「この女がドロワを」
 低く唸るような声に、後ろに並び立つセキュリティチームのスタッフ達が震え上がった。モニターに映された女、───\の姿が、ゴーシュを怒りに燃え上がらせる。その横で、カイトは腕を組んだまま顔を顰めた。
 ドロワのデュエルパッドにキッチリ全て残された、デュエル中の映像と音声。彼女が抜かりない性格だと知ってはいたが、そのデータを消す前にセキュリティにドロワ自身を押さえられ、カイトは情報が漏れるのを阻止することができなかった。
「左の顔に瘢痕か、……ヘッ、覚えやすくて助かるぜ」
「\の目的は俺だ。貴様に出る幕はない」
「うるせぇ!!! テメェの指図は受けねえぜ!!! カイト、そんなこと言って、この女を匿おうなんてノリじゃねぇだろうなァ?」
「……」
「しかしテメェに元カノとはなァ。ハルトを拐った連中と繋がってたとなりゃ、Mr.ハートランドが黙っちゃいねぇ。……テメェもおしまいだな、カイト」
「黙れ。俺の目的は変わらない。No.ナンバーズを持っている者は全員俺の獲物、……言ったはずだ。邪魔をするなら、誰であろうと容赦はしない。貴様も、Mr.ハートランドもな」
「ケッ、今のは聞かなかったノリにしてやるぜ。……おい、データをMr.ハートランドに送れ」
 睨んでいた目線を、カイトから適当にその辺に立っていたスタッフにむければ、その男は「は、ハイ!」と縮こまって操作パネルに向かう。ほんの少しだけそれを目で追ったあと、ゴーシュは思い出したようにもう一度口を開けた。
「待て、……女のデータだけでいい。ドロワとの会話は削除しとけ」
「……!」
 どういうつもりだ、と言う前に、ゴーシュはカイトを見下ろす。
「これでテメェに借り1だ。明日の決勝戦、この女の相手は譲ってもらうぜ?」
「貴様」
「ノリが悪いなァ、カイト。テメェの悪いとこだぜ」
 そう言うだけ言ってゴーシュはモニタールームを出て行った。カイトの後ろで、萎縮していたスタッフ達が少し安堵を見せる。

 がらんとした通路を歩きながら、ゴーシュは“らしくない事”をした自分のノリに頭を掻く。
「(チッ、女ってのはどいつもこいつも……)」
 \という女とドロワの会話。それをMr.ハートランドに提出すれば、確かにカイトの立場を追いやれたかもしれない。だがゴーシュにはそれが出来なかった。……ドロワの、心の吐露まで入っていたからだ。
 ドロワはMr.ハートランドに忠誠を誓い、表向きはそれが全ての行動理由になっていた。だが本当は、全てカイトのための暗躍。もちろんゴーシュもそれに気付いていた。何年も一緒にいたのだから。
 カイトは気に入らない。だが、ドロワを共倒れにさせるくらいなら、カイトに借りを作らせて優位に立つ。ゴーシュにも、それくらいの計算はできるというもの。
 ───『そうよ、私はカイトを……』
 記録データ越しに聞いたドロワの声を、ゴーシュは全て思い出す前に頭を振って掻き消した。
「(らしくねぇノリだぜ)」
 忌々しそうに息を吐けば、もう違う気持ちに切り替えてゴーシュは前を向く。

「(ドロワ、お前の仇は俺が打つ。待ってろよ、あのクソアマ……!!!)」




《 〜♪》
 バスルームから自室へ戻る途中、廊下にまで漏れ聞こえるコロラトゥーラが、Wの足を止めた。
《Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen, To───d und Verzweiflung》───
 スピーカーが音割れするほどの、2オクターブに渡る高音とニ短調、聞き覚えのあるメロディ。
 Wはノックもせず、音が漏れる部屋の扉を開けた。
「おい、\、……」
《mei ne Tochter nimmer mehr─,─,─,─,─,─,─!》
 デュエルパッドにデフォルトで付いているスピーカーの質などタカが知れている。音割れするほどのハイトーンソプラノのオペラ、《Der Hölle Rache kocht in meinem Herzen復讐の炎は、地獄のように我が心に燃え》を流したまま、\はソファに寝転んでいた。
 聞こえてるのか聞こえてないのか、Wが勝手に部屋へ踏み込んでドアを閉めても、\はソファの上で腕を顔に乗せたまま少しも動かない。
 呆れたようにWが歩み寄り、テーブルのパッドへ手を伸ばしたところで、\は口を開いた。
復讐が地獄の炎のように我が心に燃え(Der Holle Rache kocht in meinem Herzen)_、死と絶望が我が身を覆っている(Tod und Verzweiflung flammet um mich her)
「……!」
 気付いてたのかと手を引っ込めれば、\は目元に乗せていた腕を額の方へ転がして、ぼんやりとした目をWに向けた。その目が合った途端に、Wは身動きが取れなくなる。
 誰が歌っているかも分からない、人間離れした夜の女王ソプラノの言葉だけが横たわっていた。
 《Fühlt nicht durch dich Sarastro Todesschmerzen, お前の手で死の苦しみを与えるのだ。それを果たさないというのなら、 So bist du meine Tochter nimmermehr.お前はもはや私の娘ではない
 \の目が、口にした歌詞の続きを訴え続けている。
 ドイツ語を聞き取れずとも、Wにだってこのアリアが何を歌っているかくらいは知っていた。《魔笛》、復讐を望む母親が娘に短剣を授け、呪いをかける場面。
Verstossen sei auf ewig,永遠に勘当されるのだ Verlassen sei auf ewig,永遠に捨てられ、 Zertrümmert sei'n auf ewig 永遠に忘れ去られる。 Alle Bande der Natur. 血肉を分けた全ての繋がりを!
 まるでこちらが歌わされているかのような喉の圧迫感、迫り、脅すようなオーケストラにWの視界が歪む。
《─── Hört, …Hört, Rachegötter聞け、復讐の神々よ……

