\の機体は既にスペースフィールドへ着いていた。宇宙空間に浮かぶシャトルのデッキに佇み、無音の闇を照らす太陽と星々を見上げる。
 Wは凌牙に狙いを定めている。トロンはゴーシュとジャングルフィールドへ向かい、Xは遊馬をキャニオンフィールドへと誘い込んだ。残る場所はここ、スペースフィールド。カイトはもうここへ来る他に道はない。
 ゆっくりと息をする喉で、自分の心臓が早鳴っているのを感じる。こんな時でも、ましてこんな顔になっても、手鏡が欲しいなんて思う自分があまりに滑稽で、悲しかった。
 \は目を閉じ、静かにカイトが来るのを待つ。たとえ偽物のARビジョンでも、真空に独りで放り出されたこの静かな時を、\はただ享受する。



「九十九遊馬、……一馬さんの息子」

 Xに誘われるまま、遊馬とアストラルはキャニオンフィールドへ立っていた。背後では、小鳥とオービタル7が心配そうに見つめている。
「君とは一度話がしたかった。オービタル7が居合わせているのも、きっと何かの巡り合わせなのかもしれない」
 エ、オイラ? と名指しされたことに動揺するオービタルを背に、遊馬はXへ歩み寄った。
「……ッ お前にも聞きたいことがある。父ちゃんは、オレの父ちゃんはどこにいる?!」
「いいだろう。デュエルの前に、私が知っていることを全て話そう。オービタル、カイトと通信を繋げてくれ」



「\、……これは、スペースフィールドか」
 \の機体の現在地を示すモニターを眺め、カイトは意を決してスペースフィールドへの進路を取る。8人に絞られたとはいえ、誰に狙われてもおかしくは無い状況。そこでひとり先にフィールドへ降り立って相手を待つなど、普通なら相手の選定を放棄したようなものだ。
 だが\は、あえてカイトのデッキに似合いそうなスペースフィールドを選び、待っている。
「(俺が来るのを、最初から確信していると言うのか?)」
 顔を顰めたカイトに、トロンを追って去っていったゴーシュの顔がよぎる。ゴーシュの言う通り、カイトは\と闘うことから目を背けていた。だがもう道はない。\を、彼女を死んだものとして逃げていた自分と決別する時がきたのだ。
 死してなお戦場を求めるのがデュエリストの魂。……彼女はデュエリストではなかった。だがカードを手にしてカイトと闘い、魂を奪われた。そこに初心者も強者も関係ない。カードを手にした時点で、\はデュエリストだ。だからこうして、スペースフィールドでカイトを待っている。
「……アイツが」
 突然、通信接続の呼び出し音が鳴り響いた。
 オービタル7からのコールに、カイトは渋々応答を押す。
「なんの用だ、オービタル」
『その様子だとまだ\に合流していないようだな、カイト』
「……!!!」
 通信映像にハッと目を向ければ、不敵に笑うXがカイトを見つめていた。


『X!!! なぜオービタルの通信に』
 オービタルに搭載された出力モニターを遊馬と小鳥が見上げれば、風に揺れる髪や猛スピードで過ぎていく背景に、カイトがまだコースターで移動しているのがわかる。カイトの質問に答えるでもなく、Xは遊馬に視線を下ろして続けた。
「彼と闘う前に、私の知っていることを話しておこうと思ってね」
『ふざけるな。俺はいまさら、思い出話など聞く気はない』
「カイト、この話しは、君にとっても関わりがある。\と闘う前なら尚のこと」
『……ッ』
「私たち家族が、なぜこのデュエルカーニバルに突然現れたのか。そしてなぜ私たちが君たち兄弟に、……いや、君の父、Dr.フェイカーに復讐しようとしているのか」

「!!!」
 遊馬が目を丸くして、通信越しにカイトを見上げた。カイトはただ口を噤んで、眉間に皺を寄せる。
「あのDr.フェイカーが、……Dr.フェイカーが、カイトの父ちゃんだって?! いったい、どういうことなんだよ、オレの父ちゃんとカイトの父ちゃんが」
「これからする話しに、その答えはある」
 混乱する遊馬に、Xはどこか慈しみすら感じられる声で諭した。そして静かに目を伏せ、話し始める。

