「(俺たちに情けでも掛けたつもりか、カイト)」
 口を割りそうな己を堪えて、Wはただ黙ってカイトを睨んだ。Wと同じ事をトロンも思い、Wと同じようにカイトに目を向ける。怒りか、嘲笑か。Wとトロンにあった同じ事でも、その感情は違っていた。
『君たちはまだ子供だった。だけどフェイカーは、何としても君と\を“仲良く”させる必要があった。……全ては一馬から聞いたある話しが発端となり、君と\の運命が始まった』
「……」
「父ちゃんは、一体何を話したんだ……?」
 遊馬からの視線にカイトが視線を逸らす。
「教えろよ! 父ちゃんは、お前らに何を……?!」

「“これが君にとってどんなものか、わかっているね”」

 思いがけないところから告げられた言葉に全員が振り向いた。腕を組み、顔を顰めたWが、自分に集中する視線に舌打ちする。
「テメェの親父が\に言った言葉だ」

 ───『これが君にとってどんなものか、わかっているね?』
 その言葉に\の中の霞んでいた記憶が鮮明に修正された。名前も知らない大柄なおじさんの、真っ黒に日に焼けた大きな手。優しい目で、だけどまっすぐ見つめて、一言だけ掛けられた言葉を、これまで何度も思い出そうと試みてきた。なにか、とても大切なことを問われていたような気がしたことだけは覚えていた…… あのとき言葉が分からなかった\にとって、それは思い出しようのない記憶。思い出したところで、未来が変わるわけでもないと諦めていたもの。
「(あの人が九十九一馬、……遊馬の父親)」
 やっと顔と名前が一致した\ではあったが、それを口にも顔にも出す気はない。たった一言、いまWが口にした言葉と同じ言葉しか記憶に一致していないところで「思い出した」と告げても、遊馬をまた落胆させるだけ。失った肉親の足跡を求める者にとって、そのぬか喜びがいかに辛いものか知っているからこそ、\は知らないふりしかできない。
「(いえ、違う…… 自分の身を守りたいだけ……)」

「それ以上は俺たち個人の話しだ。テメェに言う筋合いはねぇ」
 Wも\と同じことを考えているようだった。カイトかトロンが口を割る前に一つだけ提示して、先手を打ったに過ぎない。もちろんカイトもそれを察して、汗の滲む手を握り直す。
「……W」
「俺も聞いたのさ。父さんとDr.フェイカー、そして九十九一馬が別の部屋で話していたことをな。だがカイト、貴様はあとになってXから聞くまで“あの話し”を知らなかった」
「……」
 そこから先、Wが何を言いたかったのかカイトにも分かっていた。Wもカイトが言葉の先を察するだろうと分かっていて、あえて口にはしない。
 今はWもカイトも、お互いに言葉の一端一端に細心の注意を払い、そしてひどく慎重だった。全ては不安定に積み上げ続けていた積み木の上の嘘を守るため。
 トロンの言動を鑑みるに、いつかトロンがそれを壊しにかかるだろうとWは予測はしていた。そんなWの焦った顔を見れば、カイトも自ずと同じ予測を立てる。Wが嫌いで、憎いという気持ちさえある。それでも彼が守ろうとするものはカイトと共通していた。お互い気分のいいものではないが、その一点においてのみ、Wとカイトの結束は確固たるものだったのかもしれない。
「父ちゃんは、人が争ったりする原因になるようなこと言うはずがねえんだ。それなのに、どうして……」
「……」「……」
 思わず顔を見合ったカイトと\に、Wが苦々しそうに居竦まる。焦りを取り繕うような\の顔にあるのは、疎外感。
『君がどう言おうと、一馬から聞いた話しをどう受け取るかは言った本人には関係ない。善い人間が聞けば善に、悪い人間が聞けば悪に変換する。……そうだよねカイト』
「……」
『あの話しを知っていたのは、僕とフェイカーだけだった。まぁWも知っていたとは驚いたけど。……どっちにしろ、それが運の尽きだったのさ』

