『エネルギー、げん?』

『電力源のことだ』
 少し落ち着いたところで、カイトは椅子になまえを座らせ、自分はデスクに腰掛けて向き合っていた。なまえの濡れた睫毛を拭おうとした自分の指を見て、カイトは金属粉の入り込んだ爪先に慌てて手を引っ込める。思ったような事をしてやれないのが悔しかったのか、なまえと目が合うと気まずそうにその手をポケットへねじ込んで目線をその辺りの機材に向けた。
『機械は動くために電気を使う。同じように、オレが作っていたロボットも、なにか電気を蓄えたりする装置が要るんだ』
『あの、かべにさす、せんはだめなの?』
 なまえがゆるゆると指差す先に、コンセントケーブルが転がっている。なまえの言わんとしていることは分かるが、カイトはすでに諦めていた目で小さく笑う。
『一度やって、この家のブレーカーが落ちたんだ。父さんのいるハートランドシティなら大丈夫だろうが、オレは、……母さんが居たこの家で使えるロボットを作りたい。できればハルトも一緒に、ここで暮らしていたいんだ』
 悲しそうに笑うカイトが、デスクに積み重なっていた中からカラフルな配線コードを引っ張って、ソーラーパネルを引き出す。
『お前が居るからな』
『え、』
 顔を上げれば、カイトはもう小さなソーラーパネルをに目を向けて「そのためには、家の屋根くらいの大きさにしたコレが、5枚は必要だな」と言葉を続けていた。カイト、そう名前を呼ぼうとしても、カイトは気恥ずかしさを誤魔化すように立ち上がり、ソーラーパネルを腰掛けていたデスクに放る。
『(カイト、……)』
 小さく伸ばしかけた手を、なまえはすぐ引っ込めて胸に抱いた。その右腕を滑る腕輪に、なまえの目が止まる。

 ───『君の腕輪は、とっても貴重なものなんだ』

 こくん、と、大きな鼓動とともに息を飲む。
 バイロンとフェイカーが改まってまでなまえに言い聞かせていた言葉が、悪魔の囁きのように甦る。

 ───『この腕輪は、この世界に存在しない物質でできていて、これひとつで莫大なエネルギーを生み出せるんだ。絶対、誰にも言ってはいけないよ。もし知れ渡れば、どんな危険な事になるかわからない』
 ───『腕輪は完全な輪状形態でエネルギー循環をしている。良いか? この腕輪を壊したり、傷付けてはならん! もちろん人にやるのは論外じゃ』
 ───『フェイカー、これは彼女が生まれてすぐに着けられたものなんだ。成長によってこの腕輪を外すことは、腕輪を壊さない限り不可能だ』
 ───『じゃがバイロン、もしこの子が腕輪の意味を知って、“行使”することがあれば……』

『(父さまもフェイカーさまも、この石のうでわが、エネルギーっていってた…… これがあれば、カイトは、……)』
 ドクン、ドクン……
 鼓動に合わせて視界が揺れる。とてつもなく、いけないことを考えている。だけど、だけど……
『そろそろクリスが迎えに来るだろ?』
『……ッ え、あ、』
 見上げれば、目の前にカイトが立っていた。咄嗟に立ち上がってみたものの、まじまじと見ればカイトは少しやつれていて、下瞼は青白く沈んでいる。そんな姿をカイト自身も自覚してか、取り繕うようになまえの体温が残る椅子に腰を下ろして、作りかけのロボットの上半身を手元へ引き摺り寄せた。
『帰りに母さんの部屋へ寄ってくれ。お前にやりたいって聞いてた物を、まとめておいたから』
『でも、……』
『オレの母さん、クリス達の母親が遺した物も持ってたんだ。バイロン先生もきっと───』
『カイト!』
 よほど大きな声だったのか、びっくりした顔のカイトがこちらを見上げている。慌てて口を手で塞ぐなまえに、カイトは微笑んだ。
『オレはもう大丈夫。……お前が来てくれて、嬉しかった』
『……カイト』
『こんなタイミングで言うべきか悩んでるんだ。でも、お前が───』