「───科学者であるカイトの父フェイカーと、私たちの父バイロンは、共に異世界の研究を続けていた。だが今から5年前、異世界への到達まであと一歩というところで研究に行き詰まり、フェイカーと父は交友のあった君の父、一馬さんに協力を仰いだ」
「……ま、待てよ、じゃあオレとカイト、それにお前らとは、最初から父ちゃん達同士で繋がってたって言うのかよ。オレ、父ちゃんからそんなこと」
「聞いていないとしても当然だろう。一馬さんはそれよりさらに前、とある研究で極秘裏に呼ばれて以来だったのだ。その時のことはたとえ家族であっても漏らさないという約束で」
 初めて聞かされた父親同士の繋がりに「そんなことが」と首を傾げる遊馬と小鳥の横で、オービタル7がアワアワと震える。
「……私が見ていたのは、フェイカーと父、そして一馬さんの3人が、地中奥深くへ降りていくところまで。ここから先の出来事は、後で父から聞いた話しだ」




 ジャングルフィールドの湿った池の辺り、吹き飛ばされたゴーシュが倒れた。ブザーと共に勝者・トロンの映像が表示される。
「この俺が、手も足も…… 出せなかっただと……ッ」
 \やVは、確かにカイトと同レベルの強者だった。だがトロンは、更に別格。仰向けのまま呆然と空を眺めるだけのゴーシュに、トロンの小さな体が立てる軽い足音が迫る。
「ちっとも歯応えないね。Xや\が取り逃したくらいだから、もう少しやると思ったのに。残念」
 にっこり笑うトロン。その顔の左半分が隠された鉄仮面に、ゴーシュは「へっ」と笑う。
「何者だ、貴様……」
「これから魂を奪われる君が知ることではないよ」
 途端にトロンはスッと目を細めた。仰向けのままのゴーシュの下に紋章が広がり、リボンのように伸びた呪文様がゴーシュの肢体を締め上げる。
「なんのノリだ?! うぐ、ああああッ!!!」
「君のその全然食欲がそそらない暑苦しい魂も食べとくよ。前菜には丁度いい」




 \は宇宙空間のARビジョンを見上げながら、左手で右の手の縫合痕を撫でていた。
 ───『        』
 ぼんやりと思い出すのは、名前も知らない大柄なおじさんの、真っ黒に日に焼けた大きな手。優しい目で、だけどまっすぐ見つめて、一言だけ掛けられた言葉を、これまで何度も思い出そうと試みてきた。
 なにか、とても大切なことを問われていたような気がしたことだけは覚えている。
 ───『        』
 しかし思い出しようがないのだ。……思い出したところで、未来が変わるわけでもない。
「(なんで、今更こんなこと考えてるんだろ)」
 ふと、\は無意識のうちに撫でていた自分の手に目を落とす。6年前、カイトの工房で、\は作業台に備え付けられていた万力で右手の甲の骨を砕いた。今でも、手を挟んだ瞬間の冷たい鉄の感触から、順を追って何があったのか鮮明に思い出せる。口に咥えたハンカチの細やかな織り目、なかなか潰れない軟骨、砂漠にいるかのような暑さ。
 ……生温いカイトの吐息、視界に迫る震えた喉の薄い皮膚、初めてのキス。
 ───『俺が愛してやる』
 自分の唇に指を伸ばしたところで、別の“ファーストキス”の記憶がカイトの記憶に覆い被さった。思わず唇に爪を立て、大きくため息をつく。
 待つ側に立つと、時間が長く感じられる。カイトを待つこの数分ですら延々と感じられるのだ。3年ものあいだ迎えを待っていたVとWが感じた時間の長さは、如何程のものだったろう。
 ……そして、私が目覚めるまでの2年間、兄弟達はその時間を長く感じてくれていただろうか。
 眠りから覚めて待っていたのは、知らない男に成長していた3人の兄弟。ましてやVとWに至っては5年振りの再会だった。今でもこれが夢か、死んだあとの世界なのかとさえ思う時がある。
 そうだったらいいのに、と。




 ───ふたつの魂を捧げ、新たな扉が開く。
「……それが、父ちゃんの最後」
 5年前に起きた事のあらましを聞き、呆然と立ち尽くす遊馬の背中をモニター越しにカイトが見つめていた。Xは伏せていた目を一度閉じ、眉間を寄せて口を開く。
「だが、私の父は戻ってきた」
 その言葉に遊馬が一瞬、希望を得たような顔をした。もちろんX自身、彼の父、一馬と共に行方不明になったバイロンが現世に回帰できたという実例が、遊馬に兆しを与える事になるだろうとは予測に易いこと。だからこそそれ以上の真実を告げるのに、Xは遊馬の顔を見ることができなかった。
「異世界の狭間を彷徨いながら、復讐だけを心の糧として。……しかし、この世界に戻れた代償として、その姿は変わり果ててしまっていた。それが我が父、今のトロンの姿だ……!」
『!!!』

「トロンが、あのトロンがVやXの父ちゃん?!」



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