Barbara
 人は死んでからが本番だ。

 私はそう思い続けてきた。どんな功績を作ろうと、生きている内は大抵は評価されない。
 大変な思いをして、大変なものを遺して、誰かに殺されてから大衆はその人を想い、偲ぶ。「なんて大変な人を喪ってしまったのだろうか」と。
 なんでもない平和な家庭で生まれた平々凡々な小さな女の子が、暴走する車に跳ね飛ばされて死んだとしよう。世間は彼女を「こんなに愛らしい子だった」「こんなに賢い子供だった」と騒ぎ立て、女の子の写真や名前は暫くの間交通事故のヒロインの代名詞にされる。突然奪われた幼い生命が尊いという感動を消費するために。
 社会の軋轢に苛まれ、遺書を残した青年がいたとしよう。世間は強いメッセージ性を感じる事に酔いしれて、自分達が社会を変えなければならないと奮起する。見ず知らずのその青年が意思を遺してくれたのだと信じて、新しく誰かを罰するための原動力にするために。

 なにかをしなくても、なにかによって命を落とす事で、誰かが生前の行いを評価する機会を得るのだ。

 だから私はその機会を作る側となり、罰せられる側になりたい。心から陶酔した人物のために、世間に「大変な人を喪ってしまった」という衝撃を与えるために。
 世間がそれに酔いしれて貴方の味方となり、大衆が私を血祭りに上げて罰するとき、私の本当の願いは叶えられる。そして私が大衆によって殺されたとき、大衆は「大変な人を喪ってしまった」という衝撃を受けるだろう。

 人は死んでからが本番なのだから。


「塀の中はどうだい?」
「悪くないわ。先生も物好きね、殺しにかかってきた女に会いにくるなんて」
 私の願いは叶わなかった。先生は死にかけたけど、死んではくれなかった。詳しい事は、もうどうだっていい。大人しくあと8年塀の中で暮らして、出てから考えればいいんだから。
「なに、裁判で聞いたアンタの動機が気になってね。チョット詳しく聞いてみたかったのサ。」
 アクリル板越しに見る、私の愛しい人。素晴らしい医者。
 ブラック・ジャック先生はこの世のどんなお医者様が束になってかかったって敵いっこない。私の病気を治してくれたとき、そう確信した。
「どんなに素晴らしい人でも、英雄になれるのは死んだあとよ。私は先生を英雄にしたかった。それだけです。他に何を詳しく説明すればいいんですか?」
 先生はフフ、と鼻で笑う。先生の肺を通したその吐息を小瓶に詰めて寝る前に吸い込んだら、きっと素敵な夜を過ごせる。あぁ、考えただけでウットリする。
 だけど先生は長居して下さらなかった。パイプ椅子から立ち上がり、まるで陰のようにスルスルと出口に向かってしまう。

「待って!」

 目だけでも振り向いてくれる先生に身体が熱くなった。このまま溶けてしまいたい。たとえ先生が冷や水のように私をあしらっても、剣先のように鋭く硬化して貴方の心臓を貫きたい。
「先生、私、……あなたを本当に愛しているの」
「そのようだな」
 知っているなら、なぜ檻の中の獣に血の滴る肉を見せびらかすような真似をするのか。
 私の中の獣はもうあなたを食べたくて仕方ないと騒いでいる。こんな透明な壁なんか関係ない。あなたを殺したい。

 そして、あなたを殺した罰を受けたい。

「……待っている」
「え?」
「君が塀から出て来て、また私のところへ来るのを待っている。それまで、私は死んだあとのために功績を作っていてやろう」

 あっという間に目の前へやってきて、先生はアクリル板越しに手を重ねた。夢でも見ているのだろうか。でも、板越しに伝わる温もりは現実私の脳味噌を震わせた。

「おやすみ、なまえ」

「先生───」




 人は死んでからが本番だと彼女は言っていた。それはあまりにも正常な思考だとは言い難い。
 だがそう言い続けた結果、それは現実となった。

「ちぇんちぇ〜、ちぇんちぇもこれ読んら? もーすっごくスッゴ〜〜く、素敵しゅてきなんらからぁ!」

 ピノコがブラック・ジャックに1冊の本を差し出す。ある囚人が書いた小説、……作者であるその囚人が病死したことで再評価され、大衆はベストセラーとしてその本をばら撒いた。
 世間は強いメッセージ性を感じる事に酔いしれて、自分達も誰かを愛さねばならないと興奮する。見ず知らずのその囚人が意思を遺してくれたのだと信じて、新しく誰かを愛するための原動力にするために。

 なにかをしなくても、なにかによって命を落とす事で、誰かが生前の行いを評価する機会を得るのだ。
 彼女はそれを、私に証明してみせた。


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