 たぐり寄せられて、カイトの手がなまえの手を包む。その腕に滑る腕輪の感触、そして氷河色のカイトの目。だがなまえの視線を捉えたのは、作業台に取り付けられた万力バイスだった。───


「じゃあ、\のその手の傷は」
 遊馬の後ろで、両手を抱えた小鳥が震える。だが、すっかり静かになったオービタル7に気を止める者はいない。
「……」
 沈黙しているのはもうひとり。詳細を口にしなかった2人が隠した、“カイトが最後に言ったこと”。ここに居る誰もが知り得ないことでも、Wにだけは想像に易い。だからこそその真実に、Wはただ1人著し得ぬ感情の濁流に沈黙する他なかった。
『君が横取りして隠したんだよね? そして、フェイカーもそれに気が付いた。裏切り者であれは例え息子でも容赦はしない。……君たち親子に何があったか、すぐに察したよ』
 え、と遊馬や小鳥の視線がカイトに集中した。グローブ越しに軋む手の皮膚に、汗が滲む。
『君がいま、母親の旧姓である“天城”を名乗っている理由をね』


 ───『この小娘!!!』
 銀のトレーや子椅子と共に、顔を叩かれたなまえが床に倒れる。せっかく治療して巻いたばかりの包帯に、鮮血が染み出す。
『何をするんだフェイカー!!!』
 看護師やバイロンがフェイカーに飛び付いて抑え込む後ろで、クリスやトーマスがなまえを抱き起す。泣き出したミハエルを看護師が外へ連れ出すのを誰も気に留めてやる事もできいほどの騒動の中、フェイカーとバイロン、看護師の怒声や金属音が降りかかる。
 激昂したフェイカーはバイロンを突き飛ばし、ついにクリスやトーマスも退けてなまえに掴みかかった。
『腕輪をどこへ、いや誰だ、どこの馬の骨に渡した?! あれは貴様のような小娘1人の意思でどうにかしていいものではない!!!』
『もうやめてくれ、この子は手術が終わったばかりなんだぞ?!』
『うるさい!!! バイロン、貴様こそ何をしていた?! こんな簡単に騙されるような、頭の悪い女に育ておって!!!』
『フェイカー!!! いくら君でも、私の娘への冒涜は許さない!!! これを見ろ! この子は腕輪の意味を知った上で行使したんだ! なまえの気持ちが分からないのか?!』
『2人ともやめなさい!!! 子供たちの前で!!!』
 医者や看護師が仲裁に入る中、やっとのことでフェイカーから引き剥がされたなまえが、トーマスとクリスに抱きしめられて怯える。
 騒ぎを聞きつけたカイトが病室に飛び込んでくるなり、豹変した父の姿に動揺しながらも間に割り入った。
『父さんもうやめてくれ、なまえは───』
『お前は黙っていろ!!! この小娘ェ、無垢な顔をして、もう男を知ったか!!!』
 止めに入るカイトをも突き飛ばし、フェイカーは再びなまえに手を上げた。だがその手は、咄嗟に飛び出したトーマスの頬を張り倒す。
 床に倒れ込むトーマスの後ろ姿に、なまえが悲鳴を上げた。───


