「《No.ナンバーズ》を使いたい?」

 この決勝大会で使いたい《No.ナンバーズ》があるから使わせてくれ。まさしく決勝大会の行われる今日の今日と言うときに、カイトが珍しくMr.ハートランドの元へ直々に顔を出したと思えば、そんなことを言い出した。
 椅子を回転させて振り向いたMr.ハートランドの眼鏡が光る。
「理由を、……聞かせてくれそうにはないようだ」
 眼光鋭く目を細めたカイトに、ハートランドは「やれやれ」と言わんばかりに椅子へ背中を預けた。
「理由を話す必要はない。俺が狩ったNo.ナンバーズだ。使う権利は俺にある」
「……」
 今までカイトがそんなことを言い出したことなどなかった。静かに睨むカイトの研がれた目に、ハートランドは「ふむ」と息をつく。するとカイトが思っていたよりも呆気なく、ハートランドは何やらボタンを操作して、集積されたNo.ナンバーズカードをカイトの前に出した。
「いいだろう。必要なだけ持っていくといい」
「……!」
 ニヤリと笑うハートランド。……なにか思い当たる節がある、という顔をしている。裏があるとわかっていても、カイトはその考えを振り払うように十何枚と並ぶカードを見上げた。目で追う中で、そのたった1枚に手を伸ばす。
「これだけあればいい」
 やはりそれだったか、と言いかけた言葉をハートランドは飲み込んだ。もちろんカイトも、ハートランドが何も驚かない意味を重々承知している。ハートランドの視線を無視して、カイトは「もう用はない」とだけ言い放って背を向けた。
「カイト」
 自動で開いたドアの敷居をカイトが跨ぐ直前、ハートランドが呼び止めた。足を止めはしても、一瞥も振り返らないカイトの背中に、ハートランドの笑みが忍び寄る。
「君は以前、奪った魂がどうなるのか、と…… 心を痛めていたねぇ」
「……」
 ぶら下げたままの手にある1枚の黒いカード。空いた方の手を首に伸ばすカイトの背中を眺め、ハートランドはメガネの奥でその爛々とした目を細めた。
 ハイネックのインナーの襟、カイトは失くしたブローチのピンの跡を指で撫でる。
「今の我々の科学力ではNo.ナンバーズを持つ者たちの魂ごと奪い取るしか方法がない。……だが君も、これまでの闘いで知っているだろう。No.ナンバーズを操る連中は邪気に取り憑かれ、欲望を増幅させた悪党ばかり。君はハルトの病気を治すために熱いハートで闘っているが、それは同時に、このハートランドシティを守る正義でもあるのだよ」

 ───『私は最初からハルトを傷つけ、苦しめる側だった。私は、何も変わってない』

「人は何かを守るために何かを捨てる。君もハルトを守るために全てを、人間を捨てたはずではなかったのかね?」
「何が言いたい」
 痺れを切らしてカイトは少しだけ顔を向け、横目にハートランドを睨んだ。どいつもこいつも回りくどい。ドロワといいゴーシュといい、何よりこのハートランドといい、外堀から埋めて身動きが取れないようにしてから本質をついてくる。
 そんなカイトの苛立ちすらも、まるで余興でも楽しんでいるかのようにハートランドはのらりくらりとやり過ごして、ため息をつきながら両の手を開いた。
「今日の大会はこれまでにないほどの数のNo.ナンバーズが集まっている。期待しているよ、カイト。ドロワのためにも」
「……」




「シャークカッコいい〜」
「カイトって人も、結構イケメンらしいよ」
「それよりW様とそのお兄様! 美形な兄弟でデュエルのエリート一家なんて素敵」
 花火の打ち上がる中、観戦客が続々と入場するスタジアムには決勝に駒を進めたデュエリスト達の映像が流れる。
「1万人以上の参加者から選ばれた23人だからな」
「きっとすごい闘いになるぜ」
「ああ、みんな超一流のデュエリストだもんな」
「誰が優勝すると思う?」
「絶対Wよ」

