何しやがった?!』
『……カイトがNo.ナンバーズを狩り獲るのと、同じことをしただけよ』
 さも当たり前かのように言葉を返した\に、遊馬や小鳥が絶句したまま\を見上げれば、\はフッと笑ってその2枚のカードを掲げた。
『まあ、私たちの“紋章”の力は、カイト達の“フォトン”の力と違って、魂の全てを奪うことはできない。……私達が奪えるのは記憶や感情。私はドロワの、カイトに関する感情と愛情の記憶、……魂の一部である“心”を奪っただけ』
 喋りながらカードを眺める\。その後ろでカイトとWが口を閉ざしたまま微動だにせず、ただ\の背中を見つめている。

『(これがDr.フェイカーが開発した、《フォトン》カードの一部。……もう長居する必要もない)』
 やっと振り返った\にカイトが息を飲むも、その視線はWにしか向けられていなかった。あれだけ執着心を見せておいて、\はまるで眼中にでもないかのようにカイトを一瞥だすらせず、Wの方へと歩き出す。
『帰りましょ』
 Wを過ぎ去りざまにそれだけ言い、\はカードをポケットに仕舞い込む。
『待て……!』
 Wが\のあとを追おうと踵を返したところでカイトが引き止める。足を止めた\に自然とWも足が止まった。しかしカイトに目を向けようともしない\の代わりとでも言うように、Wの方がカイトに振り返る。
『……お前は、お前たちは本当に、俺と闘うつもりなんだな』
『……』
 背を向けたまま決して顔を見せない\に、カイトが静かに目を閉じる。
『俺はお前に、もう“何故だ”とは聞かない。お前にその覚悟があるのなら、次に会う時は容赦なく相手になってやる。……俺にとっての“なまえ・アークライト”は、3年前に死んだ』
 ミシ、とWの手の骨が軋む。次にはもう駆け寄ったWが、カイトの胸ぐらを掴んでいた。
『……!』『ッ!!!』
 制止する間もなかった\がついWを目で追い、カイトと目を合わせてしまった。カイトもその顔を見るなり眉間を寄せたが、視界はすぐ怒りが爆発したWの顔に占領される。

『\が悪かったとでも言いてぇのか?! あァ??! 死んだだと? 寝言いってんじゃねぇ、テメェが殺したんだろ!!! カイト、4年近くもの間、テメェにアイツを奪われてた俺の気持ちが分かるか? ハルトに姉を奪われてたVの気持ちが分かるか?!』
 震える手に掴まれていた襟ぐりを、突然さらに引き寄せられて、カイトはWの瞳のさらに奥を覗く。カイトにしか聞こえない声で、Wはやり切れない思いを零した。

『せっかく目覚めたなまえから、テメェを取り上げる事しか出来なかった、俺たち兄弟の気持ちが分かるか?』

『……!』
『分かるわけねぇよなァ!? 甘やかされてたテメェなんかに。\はなぁ、生きてんだよ。それを喜べないお前の方が化け物なんじゃねえのか?!!!』

 ついにWが拳を振り上げた瞬間、セキュリティの警笛が森に鳴り響いた。少し離れた森の間から、照明灯や赤く点滅するランプが行き交う。
『ドロワ! どこだ、返事をしろ!』
『あれは、ゴーシュ!』
 ドロワを介抱していた遊馬が声を上げ、セキュリティスタッフ達が一斉に森へ踏み込んでくる足音が迫る。

『チッ ここまでか』
 咄嗟に怯んだカイトを、Wは力いっぱい地に投げ捨てる。カイトはなんとかその場に転がされることなく堪えたが、揉み合った勢いで首の赤いブローチが飛ぶ。突然走り出したWにカイトが振り向けば、Wは\の腕を掴んで森の暗がりへと駆け込んで行ったあとだった。
 ゴーシュ率いるセキュリティが意識のないドロワを保護し、怒りに震えるゴーシュがカイトと遊馬に当たり散らすのはそのすぐ後のこと。───



「痛ッ───」
 ぼんやりとしたまま歩いていたせいか、何も無いところだというのに\は踏み出した方の足を軽く捻ってしまった。咄嗟に壁に手をついて惨事は免れ、本当に少しだけハイヒールのバランスを踏み外しただけで、痛みも酷くはない。
 壁に手をついて片足立ちし、\は脚を包むブーツの革越しに足首を撫でた。少し回し痛みが弱い事を確認すると、捻った方の足を下ろして、ゆっくりと均一に体重をかける。
 大きな息を吐いてから、何事もなかったかのように自室へとまた歩き始めた。

 絨毯の敷かれた廊下はハイヒールの足音を立てない。角を曲がれば、Vの部屋、その隣の自分の部屋、そしてVと向かい側のWの部屋が並ぶ廊下に続く。
 バスルームのシャワーの音が耳から離れない。その心の反対側で、カイトと走った雨の日の思い出が蘇る。……水の音は嫌い。Wともカイトとも、大切な思い出の中には水の音があるから。

 ───『……俺にとっての“なまえ・アークライト”は3年前に死んだ』

 ───『\は生きてんだよ。それを喜べないお前の方が化け物なんじゃねえのか?!』

 吐きたいのはこっちの方。
 自室のドアノブを握ったところで、\はその手を回す気になれなかった。あと8時間もすれば夜が明ける。朝がくれば、トロンの元へ行かなくてはならない。
 こんな気持ちになるのは2度目だ。でも確信している。……3度目は訪れない、と。
 \はドアノブを回して、自分の部屋へと入っていった。




 ハートランドの会場入り口のベンチで横になれば、アストラルが覗き込んだ。遊馬はなんとなしにポケットを漁って小鳥から渡されたものを取り出すと、街灯の明かりを頼りにそれを眺める。
 ダイヤ型の赤いブローチ。これを小鳥が見つけて拾ったのは、意識のないドロワを連れてゴーシュとカイト達が引き上げていった後のことだった。
 遊馬はずっと気付かなかったが、小鳥とアストラルが「カイトの首にいつもついているものだ」と言うので間違いないだろうと、決勝を共にする遊馬が小鳥から預かって、いまここにある。
「なぁアストラル、この大会で勝ち進んだ先に、オレたちは何を手に入れんのかな」
『……?』
「オレはDr.フェイカーって奴が持ってる父ちゃんの手掛かりと、カイトとの決着が目標だった。だけどそれだけじゃダメな気がするんだ。……なんかこう、うまく言えねぇけど、オレは皆んなと、正々堂々デュエルがしたい。シャークやカイト、V、……オレはデュエルを通して、たくさん友達ができた。シャークとW、カイトと\、あいつらも、いつかきっと分かり合えるはずだって、オレは信じたい」
 ブローチをぐっと握り締めると、遊馬はそれをポケットにねじ込んだ。両の手のひらを枕に目を閉じれば、考え込むアストラルの返事を待たずして寝息を立て始める。そんな遊馬にアストラルが小さく笑うと、ハートランドの城壁を見上げた。
『いつか分かり合える。……そう未来を信じられる力が、遊馬、君の最大の強さだ』



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