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 どこからか大きな衝撃音が響いてくる。
 あまり聞き慣れないそれは、まるで怪獣が暴れているかのようだった。何かが派手に壊れる音。船全体が軋み、激しく揺れ、足元が不安定になる感覚。たまに混ざる誰かの悲鳴。
 非日常という他ない状況に自然と緊張してしまう。この船も今にも崩れそうで。明らかに奥へ進むのは危険だとわかるのに、てけてけと前を歩く小さな青猫はちっとも動じていなかった。荒事に慣れているのだろうか。


「たぶん、こっちだね」
「う、うん……」


 成り行きで着いてきてしまったが、果たしてこれは正しい選択なのだろうか。
 自分と同じく奴隷にされかけていた女性達のことは心配だ。助けてあげたいとは思う。しかし、道中に出会った被害者である女性達はみんな仲良くすやすやと夢の中へと旅立っていたのだ。声もかけたし、やや強めに揺すってみたりもしたが、いずれも効果はなく。全く起きる気配はなかった。

 工事現場もびっくりなこの騒音の中で穏やかな寝息を立てられるというのだから、おそらくは例の睡眠薬(仮)でも飲まされているのだろう。運び出すには人数が多く、自分が下手に手を加えるよりは軍隊に救助を任せた方が確実だと判断した。
 それにしても、やる事なす事が悪意の塊でしかないので、あの犯罪者達は絶対捕まるべき。


「……ここだよ」


 キーケースを捨てられた怨みを静かに燃やしていると、不意にハッピーがぴたりと歩みを止めた。丸い大きな瞳が真剣な色を宿し、こちらを見上げる。
 彼の前には一つの扉があった。囁かれた言葉についに辿り着いてしまったと息を呑み、ぎこちなく頷きを返す。確かに、一際騒がしいのはこの部屋に違いない。促されるままにドアノブに手をかけ、しかしふと躊躇う。

 開けるべきだろうか。そんな問いが頭の中を過ぎった。本当に“私”が関わるべきことなのだろうか、と。誰も答えてはくれない疑問がぐるぐると渦を巻く。
 だって、例えばこの事態を放っておいたとして。その先にあるのは事件の未解決ではなく、主人公によって導かれる正しい結末だ。悪は潰え、あの集団は彼に負ける。そう“知っている”。加えて、軍隊が駆けつけるのも時間の問題なのだ。

 だから、私が出しゃばる必要なんかない。この場を去って、時が過ぎるのを待ち、そうして見ないふりをしていれば、また元通りの日常に戻れるはずだ。『主人公と出会う』なんていう奇跡、そう何度も訪れるものではないだろうから。しかし逆に言えば、その扉を開けてしまったら最後。もう交差した運命からは逃れられない気がしていた。
 逃げたいのかはわからない。でも、関わって良いのかもわからなかった。


「ルーシィ? どうかした?」
「え、あ……ううん。なんでもないよ」


 不思議そうにこちらを見つめてくるハッピーに、慌てて首を振って誤魔化した。同時に、ハッピーとはすでに名を呼び合う程度には関わってしまったと気づかされる。今更、出会い自体をなかったことにはできないのだ。
 複雑な念を抱きながらも、ふと脳裏に浮かんだのはこの扉の先にいるであろう桜髪の青年の姿だった。偶然とはいえ、彼にはあのいけ好かない男性からの視線を断ち切ってもらったっけ……。言わない選択をした感謝はまだ胸の内に燻っている。

 どうせ、なかったことにできないのなら、それを伝えるくらいは許されるだろうか。


「(……よし、)」


 その後のことはその時に考えよう。
 気合を入れるように一つ息を吸って、思い切って目の前の扉を開く。もたもたしていると、また身動きできなくなりそうだったから。しかし、新しい世界に踏み込むみたいな、爽快感と好奇心が走ったのは一瞬のことで。

 ぶわあっと部屋に篭っていた熱気が肌を舐める。ぱちぱちと木の爆ぜる音がしていた。
 わけもわからずに、咄嗟に閉じた瞼の隙間から部屋の中を確認する。そこは奇しくも、先程まで自分が捕らえられていた部屋のようだった。視線をずらす。と、なんと探していた人物が今まさに炎にのまれている瞬間を目撃した。どうやら熱はここから発生していたらしい。