『ハートバーニング!!! お待たせしました!!! これより、ワールドデュエルカーニバルの、決勝大会を開始します!!!』

 巨大なMr.ハートランドの姿がARビジョンとして映し出され、その開会宣言に会場が一斉に湧く。色とりどりの紙吹雪の中、それぞれ徐に会場入りし始めるデュエリスト達の姿を追うカメラ映像が映された。


 ただ一点の出口から差す光に向かって、\は細長い通路を歩いていた。出口の向こうから響き渡るMr.ハートランドの声は、通路に一定間隔で設置されたスピーカーからも流されている。
『ファーストステージはパーク・セクション! つまりこのハートランド全ての場所でデュエルする、名付けて、デュエル・コースター!!!』
 道化らしい軽い声に、明るい喋り方。何もかもが嘘に聞こえる。事実、嘘の塊だと知っている。目眩がするほど気持ちが悪い。体の奥深くから、なにか軋むような痛みが込み上げいいる。
「───い、……オイ、\!」
 ハッとして振り返れば、駆け寄ってきたWが目の前で立ち止まり、肩で息をしていた。通路のさらに奥の方には、他の参加デュエリストに混じって、ゆったりとした足取りで同じ方向へ歩くXやトロンの姿もある。
 思ったよりも普通にしている\に、Wは安堵して息を大きくついた。
「大丈夫か?」
「……何が?」
 聞き返されると、確かに一体何を聞いているのか、W自身わからなくなったような顔をする。決して広いとはいえない通路で立ち止まった2人を追い越していくデュエリスト達の人の波に押されて、\はまた前に向き直って会場へと歩き始めた。
 それにWが小走りで追いかけ隣を確保すると、\のペースに合わせて並び歩く。
「儀式を受けたのか?」
「ええ」
「……」
「……」
 さも当然とばかりに返された割に、\の気配は何も変わっていない。トロンから何をされたのか、何かまたカードを渡されたりしてないか、……今日、カイト闘って勝つ気はあるのか。昨日のことは、どう受け止めたらいいのか。聞きたいことは山ほどあるのに、口に出せないまま歓声に燦ざめくスタジアムへの出口が近づき、前を歩く他の参加者が1人、また1人と光の中へ消えていく。
「あ───」
 あのさぁ、と口を開きかけたところで、Wの手を\が掴んだ。
 思いがけず手を引かれるまま\の方を見れば、彼女はもう視界の端に消える。
「〜〜〜!」
「……」
 しっとりとした唇の触れた頬。離れ際に、やっとリップ音が立つ。
 周りの参加者の視線が集中しているのを背中に感じながら、手を離されたWが少しだけ後退する。「こんな所で」と言いかけたときには、\はもうWのことなど見ていなかった。
『さぁ予選を勝ち抜きし23名のデュエリスト達よ、己の知力と体力の全てを懸けて、闘うがいい!!!』
 場違いなほど明るいMr.ハートランドの声が響き渡る。\の視線の先を追ったWを待っていたもの。出口のさらに向こうのスタジアム、蒼白に冷めた目を見開いたカイトが呆然と立っていた。
 カイトはWと目が合うなり、ぐっと唇を噤んで歩き去っていく。
「ごめんね」
 そう静かに呟いた\が、Wを置いてさっさと歩きだした。
 どっちに謝った? そう聞く勇気が、Wにはない。だが少し気が晴れて、Wはまた\を追った。



「WよWよ!」
「あぁ〜、かっこいい〜〜」
 スタジアムに踏み出すなり、Wに女の子達からの声援が集中する。カメラもWの姿を追い、モニターに映る自分を見て、Wににこやかに手を振った。
 それとなく\は距離を取るが、何十とあるカメラはやはり\の姿も追いかけて映し出す。