「俺はあれ以来、Dr.フェイカーを父と思うことも無くなった。Dr.フェイカーか俺たちを捨てたんじゃない。俺が奴を捨てたんだ」
 言った言わないの水掛け論のような、プライドの高いカイトの物言いにフッと笑い、トロンがカイトの目の前に再び姿を現す。そのまま今度は全員が見ている前で手を差し出した。その手を一瞥したカイトが険しい目でトロンに向き直ると、その道化のような笑顔に真意を探る。
『それで、いまどこにあるんだい? ……\が君にあげた、“バリアライトの腕輪”は』
「……なぜ、俺が持っていると思う」
『簡単な話しだよ。異世界への手掛かりに必要不可欠だった\のバリアライトを、一番必要としていたはずのフェイカーが、ひとかけらさえ持っていなかった』
 フェイカー自らの執念でバリアン世界に行くまではね、と付け加えたところで、Xからあらましを聞いていたカイトや遊馬が顔を顰める。
「……オービタル」
「カ、カシコマリ」
 カイトから言われずとも、オービタル7はずっと前から観念していたように、ボディのセンターパネルを開けた。厳重なロックと蓋を何度か潜り抜け、ついに赤い光を放つ結晶が露わになる。所々ひび割れ欠けてはいるが、腕輪の形状を保ったそれが、\とW、そしてトロンにとっても忘れ難い腕輪であることは一目瞭然だった。
『(バリアン世界のものがこんな側にあって、私が気付けなかった……?!)』
 禍々しくもどこか魅力的で、宝石に近い結晶体の美しさに見惚れる遊馬と小鳥。明らかに人間そのものを魅了する何かを秘めているが、アストラルだけは戦慄と疑問を抱える。
 全員からの視線に、オービタルが困惑した声で「モウ宜シイでありマスか」と漏らせば、カイトが目を伏せたのを合図にそそくさとシールドやロックを重ねていく。一枚、また一枚とシールドを張っていく度にバリアライトの気配は薄れ、オービタルがボディを元に戻す頃には、完全にバリアライトの影響は遮断された。
「オイラはカイト様となまえ様がいなけレバ完成しなかったでアリマス」
「だけど私がいなければ、カイトはお母様を失わずに済んだ」
 静かに口を開いた\に遊馬が顔を上げる。忌々しそうに瞼を歪めた\の目が、\の言った言葉を遊馬に思い出させた。
 ───『ハルトの病気の原因は私。カイトとハルトの母親を殺したのも私。九十九遊馬! それでもまだ、私とカイトが分かり合えると言える?!』
「私が、……」
「違う」
 \が言葉を続けるより先に、カイトが遮った。くっと口を噤む\と向き合い、カイトは今度こそ\と冷静に話しをしようと、\の顔色を伺いながら言葉を選ぶ。
「言ったはずだ。母さんが死んだのも、ハルトが病気になったのも、なまえのせいじゃない。……俺もお前も、mr.ハートランドから吹き込まれるままそんな嘘を信じてしまった」
「なんだよ、その嘘って、……」
「……バリアライトの腕輪をつけたなまえと一番長く居たのは、俺達の母さんだった。母さんは妊娠中、なまえの教育をしていたからだ」
「!」「まさか!」
『ハルトはアストラル世界に干渉し、攻撃さえできる能力がある。Mr.ハートランドは、その原因がなまえの着けていたバリアライトの腕輪にあったと2人に吹き込んだのさ。胎児だったハルトが、母胎の中でバリアライトの影響を受けたんだ、とね』
 あっさりと代弁したトロンの言葉に衝撃が走る中で、カイトと\だけは唇を噛む。カイトに至っては、トロンがその情報を知っていたことに顔を顰めた。
『母親を失い、父親から決別し、さらに母親の命の代わりに生まれた弟までもが原因不明の病気に侵されていた。……そんな時にそんな事を言われたらどうなるか、いくら単細胞の君にでも、わかるよね』

「……いまさら何よ」
 何かを必死で堪えたような声に、カイトや遊馬が振り返る。紋章が怒りに呼応するかのように左の顔の火傷の上に現れたマーカーが淡く光り、風もないのに\の髪が揺れだす。
「その1年後にはフェイカーに父を奪われ、私たち家族はバラバラにされた。真実を探るためX兄様はフェイカーの元へ、WとVは施設に連れてかれた。……私は確かに、兄様と共にこのハートランドシティに来た頃から、研究施設で過ごした事は覚えていない。だけどねカイト、あなたが私を捨てた時の言葉だけは覚えてるのよ」
「……?!」
 カイトの表情が強張るのを、\もWも、そしてトロンも、全く違うバラバラの意味で捉えていた。だがその中で笑みを浮かべたのは、トロンただひとり。
 ───『その女はもう用済みだ。……デュエリストとして使う価値もない』
「あなたがMr.ハートランドから言われるまま私を実験台に差し出せたのは、お母様の復讐だけじゃない。用済みになった私を、体よく捨てたかったからでしょ? あなたは最初から私を利用していた。私に記憶がないのをいいことに、綺麗な思い出話にすり替えられると思わないで!!!」


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