いかないで

 楽しそうに笑う人達。色とりどりに光を放つ提灯。少し離れた処から聞こえてくるお囃子。屋台から出る煙は人混みを縫うようにもうもうと天へと登ってゆく。
花火が始まるとアナウンスがかかる。
祭りのメインである花火、そしてカウントダウンが始まろうとしていた。浴衣を着た女の子たちは友達或いは彼氏の腕をいそいそと引いて、楽しみであることを全面に押し出している。
そんな祭りの情景をテレビでも見ている気持ちで流し見ながら、同じように楽しげに隣を歩く彼女と履きなれていない下駄を鳴らし会場への道を行く。
しかし俺の足取りは周りみたいに軽やかとはいかない。
このまま人混みに流されて一緒にここから居なくなってしまいたい。ああ。


*

「─────英くん、ごめんね」

 そう言い放って申し訳なさそうに、哀しそうに彼女は笑った。
なんでも、親御さんの急な転勤のため、今週末の祭りの日にはこの街を出て東京に引っ越すんだそうだ。
 俺は何も言葉を返すことが出来なかった。でも、思考だけはぐるぐると黒く渦巻いていて。
言いたいことなんて、沢山あるさ。なんで。何でそんな急すぎる。どうしてそんな泣きそうなんだよ、泣きたいのはこっちだよ。一緒に居るって言ってたくせに。うちが優勝するとこ1番近くで見てるって、見せるって…。一緒に、祭りも行くって言ったくせに。
何かを言おうと口を開いてしまったが最後、彼女を傷つけかねない言葉で責め立ててしまいそうで、何も言えなかった。
代わりに喉の奥から込み上げてくるのは熱い吐息とこれまた熱い涙。
それを見られたくなくて背を向ける。しかし彼女には俺が何を考えているのかお見通しだったのだろうか。

「...土曜日、18時、部室前で待ってる」

 それだけ伝えると、背を向けた俺をそのまま置いて去る彼女。振り返ってみても、彼女は振り返ってはくれない。
それが無性に寂しくて、いつもなら笑顔でまた明日と彼女は言うのに。段々と出来てゆく距離がこれからの二人の距離のようで、辛くて、いよいよ涙がひとつぶ頬を伝った。
 次の日、彼女が転校することが一年と部内に伝達された。


*


 腹の奥底に響く大きな音は、心音をも押し上げる。上空に打ち上げられて咲く夏の花たちは次々に咲いては散ってを繰り返していた。落ちてくる花びらが増えれば増える程、祭りの終わりを示唆しているようで胸が締め付けられる。
 今日は土曜だったので午前中で部活が終わった。監督たちも、何も地元の大きな祭りがある時に遅くまで練習することはないと、あまり遅くならないようにと言い残した終了の時刻は普段よりも随分と早く、彼女がマネージャーとして俺たちを支えた、ほんとうに最後の部活動となった。
送別会みたいなものは前日には済ませてあったので、名残惜しさはあれどどう足掻いても彼女がうちに残ってくれることはない。部員は今までの試合以上に気合いも入ったし、彼女もいつも以上にせかせかと動いてくれていた。短い時間だったが、だからこそ力を入れて、うちの部活に在籍していて良かったと少しでも思ってくれるように。

 ちらりと隣を盗み見ればこの時のために着飾ってくれたのだろう、纏めあげ飾りを付けた髪で淡い色合いの浴衣を着た彼女。花火の光に照らされていてとても綺麗だった。
 先に両親と荷物は東京に見送ってしまっているらしく、あとはこの祭りが終わり次第彼女もこのまま身一つで後を追うだけになっている。
最終の特急電車の時間まであとのこり僅か。俺に彼女を連れ去れるだけのちからがあれば、こんな別れかたをすることもなかったろう。しかし高校生になって身体だけは大人に近づいてきているとはいえ、生憎まだまだ子供で。過ぎた願いは叶わないことは分かっていたが、悔しくて堪らなかった。
別に死別というわけではない。明日も同じように陽は昇って沈むし、処が違うだけで俺も彼女も生活の大部分はきっと変わらない。会おうと思えば会える。俺が、俺たちが全国への切符を手にすれば東京へ行くことも吝かではないのに。
それまで当たり前のように近くにあった温もりが、どれだけ手を伸ばしても容易に届かなくなってしまう。彼女が近くに居なくなっても、変わらず続くであろう日常が待っているという事実に耐えられそうにない。

「………英くん、終わっちゃったね、」

花火。
 ああ。なんて無情なんだろう。別れが近づく時間は刻々と進む。まだ心の整理もついていないのに。彼女にかける言葉を考える準備なんてさせてはくれないのだ。
ぼうっとしている俺に、また彼女は俺の名前を口にした。もう、しばらくはこうやって名前を呼んでもらうことも叶わないのか。電話なんか、所詮紛い物だ。これだけ一緒にいては機械越しの声なんて偽物にしか感じられないと思う。
なんでもない、と答え来た時と同じように人混みに揉まれながらどちらからともなく手を繋いで駅までの道をゆっくりと辿る。
先程までは花火に照らされてきらきらとして見えていた彼女は、うすぼんやりとした街灯の光に照らされ影を落としていた。
 駅が近づくにつれ足取りが重くなってゆく俺に対して、彼女のほうはといえば俺の繋がれた手を引くようにしていて、狭い歩幅であるのにいつもよりも少し早い歩み。
俺よりも大分下に位置する彼女の肩を見つめ、ずっとずっと抑えていたいかないでが口から飛び出しそうなのをまたぐっと押し殺す。
ともすれば泣きそうになるのだ。
「…ねぇ。

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