“彼”と彼女が兵団内で話すことなどほぼない。“彼”は役職についていないただの兵士であるのに対し、彼女は分隊長という位に着任している。実戦時ならまだしも、日常において会話をするなど直属の部下でない限りあり得なかった。彼女を廊下で見つけることはあれど話すなど以ての外で、一礼するしかできなかった(それは“彼”に話しかける勇気がないというのも関係している)。とはいえ“彼”はこれまで壁外調査に何度も赴き、無事に生還するだけでなくある程度の功績も収めている。“彼”の活躍を小耳に挟むくらいには、彼女も“彼”の存在を認知しているのではないだろうか。
「……ほう、何故だ」
「最近忙しいからな。ハンジを見てたら欲しくなった」
ある日の午後、“彼”は偶然にも彼女を見つけた。残念なことに例のあの男が相変わらず隣にいるが、“彼”はその想いを決して表には出さなかった。
いつも通り一礼しよう。当たり前の習慣となったそれに体が勝手に頭を下げようとしたその瞬間。

(…え、?)

ばっちりと、彼女の黒曜石の瞳が“彼”を捉えた。凛々しい瞳は揺らぐことなく“彼”を捕まえて離さない。今までこんなことはなかったので“彼”は動揺した。
「…おいどうした」
「ああいや、何でもない」
「早く行くぞ」
男に促され、彼女は“彼”からあっさりと視線を外した。
――何だったのだろう、今のは。
男に言われあっさり視線を外されたのは悲しいが、ほんの数秒でも彼女と完全に目が合っていた。動揺と歓喜が“彼”の心中を満たす。憧れている彼女の瞳はやはり美しかった。多分こんなこと、もう二度とないだろう。しっかり覚えておこうと思ったら、“彼”の口許は情けなく緩んだ。


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