 パッドのガラス面に\の指が触れた途端、部屋は静寂に包まれた。やっと解放され、Wが思い出したようにハッと息をつく。そんなWに構うことなく、\はソファに転がり直して足を組んだ。
「なにか用?」
 大きくため息をつきながら、\は再び目元に腕を乗せて隠してしまった。突然の静けさに耳鳴りを感じながら、Wは頭に残るメロディとソプラノの声を振り払う。ガウンに濡れた髪。寒さに体を震わせると、Wは腕を組んでソファに寝転んだままの\を見下ろした。
「別に、……うるせえって言いに来ただけだ」
「そう」
 風邪ひく前に部屋に戻ったら? と続けた\に、Wは口を噤んでドアの方へと足を向ける。だが踏み出しかけた片足を引き止めて、何度か重心を変えながら考え込んだあと、決心がついたのか勢いよく\へ振り返った。
「……ッ 明日の儀式は俺が受ける」
「トロンは私以外に力を与えるつもりなんてない」
 きっぱりと言い切られてWは顔を顰めた。Wが何か言い返そうとする前に、\は起き上がってソファに座り、髪に指を通しながらため息をつく。
「これ以上の紋章の力がなくても、Wは凌牙に勝てる。それはX兄様もそう」
「お前は違うのか?」
「……」
「……ッ、カイトが好きならそう言えよ、\」
 震えた声に顔を上げようとしたのと、顎を掴まれて顔を上げさせられるのは同時だった。
「俺に気を遣ってるつもりか? フザケんな。俺は同情されんのが一番ムカつくんだよ! 正直に、……カイトに未練があって倒せねえって言ったらどうだ、\」
 跨るように片膝をソファに乗せ、閉じ込めるように背もたれに片手をつき、頬や首に爪が食い込むほど強く顔を掴むW。その顔は苛立ちに震えていて、不安と、嫌悪と、嫉妬と、ほんの少しの劣等感に歪む。
「分かってんだよ、テメェが本当は───」

 咄嗟に、\の手がWの首に回された。
 がち、と前歯がぶつかり合い、鈍痛にお互いが口を閉ざす。なにをされたのか理解するのに時間を要し、それが分かった途端Wは完成に考えていた事を吹き飛ばして、首まで赤く染めた。
 キスと呼ぶにはあまりにも短く、乱暴で、頭突きに近い、\からの初めての口付け。
 ぶつけて切れた\の唇から血が滲む。垂れ落ちる直前、\は舌で唇の切り傷を舐め上げた。その艶めかしい舌先の動きにWの肩が揺れるのを見て、拘束するWの手を振り払う。
「これでいい?」
「……は、?」
「足りないなら、……セックスでもしようか」
「……ッ」
 思わず上げた手を\の頬に振り下ろす直前、Wはその左の顔の火傷痕を前にして踏みとどまった。
 自分が傷付くのなんか慣れ切ったとでも言うような顔をして、\は振り上げられたWの手を一瞥すらせず、ただ静かに真っ直ぐWの目を見つめている。
「Wも口先だけじゃない」
 それどころか挑発でもするように、小さく鼻で笑って目を細めたあと、ジャケットの襟を開けインナーコートのファスナーを下ろし、乱暴にシャツのボタンを外した。
「本当は私が怖いくせに」
「……!」
 自分の膝に跨るWの前に、\は下着姿の上半身を晒す。
 昼と変わらないほど煌々と電灯に照らされた部屋。鎖骨から下着の中へと滑り落ちる胸のなだらかな丘陵、左側の首から肩まで染みついて残った火傷痕。\の真っ直ぐな目。それらに視線を行き来させながらWは口籠る。
 Wの震える指や吐息。生唾を飲む喉。\はWのその右手を取って、左の顔に撫でつけた。
「本当はこれ以上進むのが嫌なんでしょ? ……Wが好きなのは私じゃない」
 Wの指を火傷痕に辿らせ、耳元から首筋へ、そして鎖骨から胸の方へと滑らせれば、\の手の中でWの手が強張る。
 もう一度目を合わせれば、これ以上触らされるのをどこか躊躇うように、Wは顔を逸らした。
「でも、これが最後だから言ってあげる」
 最後、という言葉にもWは\へ顔を向けることなく、ただどこかあらぬ方向をぼんやりと見つめていた。手を離してやれば、Wの指は\の胸を掠め落ちる。

「私だってWのこと愛してた」


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