「アイツが\……」
 低く唸るような声を上げたゴーシュを遊馬が見上げる。
「ゴーシュ?」
「遊馬、テメェは見てたんだろ。……ドロワをやったのはアイツだな?」
 あ、と言葉を詰まらせた遊馬が、\を映した画面を見上げて返事を渋る。だがそんな遊馬に「フッ」と笑い、ゴーシュは腕を組んだ。
「安心しろ。別に復讐してやろうってわけじゃねぇ。ただ、俺はやられっぱなしが嫌いなだけだ」
「ゴーシュ、……」

 きゃあきゃあと騒ぐファン達に手を振りながら、Wは凌牙のすぐ後ろまでやって来る。
「くっ、……」
「フン」
 顔を顰める凌牙に、鼻で笑うW。\もあたりを見回しながら挟み込むように凌牙の前に立ち、腕を組んで薄く笑う。
「数日振りだね、凌牙」
「\……!」
「怖い顔してると、カメラに映されちゃうよ? 人目が多いところは、Wみたく笑顔でいないと」
 小馬鹿にしたように笑う\に、凌牙の歯が軋む。だがその凌牙の背後で、Wが眉を顰めた。そのWの視線から逃れるように、\は凌牙を見つめたまま言葉早く続ける。
「妹の仇をとるか、汚名を着せられた復讐をするか、……君がどっちを先に選ぶのか、楽しみにしてるよ」
 ふふ、と笑って\は歩き去って行く。Wがそれに舌打ちすると、「オイ」と凌牙に声を掛けた。
「凌牙、テメェの相手はこの俺だ。……\にもう一度触れてみろ。妹の病室にベッドがもうひとつ並ぶことになるぜ」
「先に妹に手を出したお前がよく言うぜ。W、オレは正々堂々お前らと闘う。テメェら兄妹とは違ってな。覚悟しておくんだな」
 それを聞いてWは「ハッ」と笑い、足速に\を追って行った。その背中を睨みながら、凌牙は手を握りしめる。

「どういうつもりだ」
「何が?」
 \に追いついたWがまた横を歩く。振り回され続ける事に苛立ちを感じながら、Wは別の怒りに口調を強めた。
「凌牙と闘うのは俺だ。なぜお前がアイツを挑発する」
「……」
 やっと足を止めた\とWの目の前には、整然と並んだジェットコースターの機体。整備していたらしいスタッフがいそいそとその場を離れて行くのを横目に、\は色とりどりの紙吹雪舞うスタジアムと花火の打ち上がる空を見上げる。
「凌牙に殴られた理由はなんだ? アイツに何を言った?!」
「……」
 遠目にXがこちらに視線を向けているのに気付いて、\は顔を逸らした。Wも視線だけXに向けると、舌打ちして手を下ろす。
 なるべく自然を装いながら、WもXに背を向けて続けた。
「\、それで人を騙せてるつもりか? 俺からしたら、テメェの“下手くそ”な演技には呆れてものも言えねえぜ。……お前は嘘をつくとき、口調が変わる癖があるからな」
「……!」


「ア、アノ、カイト様、呉々モオ体ニハ……」
 スタスタと歩くカイトを追いかけてきたオービタル7が、その後ろへ追いつくなりしどろもどろに声をかける。カイトは立ち止まりはするものの、視界に\とWを捉えたままで、オービタルには振り向きもしない。
「オービタル。ここで何をしている」
「エッ ア、」
「アレは見つかったのか」
 鋭い目がぐるりと向けられ、ロボットであるはずのオービタルの機体に冷や汗のような結露が垂れる。
「モ、申シ訳ゴザイマセン、カイト様。昨夜ノ現場ヤ、カイト様ノ歩カレタ場所ハ全テ隈ナク探シマシタガ、……残念ナガラ、アノブローチハ」
「……」
「ヒッ カ、カシコマリ!!! オイラモウ一度探シテ───」
「待て」
 細められた目に飛び退くオービタルを呼び止め、カイトは会場を見回す。
「オービタル、時間を止めろ」
「ハ?」
 予想外の命令に、オービタルの思考AIがピロピロ、と音を立てる。
「《No.ナンバーズ》を持つ者を見極める」
 静かにそう呟いたカイトの顔にフォトンモードの兆候が現れ、左の瞳が赤く染まった。それを見た途端にオービタルの方が人間らしく身振り手振りして大慌てする。
「シッ シカシ、ソンナ事ヲシテハ、逆ニNo.ナンバーズ所持者ニバレテ───」
「0.1秒で充分だ! 早くやれ!」
「カッ カシコマリ!!!」

