Mr.ハートランドの巨大なARビジョンが、WDC予選2日目の終わりを告げる。そのビジョンを、オービタル7と滑空するカイトがすり抜けた。

 ハートの塔の中、広大な廊下をトラベレーターで進むカイトを、オービタルが堪えきれず覗き込んだ。
「カイト様、光子フォトンモードデノNo.ナンバーズハントヲ続ケスギデス。コノママデハ、カイト様ノオ体ガ……」
 どこか青い顔に、首に垂れる汗。たとえ素人目に分からなくとも、カイトの体調を逐次観察しているオービタルには体が軋むほどの緊張を感じていた。だがそれも、カイトは跳ねつける。
「余計な心配はするな……! お前は黙ってNo.ナンバーズの情報を集めていろ」
「カッ カシコマリ……!!」
 ドスの効いた声と鋭い視線に、オービタルは早々にカイトの後ろに飛び戻る。

 カイトが部屋へ上がると、ハルトは窓に手をついて、夕焼けに染まる街を見下ろしていた。
「ハルト」
 ベッドから抜けて立っていたハルトに、カイトは幾分か安堵したような顔で微笑みながらハルトに歩み寄った。
「どうだ具合は」
「……兄さん」
 すぐ目の前まで歩み寄ったところで、カイトは膝をついて目線を合わせる。たったそれだけの事でも、ハルトは兄の優しさを感じていた。
No.ナンバーズは着々と集まりつつある。もうすぐだ、もうすぐ、お前の病気を治してあげられる……」
 しかし、その笑顔に滲んだ汗と、夕陽に照らされてもなお優れない顔色に、ハルトは違和感を覚えた。もちろんカイトも、それをハルトが見抜けない弟だと見縊ってなどいない。すぐに誤魔化し、隠すように、もう一度笑顔を作る。
「もう少しの辛抱だ」
「……兄さん、」
 ハルトの腕には、この部屋から出られないようプログラムされた腕輪が嵌められている。だか早々に立ち上がって部屋を出て行こうとするカイトの背中を、ハルトは黙って見送ることしかできない。
 弟の前だけでもと気を張っていたカイトだが、突然の目眩によろめいて膝を落とした。
「兄さん……!」
「……ッ、大丈夫だ、なんでもない」
 すぐに取り繕って、カイトは昇降式の出口に消えていった。残されたハルトは、呆然とカイトが出て行ったあとの壁を見つめる。
「……兄さん」

 自分が兄にできること、……曖昧な記憶の中でハルトはそれを探した。元気になること、兄が笑っていたときのこと。
「……行かなきゃ」




『今日の夕方、イーストシティ・Cブロック3562の交差点で、トレーラーが横倒しになる事故が発生しました』

「うーわァ、スッゲーニュースになっちまってるじゃんよォ〜」
 ニュース画面から視線を落とせば、アストラルも横に来る。その2人の視線の先に、ハルトはソファに座らされていた。
「なんで連れてきちまったんだよ俺ェぇぇぇ〜〜〜」
「ユウマ、サワグナ、ユウマ、サワグナ」
 頭を抱えて地団駄を踏む遊馬を、オボミが忙しなく行き来する。肝心のハルトもぼんやりとするだけで、自分がなにか問題を起こしたらしいという事さえ認知していない。ハートランドから抜け出してきたハルトは、トラックに跳ねられかけたところを遊馬によって助け出された。
 かつてカイトが研究拠点にしていた埠頭の倉庫で、遊馬は1枚の写真を目にしている。彼がカイトの弟だと分かっていて、遊馬は家に連れて帰ってきたのだ。
 ただ、それは遊馬の意志というわけでもない。
『君はどこから来たんだ。なぜ私のことを知っている?』
 騒ぐ遊馬を横目にも止めず、アストラルがハルトを覗く。ハルトはただぼうっとしたままアストラルを見上げるだけで、質問の意図を汲みさえしない。
「ねぇ、どうして寒くないの?」
『……』
 ハルトを連れて帰ったのは、アストラルの要望だった。ハルトはアストラルを視認し、会話までできる、遊馬以外の初めての人間。しかしアストラルの望み通りには運ばず、意識や記憶が混濁したままのハルトに応えられる言葉は少ない。
 それでもハルトの反応からして、アストラルは自分自身のなにかを知っていると察していた。




「あーあぁ、大穴あけてくれちゃってよ」
「何を呑気なことを。これがMr.ハートランドの耳に入ったら」
 セキュリティルームのモニターを見上げていたゴーシュとドロワが顔を顰める。部屋に開いた穴に、消えたハルトの姿。ドロワは腕を組んでため息をついた。
「んじゃァ口チャックだな。カイトにも」
「……」
 カイトの名前に、ドロワが一瞬目を細める。
「ハルトが行方不明って知ったら、ヤツのノリが怖えぇ」
 それ以上の問答は不要だと言わんばかりに、ドロワは組んでいた腕を下ろしてさっさと歩き出した。
「行くぞ」




 九十九家でもてなされ、食卓を囲む遊馬とその家族、小鳥、そしてアストラルを眺めながら、ハルトは曖昧に滲む記憶を見ていた。なかなか箸をとらないハルトに、遊馬の祖母・春が「遠慮なんてしなくて良いんだからねぇ」と笑いかける。
『ハルト』
 呼びかけに振り向けば、アストラルが食べる動作をハルトに見せる。それを目にして、ハルトはやっと箸を取った。最初は不思議そうに、次第にぱくぱくと口に食事を運ぶハルトを見て、5人はそっと微笑む。
『ハルト、「おかわり」だ』
 アストラルに促されて、ハルトが空になったお茶碗を覗く。ようやく微笑んで「おかわり」と言ったハルトに、春は「うんうん」と頷いた。
「ばーちゃん、オレもおかわり!」
「アンタはちょっとは遠慮しなさい」
「なんだよ〜 いいじゃんかよ姉ちゃん」
 姉弟の小競り合いが始まった途端、ハルトがハッとして顔を上げる。
「(……姉さん)」
 言い合いをする遊馬と明里の声が飛び交う中で、その僅かな機微に気付けたのはアストラルだけだった。




 ハートランドから飛び出した複数のジェットヘリが、轟音を上げて市街地上空へ散っていく。そのうちのフラッグシップ・ハートの1号機を操縦するドロワと搭乗するゴーシュが、通信回線を開いた。
「いいか。坊やを見つけたら、俺に知らせるんだ。下手に手を出すと、“あの穴”みたいになるぜ?」



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