「……6年前の事だ。……ハルトが産まれて1ヶ月もしないうちに、母さんは死んだ」
「!」「え、……!」
 遊馬と小鳥に衝撃が走る。その横にいたオービタル7が僅かに後退りしたのを、\とアストラルは見逃さなかった。
 \もカイトも、あの時の事は鮮明に覚えている。\は静かに右手の傷跡を見つめ、溢すように口を開く。
「まだ6年、か…… もっと昔のように感じてたわ」
「……」
「産後の体調が良くならないお母様のために、カイトは家事や育児のできるロボットを作り始めた。家の事は何でも任せられるロボットをね。そうすればお母様を安心させてあげられるし、退院してお家に戻ったあとも、お母様が楽できるようにって。……若い頃のDr.フェイカーが使っていた工房に、カイトは引きこもってた」
「だが母さんは退院することも、家に帰ってくる事もできなかった」


 ───『兄さま、カイトがいないわ』
 教会から墓地へと続く人の列、その先頭を神父と助祭が行き、バイロンに支えられながらフラフラと歩くフェイカーが続く。産まれてまだひと月にしかならないハルトを乗せた乳母車を押していたのはベビーシッターで、どこにもカイトの姿がない。
 なまえに言われてクリスもそれに気付き、トーマスとミハエルも連れて人の列から外れると、あたりを見回す。
『ミサの間はいたぜ? ……独りになりたかったんじゃねぇか?』
『……』
 悪態でもつくように言ったトーマスは、繋いでいたなまえの手をキュ、と握った。ミハエルも黙ったまま、クリスのスラックスにシワが寄るほど握りしめる。
『わたし、カイトをさがさなきゃ』
 トーマスの手を離して駆け出そうとしたところで、トーマスはなまえの手を掴み直して引き留めた。
『行ってどうすんだよ?! お前が行ったって……』
『……トーマスはお母さんがしんじゃったとき、どうだった?』
『!』
『わたし、……マーテルママがしんじゃって、ひとりだった。トーマスがギュッてしてくれるまで、ずっとひとりだった』
 
『だからカイトもギュッてしなきゃダメなの!』───
 

「ンな事言うから、俺は家に着くまで\の手を絶対に離さなかった」
 口を挟んだWに\が視線だけ向け、すぐに俯く。
「そのまま離さなきゃ良かったんだ。二度とカイトに会わせなきゃな」


 ───『カイト、……あの』
 なまえがカイトの家を訪ねられたのは、葬儀から1週間は経ったあとのこと。電話もメールも通じず心配していたところで、クリスから「この1週間、ろくに寝食もせず工房に引きこもっているらしい」と聞いて、なまえはやっと外出を許された。
 声を掛けても返事をしない背中の向こうで、暗い部屋を照らす火花と閃光が影を伸ばす。
 ミートパイやキャセロールの小鍋を詰めたバスケットばかりが重い。空腹に沁みそうなセージやオレガノの香りも、この工房に充満した機械油の匂いがかき消してしまってカイトには届かない。
『カイト』
 もう一度呼んだところで、カイトはやっとバーナーを置いた。
『あ、あのね、クリス兄さまから、カイトがずっとなにもたべてないって、だからわたし───』
『ダメなんだ』
『……え』
 ガチャン、とけたたましい音を立てて、いままさに作っていたであろう部品がカイトの手で部屋の隅に投げつけられる。その衝撃で転がるピンやボルトキャップは、今投げ捨てられたものから外れたものではない。掃き溜めと化したその部屋の隅、そこには同じように投げつけられたであろうロボットのパーツがいくつも折り重なって、崩れていた。
『……!』
 その様にはなまえも息を飲んで萎縮する。その場の床にバスケットを置くと、恐る恐るカイトの方へ足を進めた。どう声をかけるべきか悩むうちにカイトのすぐそばまでたどり着いてしまい、足を止めるべきか手を差し伸べるべきかでまた悩み、結局カイトの後ろで足を止めた。
『完成しないんだ。機能を維持できるだけのバッテリーが、どうしても作れない』
『……?』
『オレは父さんのようにはなれない。……これじゃ、きっと、母さんは』
 ハッとして、なまえは思わずカイトの背中を抱きしめた。
『オレは、どうしたら弟を、ハルトを受け入れられるんだ……?!』
 焦燥感に青褪めて震えるカイトの体に腕を回して、なまえはただ呆然と肩に頬骨を乗せる。涙ひとつ流せないでいるカイトから吸い取ったように、触れ合った途端なまえが大粒の涙をこぼした。



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