 打ち上がる花火の弾ける瞬間、空気を震わせる大歓声、降り頻る紙吹雪、自我と肉体を取り囲む全てのものがシャッタースピードの遅いカメラで切り取られるような、ほんの僅かな世界との乖離が生じた。
 それは本当にまばたきをするくらいの短い一閃のこと。だがWも違和感を感じ取って、すぐにカイトの方へ首を回す。
「……今のは」

「……!」
 視線を感知したカイトが向いた先、トロンと並び立つXが小さく鼻で笑う。もう一方に視線をやれば、Wと\も目を細めて小さく笑った。
「ヤ、ヤッパリ気付カレタ……?!」
 あわあわと狼狽えるオービタルとは対照的に、最後の望みを取りこぼしたカイトは手を握りしめて\を見つめる。苛立ちをぶつけるように、カイトはずっとピロピロ音を立てるオービタルに振り向く。
「用が済んだらとっとと消えろ! “アレ”を見つけるまで戻ってくるな!」
「エエッ?! カ、カシコマリ!!!」
 慌てながらバックドリフトして走り去っていくオービタルを横目に、カイトはもう一度\へ視線をやる。\もその視線に気がついて、また顔を上げてカイトを眺めた。

 まだ姿が見える距離なだけマシ。カイトから魂を奪われて2年、そして目が覚めてから1年近く。\はカイトの姿を一目見ることさえ叶わなかった。目が覚めたとき、3人の兄弟達ですら知らない男の人になっていた。家族でないカイトなら尚更のこと。
 姿形が変わったのは何も周りだけじゃない。……自分が1番変わってしまった。
「(もう3年。カイトだって年頃の男の子だもの。心が変わってしまうのも、私のことに区切りをつけているのも当然。……私だけがタイムカプセルに入れられて、こんなところへ来てしまった)」
 小さく笑えば、遠目にもカイトが小さく唇を噛んだのが分かる。私が憎たらしいという顔をしている。そう思うと、気持ちが急いでたまらない。

「(やはり持っているのか、《No.ナンバーズ》を)」
 ドロワとの闘いで、\は《No.ナンバーズ》のカードを使わなかった。確かにアドバンテージで言えば、あの盤面でわざわざNo.ナンバーズのモンスターエクシーズを出す必要はない。だがカイトは、それ以外の理由に希望を持っていた。
 \は、もしかしたら《No.ナンバーズ》を持っていないのではないか? と。3年前、カイトは確かに彼女からNo.ナンバーズを奪い、そのカードはいまカイトのデッキに入っている。
 だが先程のオービタルでの実験で、その希望は早々に潰えた。スタジアムの詮索範囲内でNo.ナンバーズを所有していたのは、遊馬、凌牙、X、W、トロン、……そして\。彼女も間違いなく、何らかのNo.ナンバーズを所有している。
 それはつまり、どう足掻いても3年前のあの日のように彼女からまた魂ごとカードを奪わなくてはならないという事。いや、少なくとも、あのとき以上の覚悟が要る。
 ───『人は何かを守るために何かを捨てる。君もハルトを守るために全てを、人間を捨てたはずではなかったのかね?』
 ギチ、と握りしめたカイトの手が軋んだ。


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