「な、ナツ……!!?」
「大丈夫、見てて」
「え? で、でも……」


 いやいやいや、あまりにグロテスクな状況ですが? 火だるまになってますが??
 どう考えても冷静でいられるはずがない衝撃的な光景を見てもなお、青い小さな背中は少しも焦る様子がなく。それどころか慌てて駆け寄ろうとした私を引き留め、庇うように眼前に翼を広げる。暗に“行くな”と示すその動作にたたらを踏んだ。
 しかし、このままでは間違いなく青年は焼死体になってしまう。誰かの死を好んでみたいなんて思わない。何をすれば良いか、ではなく、何かをしなくてはと掻き立てられて、なんとかハッピーの前へと進もうとした、刹那。

 聞き覚えのある声がした。
 どこか不機嫌さを纏ったそれが「まずい」と一言、音を作る。聴覚に遅れ、次いで視界に映ったのは、青年の体を包む炎を、青年自身が吸い込み平らげてしまうという意味不明の絵面であった。思わず目が点になる。なんだかもう、おかしいとかそういう次元ではない気がした。

 とりあえず、前の世界ではあり得ない現象であることは確かで。そういえば、アニメにこんな感じの展開があったなあ……と思い出したのはこれより後の出来事だった。


「食ったら力が湧いてきた!!」


 彼のその言葉が開戦の狼煙となったように思う。
 ただし、それは戦いとは程遠い一方的な蹂躙であった。逃げ惑い、とっくに戦意喪失した相手を容赦なく殴り飛ばす周到さ。文字通りの火の海にはならなかったのが不思議なくらいの暴れっぷりで、辺りはあっという間に壊滅状態となった。

 呆然とするしかない私にハッピーが彼の使う魔法の説明をしてくれたのだが、なるほど怪獣なのかという認識が頭から離れない。何なら悪魔と言い換えてもいい。
 妖精の尻尾メンバーは巨人の集まりか何かなの? と思ったことがあったけれど、このぶっ飛び具合だとあながち間違いではないかもしれない。

 そうして、悪事を働こうとしていた輩は一人残らず彼にぶちのめされたのだった。(何故か無関係の港まで半壊させながら)
 ……もはや、どちらが悪役なのだろうか。


「やべ!! 逃げんぞ」
「へっ、いや、ちょっと……!!?」
「あい! 軍隊来たから逃げよ、ルーシィ」


 不意に、ぐいっと片腕を引っ張られ、体がそちらへと引き寄せられていく。あまりに唐突だったから、考えていたこともどこかへ吹き飛んでしまった。されるがままに走り出す。
 茫然と前方で揺れる桜色をしばし見つめ、それからはっとする。いや、どうして私までここにいるのか。


「あ、あの! なんで私までっ……?」
「だって、おまえ仕事探してんだろ? 列車で言ってた気がする」
「え、」


 そう言われてみれば、確かにぼやいたかもしれない。しかし、目の前のこの人は列車に乗っている間は完全にダウンしていたはずだ。周りを気にする余裕なんてなかっただろうし、こちらもまさか聞かれているとは思いもよらない。そもそも、ただの通りすがりの人物なんかを覚えていた、という事実がすでに意外である。
 驚いて目を丸くしていると、足元でちょこちょこと走っていたハッピーが嬉しそうにぴょこりと一際高く飛び跳ねた。


「だったら、妖精の尻尾に来ればいいよ! ルーシィは魔法も使えるし、お仕事いっぱいもらえると思う」
「ほらな、名案だろ!」
「!」


 どうして今日会ったばかりの人に、そんなに親身になれるのだろう。躊躇いもなく、懐に入れるような真似ができるのだろうか。
 原作に関わってしまうことへの不安や罪悪感、今の状況への焦り。それらは確かにあったはずだけれど、何故だか彼らの裏のないあたたかな笑顔を見ていたら「行かない」という言葉は喉より先に出てこなくて。

 だからきっと、この時にはもう決まっていたのだと思う。私の、妖精の尻尾彼らと共に歩むという運命は──。


♦︎


「つーか、おまえルーシィっていうのか」
「はい、まあ……よろしくです……?」
「なんで疑問形なの?」
「な、なんとなく?(主人公達だと思うとなんか萎縮してしまう……!!)」
絡まる運命