「兄さんは、僕のためにいっぱい疲れてる。だから兄さんに、キャラメルを食べてもらいたくて」

『私はハルトの記憶を見た。彼らは、何者かから2人で逃げ出し、ここに追い詰められた。不安に悲しむハルトに、カイトはそれを渡し、勇気付けたのだ。きっとハルトは、同じことを兄のカイトに……』
 遊馬から受け取ったキャラメルを手に、ハルトはもう片方の手でポケットから1枚の紙切れを取り出した。兄さんのために探していたもの、そして、兄さんのためにずっと探しているもの。ハルトの取り出したそれ、……不自然に斜めにカットされた、所々擦り切れた写真。カイトが拠点にしていた倉庫で見たものと同じ写真に、遊馬は目を見開いた。
「ハルト、それ───」

 遊馬の言葉を突然点灯したライトが遮る。再び現れたジェットヘリが、屋上へと降下していく。尾翼に描かれたハートのマークを見た遊馬と小鳥が、ハルトを匿うようにして振り返った。
「くっ…… しつこい奴らめ。ハルトは絶渡さねぇぜ!」
 身構えている間にもヘリは着陸した。ドアを開けて下ろされた梯子を、軽い足音が降りる。その人影に、ハルトの肩を掴む遊馬の手に力が入った。
「来るなら来やが…… ───?!」

 ライトの前に立ったのは、ドロワでもゴーシュでもない。初めて出会う人物に、遊馬も小鳥も判断が遅れた。
「───誰だ、お前」
 ヘリの風にはためく黄緑色の長い裾。靡く髪から見える顔には、歪つに焼き付いた染みが覆う。その女はその場に膝をつき、両手を広げて微笑んだ。




「アイツを呼ぶつもりか?! どういうノリだよ!」
「ハルトの力を忘れたのか?」
 カイトにハルトの居場所を伝えたドロワに、ゴーシュが声を荒げた。だがドロワは淡々と理詰めでそう答える。
 言われずとも、2度もハルトの力に巻き込まれかけたゴーシュ自身が分かっていただろう。だがカイトを快く思っていない彼のプライドを折るのに、ドロワはあえてそれを口にしたのかもしれない。
「……! チッ」
 舌打ちという返事。快諾とまではいかないにしろ、ゴーシュはドロワの考えに従うことを承諾したらしい。
「今のままでは、我々はあの子に近付けない。だがカイトの言葉になら、きっとハルトは素直に従う。ハルトが心を許している存在は、カイトただ1人だけ───」




「───姉さん」

「?!」
 その呟きに顔を下ろせば、ハルトはもう駆け出していた。遊馬には止めることも、何か確かめることもできない。ただ咄嗟に伸ばした手の先でハルトはその女の両腕に迎えられ、ハルト自身も望んでその女に抱きついた。
「ハルトの、姉ちゃん? てことは、カイトの……」
『……!』
 遊馬が必死に頭の中を整理する。ハルトが「姉」と呼んだ彼女がカイトの「姉」なのか「妹」なのかは見た目では分からないが、それでも彼女がかなり親しい人間だということは見て取れる。それでも、アストラルだけはどこか眉を潜めた。
「姉さん、姉さん!」
「ハルト、……」
「姉さん、その顔はどうしたの。痛くないの? どこに行っていたの。僕、ずっと姉さんに会いたかったんだ。兄さんも、……」
 矢継ぎ早に言葉が出るハルトを、\はもう一度微笑んで抱きしめる。
「私も会いたかった、ハルト……」
 左の手に紋章が光る。その手でハルトの頭を撫でやると、その目から生気が抜け、急に静かになった。クスクスと妖しく笑う\の顔は、ライトで逆光になりよく見えない。操縦席から顛末を見守るXの存在にも、遊馬達は気付けていなかった。
「さぁ、行きましょうね」
 立ち上がって肩を撫でれば、ハルトは従順にヘリの方へ歩いていく。
「お、おいちょっと待てよ! お前はいったい」
 \はやっと顔を向けて遊馬達を見渡した。
「ここまでハルトを匿ってくれてありがとう。安心して、カイトに私のことを言えば、伝わるから」
「カイトに……?!」
 ヘリへと歩いていくハルトの横へ\が追いつくと、ハルトは振り向いてアストラルを見上げた。その目はどこか虚ろで、ぼんやりとしている。
「僕の使命は、アストラル世界を滅ぼすこと」
『……?!』
 それ以上は何も言わず、ハルトを連れてヘリは上空へと去って行った。




「《Duérmete niñoお眠り、ぼうやDuérmete yaはやくお眠り》」

「姉さん、僕……ずっと姉さんに会いたかった。姉さんが居なくなってから、兄さんは笑わなくなった。僕は、兄さんに笑ってほしくて、ずっと姉さんのこと……」
「そう、……もう大丈夫よ、ハルト。これからは何も苦しまなくて済む。すぐにカイトもハルトのところへ連れて行ってあげる、ふふふ……」
 ヘリの振動を背中に感じながら、胸にハルトの鼓動も感じていた。隣ではXが静かに操縦桿を握っている。副操縦席のシートに深く座り、ハルトを膝に乗せて抱いた形で、シートベルトを締める\。風を切る音の中で響く、呟くような彼女の子守唄がまた始まれば、Xも次第に聴き入りだした。
「《Que viene el loboオオカミがやってきてY te llevará.お前を拐ってしまうよ
 リズムに合わせてハルトの背中を指で優しく撫でれば、ハルトも次第に首を\に預けはじめる。だが思い出したように、ハルトは握り締めていたものを\に差し出した。
「姉さん、これ……」
 溶けかけたキャラメルと、擦り切れた写真。ハルトを囲んで3人で写った、幸せだった頃の写真。だが\が持っていた写真とは違う。……\の姿だけが切り取られ、無くなっているそれを目にして、ハルトの知らない現実の片鱗が\の心を嘲笑った。
「姉さんの部分だけ無いんだ。兄さんに聞いても、知らないって……だけどまた姉さんに会えた。きっと兄さんも喜んでくれるよね。また3人で写真を撮ろうね」
「……」
 \は何も答えない。ただ、空気が変わったことにXだけは横目で感じ取っていた。どこか冷や汗のようなものが垂れるのをそしらぬ振りをして、Xは操縦に専念する。
「……《Duérmete niñoだからおやすみDuérmete yaはやくおやすみ》」
 また背中をゆっくりと撫でられ、ハルトは魔法にかけられたように目蓋が重くなった。ぼんやりと濁っていく意識の中で、窓の外に目を向ける。
「───《 Que viene el loboオオカミがやってきて》」
 水の中に月がある。白いお城がハルトを待っている。

「……《 Y te comerá.お前を食べてしまうよ》」


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